はじめに
NHLチーム・シアトル・クラーケンの新ヘッドコーチに就任したレーン・ランバート。派手さはないものの、勝利を支える“縁の下の力持ち”として選手時代から評価されてきました😊。ティペット元監督の証言を通じて、彼の哲学と人柄に迫ります。
NHLの監督は簡単ではありません。でも、彼にはやり抜く覚悟があります。
参照記事:NHL公式サイト「 Accountability Defined Lane Lambert The Player」
新ヘッドコーチ・ランバートの素顔に迫る✨
NHLの新チーム、シアトル・クラーケンに就任したレーン・ランバート1新ヘッドコーチ。彼の名前を聞いて「誰?」と思った人も多いかもしれません。でも、実は彼、長年にわたり“勝つために必要なこと”を地道にやってきた人物なんです😊。
今回ご紹介するのは、そんなランバートの原点とも言えるエピソード✍️。彼を知るうえで欠かせない、元NHLコーチであり、クラーケンのアドバイザーでもあるデイブ・ティペット2の証言をもとに、彼の魅力を探っていきましょう😊
勝てるチームには“地味だけど重要な人”がいる💡
時は1998-99年。デイブ・ティペットが長年のNHLコーチ、そして後にクラーケンの上級アドバイザー兼コンサルタントになる直前、ティペットが国際ホッケーリーグ(IHL)3のヒューストンにあるマイナーリーグチーム「エアロス4」の監督をしていた頃の話です。
そのチームはリーグのトップに立っていましたが、ティペットはプレーオフに向けてさらなる補強が必要だと考え、ある選手をトレードで獲得しました。当時ベテラン選手としてキャリアの終盤に差し掛かっていたレーン・ランバートでした。
「彼は一流ラインの選手ではなかったし、スター選手じゃなかったけど、やるべきことを全部やってくれる選手だった」とティペットは金曜日、アリゾナの自宅で語ります。そう、ランバートが所属していたほぼすべてのチームで、“グルーガイ(接着剤のような存在)”と呼ばれる、チームの結束を保ち、穴を埋めてくれる存在だったのです✨
これこそが、プロレベルで勝利を収めるために見落とされがちな重要要素です。確かに、ゴールを決めるスター選手たちは必要ですが、上位ラインから外れた他の選手たちが正しいプレーをしなければ、そのチームは通常、トーナメントの最後まで勝ち進むことはできません✅。
ティペットは、デトロイト・レッドウィングス、ニューヨーク・レンジャース、ケベック・ノルディクスで283試合をプレーし、プロキャリアの終盤に差し掛かっていたランバートを、元NHL選手のマーク・ラム5とジェイソン・ラフ6とともに第3ラインで起用しました。
ヒューストンのチーム、エアロズは、リーグ最高の54勝15敗13引き分けでシーズンを終えています。しかし、ティペットが補強を決断する前から予想していた通り、プレーオフはまったく別の戦いでした。
初戦のバイ(免除)を経たエアロズは、続く第2シリーズすべてで最終戦までもつれた後、フランチャイズ史上初のターナーカップ(当時の優勝トロフィー)決勝に進出。そして、決勝でも再び7戦フルセットの末、ホームでオーランド・ソーラーベアーズを5-3で下し、1万6千人以上の満員の観客の前で優勝を果たしました😊。
第7戦のフル映像です!重かったらすいません…。下部組織のリーグでも、これだけ緊迫した力強い戦いなのです。
現在でも、ティペットはそのシーズンのタイトル獲得が、長年にわたるNHLコーチとしてのキャリアの足がかりとなったと語ります。そして、その成功の鍵は、シーズン終盤に加わったランバートや数人の選手の存在だったと確信しているのです。
