はじめに
NHL公式サイトに登場したよだれモン企画、過去のドラフトの歴史を振り返り、(ドラフト60周年にちなみ)史上最高のドラフト指名選手60人選出の第6弾です。今回は35~31位までの5人、先に言っちゃいますが、ディフェンスマンたっぷりです!
前回の記事はこちら→☆。
5人中4人がディフェンスマンで、彼らに共通しているのが、守備だけでなく攻撃面でもかなり貢献している点です。後方から試合を組み立てるパターンは、サッカーでもよく見られるので、サッカー・ファンの方々がアイスホッケーを見ても、馴染んでいただける部分だと思います。
ただ、サッカーより人数がかなり少ない分、その攻撃に転じるプレーの重圧がかなり高いこともご理解いただけるのではないでしょうか。そのドキドキハラハラ感を、日本のサッカー・ファンにも味わって欲しいです。そうすりゃ、ファンも増えそう^^;。
2023年ドラフトでロシア出身選手が注目されたけど、
今回の記事には、まさにパイオニア的存在の選手が出てくるにゃ。
世界が早く平和になって欲しい…。
引用元:NHL.com「60 Diamonds: Greatest picks from 60 NHL Drafts, Nos. 40-31」。
熟練のディフェンスマン、攻守で活躍!
35.スコット・ニーダーマイヤー、D(ディフェンス)、(249ポイント)
指名順:ニュージャージー・デビルズ、第1巡目(全体3位)、1991年
トム・カーヴァースは1988-89シーズンに最高の攻撃力を発揮したディフェンスマンでしたが、1989-90シーズン初め、デビルズは1991年のNHLドラフト1巡目指名権と引き換えに、トロント・メープルリーフスに彼をトレードしました。
※トム・カーヴァース=米国、ミネソタ州セントポール出身。2021年死去、享年58歳。現役時のポジションはディフェンス。1994-95シーズン、アナハイム・マイティダックスでプレー後、日本の西武鉄道で1シーズン、プレーしている。パワープレーで抜群の力量を発揮する選手だった。
デビルズが最終的に3位指名で、NHLでプレーしたディフェンスマン中、最もスムーズなスケーティングをする一人にランクされているニーダーマイヤーを選んだとき、そのトレードは、想像以上に報われることになります。
ニーダーマイヤーは、1995年、2000年、2003年のスタンレーカップ優勝の際、デビルズの攻撃に火をつける攻撃的要素となりました。2003-04シーズンにはノリス・トロフィー、2007年にはアナハイム・ダックスのカップ優勝に貢献してコン・スマイス・トロフィーを受賞しました。
最後のシーズンとなった2009-10シーズンは2桁得点を記録し、2013年、ホッケーの殿堂入りを果たしています。
ゴール決めるし、相手を完封するし
「ニーダーマイヤーは多くの点でデビルズに影響を与えました。2019年、ジャック・ヒューズ(センター、22歳)が登場するまで、ニーダーマイヤーはチーム内で最も熟練した選手だったのです。
アタッキングゾーンにパックを運ぶ彼の能力は、1994年から2004年にかけてのデビルズの躍進の原動力の一部でした。
彼はすべてをこなし、ハイライトとなるゴールを決め、相手のトップフォワードに対してシャットアウトの役割を果たし、一日中スケートをし、静かな自信を漂わせることができていたのです。
彼はすべてを持っていて、成熟しつつあるデビルズに、優勝へのパズルの最後のピースを与えました」。—ショーンP.ロアーク、編集シニアディレクター
攻撃も守備も両方こなせる、まさに二刀流だったんだにゃ。
それをレベル落とすことなく、10年間続けられるのがすごい。
26シーズンも現役バリバリ!