「勝つために必要なことを本当に理解している選手が多ければ多いほど、チャンスは高くなる」とティペットは言いました。「我々はトレード期限の時点でリーグで圧倒的なトップチームだった。他のチームも我々に追いつくために補強をしていた。だから私も補強をして、結果として優勝したんだ」。
点を取らなくても価値のある選手って?🤔
ティペットは、ランバートの家族と知り合いであり、彼の兄弟の1人と地元サスカチュワン州でティアIIジュニア「B」7ホッケーを一緒にプレーしていました。彼は、ランバートのプレースタイルには複雑な要素はなく、さまざまな状況で頼りにできる「ユーティリティ・フォワード」だったと語ります。実際、ランバートの存在感はその信頼性によって築かれていきました。
「彼は大量に得点を挙げる選手ではなかった」とティペットは言います。サスカトゥーンでのジュニア最終年には59ゴールを挙げたランバートですが、NHLでは20ゴール以上を記録したシーズンは一度もなく、細かな部分の完成度に重きを置きました。つまり、ランバートのすごさは、派手なゴールではなく“地味だけど超大事”なプレーにありました😊。
ティペットはこう語ります。「だが、試合の核心でリードを守るような場面では、彼は非常に貴重な選手だった。頭が良くて、競争心も強かった。勝つために何が必要かを理解していて、チームのために必要なことは何でもやる覚悟があった。とても非自己中心的なことだけどね」。
例えば、シュートをブロックするために体を張ったり、ペナルティを取られないように、相手に殴られても報復しないでチームのために我慢したり…。さらに言えば、小さなことを正しく行うこと。余計なプレーを狙うのではなく、パックを相手ディフェンスの後ろに入れて、もう一度取りに行くようなプレー。そんな“自己犠牲”こそが、ランバートの強みだったんです😊。
2024年1月にニューヨーク・アイランダーズの監督を解任。今回、クラーケン監督就任について、「守備をガタガタにする最悪の監督なのに、なぜ?」という声も。
責任感と規律が勝利のカギ🔑
ランバートが選手、そしてコーチとしてキャリアを重ねる中で、多くの勝利を収めてきたことは広く知られています。コーチとしての彼は、選手に対して「責任感」を強く求めています😊。それは、自分の役割を理解し、氷の上でチームメイトにとって“予測できる存在”であることの重要性についても、多く語られています。
でもそれは、ただ厳しいだけの話ではありません。就任以来、ランバートやクラーケンのフロント陣は、彼への期待の中で最も重要なのは「構造」と「細部への注意」だと繰り返してきたのは、勝つために必要だから。そしてその哲学は、彼が選手だったころから変わっていません💪。
ティペットは言います。「彼(ランバート)は小さなことを正しくやる選手だった。特にリードしているときには決定的に重要なんだ。こういうことを積み重ねていくことで、チームはチャンピオンになれる。構造的に何が大事かを理解していて、ゲームの流れやモメンタムもよくわかっていた😊」。
——だからこそ、彼は選手としても信頼され、今はコーチとしてその姿勢を貫いているんですね😌ティペットは、それらの特性こそがチャンピオンシップを勝ち取る秘訣であり、ランバートがどこに行っても勝ち続けている理由だと語ります。
“優しいけど強い”コーチ像👨🏫
ランバートはまた、「ベンチボス(監督)」という言葉が意味する全体の指揮系統の中で、自分がボスであることを理解しているようです。それは、「責任」「規律」「構造」といったコードワードからも伝わってきます。
もちろん、コーチは選手と良好な関係を築く必要があります。ランバートと彼を採用した関係者たちは、彼の人間関係構築力がこのポジションにふさわしい理由の一つだと明言しています✨。
しかし、現代の若手選手たちがかつてのような恐怖ベースの指導法には反応しない時代であっても、必要な時には毅然とした態度を取ることは決して妨げられるものではありません。今は「人間関係」が重視される時代。でも、それと「甘やかすこと」は違います。
ランバートは、選手との関係づくりがうまいことで知られています。チームでの協力や意見交換といった考え方は確かに重要です。しかし、最終的にコーチが「ボス」であることに変わりはありません。
練習を仕切るのは選手ではなくコーチであり、戦術を決めるのもコーチで、それに選手たちは従わなければなりません。そして、言われたことを守らなければ、それに対する結果(ペナルティ)があります。そういったバランス感覚が、現代のコーチには必要なんです🧠そうでなければ、チームは規律を欠き、氷上ではバラバラに見えてしまいます。
どんなシステムをランバートが導入しようとも、それに従う「責任感」がなければ意味をなしません。成功しているチーム、そして企業でさえも、長年にわたってこの「上司と部下」という構造を守ってきました。それは時代が変わっても、選手たちの世代が変わっても同じです。
たとえ戦術を伝えるコミュニケーションの手法が、より人間味のあるものになっていたとしても、基本的な構造は不変です✅。

うーん、この記事は下手褒めなんですけど、ニューヨーク・アイランダーズのファンからは、「最悪の監督」と言われているんだにゃ。一貫性の無い采配が一番の理由として挙げられている外に、守備を軽視するライン構成なども指摘されている。クラーケンは彼に守備の建て直しを依頼してるはずなのに…。
2年前の輝きを、もう一度…🌊
「コミュニケーションの方法」以外、彼が再三語っているように、クラーケンのチームは全4ラインにおいて堅実で一貫性あるように見えますが、もっと組織立った、規律のあるプレーが必要です。クラーケンは、たった2年前にプレーオフに進出した経験のあるチーム。でも、昨シーズンは守備面でやや後退した印象もありました。
言うは易く行うは難し、というものです。
だがランバートの場合、スケートを履き始めた頃から「責任感」と「細部へのこだわり」の哲学を体現してきました。つまり、彼にとってこれは「再発明」ではありません。
「彼は本当に頭のいい選手だった」とティペットは言います。「試合の流れや、チームがどんな状況にあるかを理解していた。勢いの変化を読み取ることができたし、構造的にもゲームを深く理解していた。なぜなら、それこそが彼の役割だったから。選手として、構造的に正しいことをする。それが彼の務めだったんだ」。
だからこそ今、ランバートのような“構造を大事にするコーチ”の存在が必要なのかもしれません。チーム全体に再び「規律」と「細部への意識」を取り戻し、バラバラになりかけたパズルのピースをもう一度組み合わせる役目😊。
そして、もしコーチとしても同じように構造的に正しく物事を進めることができれば、かつて“グルーガイ”だった彼が、クラーケンの選手たちに思い出させることができるはず。――たった2年前にプレーオフに進出したチームが、再びひとつにまとまることで、良い結果が生まれるということを✨
就任記者会見で、余裕で奥さんの話などをしているランバート。果たしてアイランダーズ時代の失敗を取り戻せるか。
まとめ
選手として、そしてコーチとして“勝つために必要なこと”を実践してきたランバート。細部へのこだわりと責任感が、今のクラーケンに求められている要素なのは間違いありません。彼の手腕がチームに新たな一体感をもたらすか、今後の戦いに注目です。

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!