34.クリス・チェリオス、D、(268ポイント)
指名順:モントリオール・カナディアンズ、第2巡目(全体40位)、1981年
チェリオスの献身的なプレーは26シーズン続き、ゴーディ・ハウと並んでNHL史上最多となり、1,651試合はチャラ(ズデノ・チャラ、前回記事参照)に次ぐ歴代2位の記録です。
チェリオスは非常に長くプレーしたため、2010年に引退するまでに、1981年のNHLドラフトで、彼と一緒に指名された4人の選手は既にキャリアを終え、ホッケーの殿堂入りを果たしていました(デール・ハワーチュク、2001年、グラント・ファー、2003年、ロン・フランシス、2007年、アル・マキニス、2007年)。
※デール・ハワーチュク=カナダ、オンタリオ州トロント出身。2020年死去、享年57歳。現役時のポジションはセンター。1987年のカナダカップ・トーナメントでカナダ代表としてプレーし、ソビエトとの決勝戦・第3試合で1ゴールと2アシストの活躍をし、カナダに優勝をもたらした。
※グラント・ファー=カナダ、アルバータ州スプールスグローブ出身。現役時のポジションはゴールテンダー。80年代後半、世界最高のゴールテンダーと称されていた反面、薬物使用や人種差別と戦う現役生活でもあった。90年代半ば、セントルイス・ブルースのゴールを1人で死守し、復活。
※ロン・フランシス=カナダ、オンタリオ州スーセントマリー出身。現役時のポジションはセンター。初代シアトル・クラーケンGMであり、現在も活躍中。ハートフォード・ホエラーズからペンギンズへトレード後、本領発揮。第2ラインのセンターとしてチームを牽引。
※アル・マキニス=カナダ、ノバスコシア州インヴァネス出身。現役時のポジションはディフェンス。ブルース時代の背番号2は永久欠番。冬季オリンピックに2回出場し、2002年のソルレイクシティで、ディフェンスの中心選手として、カナダに50年ぶりの金メダルをもたらす活躍をした。
チェリオスはノリス・トロフィーを3回(1988-89、1992-93、1995-96)獲得し、40歳だった2001-02シーズン、5度目のNHLオールスターのファーストチームに選ばれています。
3度のカップ優勝(1986年、モントリオール・カナディアンズ。2002・2008年、デトロイト・レッドウィングス)を果たしたチェリオスは、2013年に殿堂入りを果たしました。
NHLの名選手を多数生み出した名門高校出身!
33.ブライアン・リーチ、D、(270ポイント)
指名順:ニューヨーク・レンジャーズ、第1巡目(全体9位)、1986年
得点力の高いディフェンスマンを求めていたレンジャーズは、(ニューヨークから)約2時間北にあるコネチカット州のエイボン・オールド・ファームズ・スクールで探し出し、1986年のNHLドラフトで1巡目指名しました。
※エイボン・オールド・ファームズ・スクール=米国コネチカット州エイボンにある男子寄宿学校。米国初の女性建築家の一人、セオデート・ポープ・リドルが1927年に設立。同校のアイスホッケーチームは強豪で、ダックスの希望の星トレバー・ゼクラスをはじめ、多くのNHLプレーヤーを輩出。
リーチは、間違いなくリーグでプレーする、最高の米国生まれのディフェンスマンに成長しました。ノリス・トロフィーを2度獲得しましたが、1991-92シーズン、100ポイント以上(102)を獲得した史上5番目のディフェンスマンなのです。
1994年のスタンレー・カップ優勝に貢献し、23試合で34ポイント(11ゴール、23アシスト)を記録してプレーオフをリードした後、コン・スマイス・トロフィーを獲得しました。
リーチの1,205ポイントは、米国生まれのディフェンスマンとしてはフィル・ハウスリー(1,232ポイント)に次ぐ2位であり、2009年にはホッケーの殿堂入りを果たしています。
※フィル・ハウスリー=米国、ミネソタ州セントポール出身。現役時のポジションはディフェンス。2023-24シーズンより、ニューヨーク・レンジャーズのアシスタント・コーチ。2015年、ホッケーの殿堂入りしているが、現役中、一度もスタンレーカップを手にしていない。
エイボン・オールド・ファームズ・スクールの英文Wikiを見ると、
NHLのトップ・スター選手の名がズラリなんだにゃ。
高校ホッケーの情報って少ないから、初めて知ってビックリ。
チーム創設2年目にやってきた至宝
32.デニス・ポトヴィン、D、(273ポイント)
指名順:ニューヨーク・アイランダース、第1巡目(全体1位)、1973年
(チーム創設・1972年から)2回目のドラフトで、アイランダーズは彼らのスタンレーカップ王朝の礎となる選手を指名しました。
最初の6シーズンで、ポトビンはカルダー・トロフィー(1973-74)、ノリス・トロフィー(1975-76、1977-78、1978-79)を3度受賞し、NHLのファーストチーム・オールスターに4度選ばれています。
1979-80シーズンにはキャプテンに任命され、アイランダーズはスタンレーカップ4連覇の最初の1勝を挙げました。
1987年4月4日、1,000ポイントを挙げた初のディフェンスマンとなり、1988年に引退したとき、310ゴール、742アシスト、1,052ポイントでNHLの全ディフェンスマンをリードしたのです。1991年にはホッケーの殿堂入りを果たしました。
ロシア出身選手にとって、偉大なる先達
31.アレクサンダー・モギルニー、F(フォワード)、(278ポイント)
指名順:バッファロー・セイバーズ、第5巡目(全体89位)、1988年
モギルニーが1989年にNHLにやってきたのは、まさにスパイ小説の世界だったようです。セイバーズ関係者は、(1989年の世界選手権の終了後)モギルニーをストックホルムの車の中に匿い、その間に彼がソビエト連邦の選手として初めて亡命できるよう手助けをしました。
彼がブレイクしたのは1992-93シーズン、パット・ラフォンテーヌが加入した時で、モギルニーはセイバーズ記録の76ゴールを決めています。NHLでの16シーズン中、30ゴール以上を8回、100ポイントを2回記録しました。
※パット・ラフォンテーヌ=米国、ミズーリ州セントルイス出身。現役時のポジションはセンター。1試合あたり1.17ポイントは、現役または引退した米国生まれのアイスホッケー選手の中でトップ。ニューヨーク州に拠点を置く3チームすべてでプレーした5人のうちの1人でもある。
2000年にはニュージャージー・デビルズのスタンレーカップ優勝に貢献し、デビルズがシリーズ1勝3敗から挽回したイースタン・カンファレンス・ファイナル第6戦のフィラデルフィア・フライヤーズ戦で、2-1の勝利に貢献する決勝ゴールを決めています。
2006年に引退した時の473ゴールは、ロシア生まれの選手として最多となりました。
「モギルニーが偉大な選手であったのと同様に、ホッケー選手としてのキャリア以上のものを失う可能性があった時期に、ソ連から亡命した彼の勇気もまた重要であったのです。
そのチャンスをものにしようとする彼の姿勢は、何人かのトップレベルの選手が、彼を追ってソ連からNHLに移籍する道を開き、リーグのスキルレベルを高めました。
氷の上での彼の世界的な能力は誰が見ても明らかでしたが、モギルニーの先駆的な勇敢さも同様に評価されるべきでしょう」。–アダム・キメルマン副編集長
まとめ
現在のNHLにも、多くのロシア出身選手がプレーしています。きっと世界に平和が戻り、多くのプレーヤーが心の底からホッケーに打ち込める環境を願っていると思います。モギルニーも、そして彼以降にNHLでプレーしたロシア出身選手も同じ思いでしょう。
2023-24シーズン、現役のロシア出身選手が、NHLに元気に参戦してくれると信じています。彼らにより大きな声援を送ると同時に、今シーズン、あまりできなかったKHL観戦もやっていけたらいいなぁ、と思っている今日この頃です。
ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!