【註釈】
- 1983〜1989年までNHLでフォワードとしてプレーし、デトロイト・レッドウィングス、ニューヨーク・レンジャーズ、ケベック・ノルディクスに所属した。
コーチとしてのキャリアは2007年にミルウォーキー・アドミラルズのヘッドコーチとして始まり、その後ナッシュビル・プレデターズとワシントン・キャピタルズのアシスタントコーチを歴任。特にキャピタルズでは、2018年のスタンレーカップ優勝チームの一員として貢献している。
2022年にはニューヨーク・アイランダーズのヘッドコーチに昇格したが、2024年1月に解任。2025年5月29日にシアトル・クラーケンのヘッドコーチに就任した。彼は1983年にWHLセカンドオールスターチームに選出。
↩︎ - 1983〜1994年までNHLでウィンガーとしてプレーした選手時代から始まり、ハートフォード・ホエーラーズ、ワシントン・キャピタルズ、ピッツバーグ・ペンギンズ、フィラデルフィア・フライヤーズで活躍した。また、1984年と1992年の冬季オリンピックではカナダ代表として出場し、1992年には銀メダルを獲得。
引退後はコーチとしての道を歩み、ヒューストン・エアロス、ダラス・スターズ、フェニックス/アリゾナ・コヨーテズ、エドモントン・オイラーズで指揮を執った。特にコヨーテズのヘッドコーチ時代には、2010年にNHL最優秀コーチに贈られるジャック・アダムス賞を受賞し、ヒューストン・エアロス時代にはIHLの最優秀コーチに選ばれている。
2018年6月には、シアトル・クラーケンのシニアアドバイザーに就任し、マネジメント職も経験。
↩︎ - 1945〜2001年まで北米で存在したマイナープロフェッショナルリーグを指す。このリーグは、NHLの代替ファームシステムとして機能し、AHLと並んで多くのNHL選手を輩出。
1980年代後半にはアメリカの大都市にも進出し、レベルの高い試合を展開したが、最終的には財政難により2001年にリーグ運営を終了。残った多くのチームはAHLに吸収された。
↩︎ - ヒューストン・エアロスは、1994〜2001年まで国際ホッケーリーグ(IHL)に所属していたマイナープロのホッケーチーム。1998-99シーズンにはターナーカップを制覇するなどリーグの強豪として活躍し、後にNHLで名将となるデーブ・ティペットがヘッドコーチを務めた。IHLの消滅後はAHLに移り、2003年にはAHLの最高位であるカルダーカップも獲得。
↩︎ - カナダ出身、現在はウェスタン・ホッケー・リーグ(WHL)のプリンス・ジョージ・クーガーズでゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチを務めている。
選手としては、カルガリー・フレームス、デトロイト・レッドウィングス、エドモントン・オイラーズ(1990年にスタンレーカップ獲得)、オタワ・セネターズ(1993-94シーズンに共同キャプテン)、フィラデルフィア・フライヤーズ、モントリオール・カナディアンズといった複数のNHLチームでプレー。
また、1999年には国際ホッケーリーグ(IHL)のヒューストン・エアロスでターナーカップも獲得している。
引退後はコーチングとマネジメントに転身し、エドモントン・オイラーズやダラス・スターズでアシスタントコーチ、WHLのスイフト・カレント・ブロンコスでヘッドコーチ兼ゼネラルマネージャーを歴任し、AHLのツーソン・ロードランナーズでもヘッドコーチを務めた。
2018年にプリンス・ジョージ・クーガーズのゼネラルマネージャーに就任後、ヘッドコーチも兼任。2024年にはWHLの最優秀コーチおよび最優秀エグゼクティブに選ばれている。
↩︎ - カナダ出身、1990年のNHLドラフトで全体96位でセントルイス・ブルースに指名され、NHLではセントルイス・ブルースとタンパベイ・ライトニングで左ウィンガーとしてプレー。また、ベルファスト・ジャイアンツ、ERCインゴルシュタット、カンザスシティ・アウトローズでもプレー経験がある。
2007年にプロアイスホッケー選手を引退後、カナダに戻り、ウェスタン・ホッケー・リーグ(WHL)のレスブリッジ・ハリケーンズでアシスタントコーチに就任。選手時代には1991年にWHLイースト・ファーストオールスターチームに選ばれている。
↩︎ - 主に各州や地域のホッケー協会によって運営されるリーグで、アマチュア色の強いリーグ。大学や専門学校に進学しながらホッケーを続ける選手が多い。ティアIIは、北米のジュニアホッケーで、最上位のティアI(メジャー・ジュニアや一部のジュニアAリーグを指すことがある)に次ぐレベルとして使われる。 ↩︎