はじめに
NHL公式サイトに登場したよだれモン企画、過去のドラフトの歴史を振り返り、(ドラフト60周年にちなみ)史上最高のドラフト指名選手60人選出の第5弾です。今回は40〜36位までで、ディフェンスマンが5人中2人と、やっと光が差してきました^^;。
前回の記事はこちら→☆。
やはり1巡目指名の選手が多い傾向にあるものの、その中で、1・2巡目で将来のチームの屋台骨を指名していくというパターンもあります。偶然そうなったのかもしれませんが、ある程度リサーチ&シミュレーションしているはずなんで、戦略通りなら、そのチームはやはり凄いのです。
今回はニューヨーク・アイランダーズの選手が多めで、今は無いチーム=ハートフォード・ホエラーズに指名された選手の名前も出てきます。NHLの歴史の長さを知ると同時に、ドラフト自体にも歴史やドラマのあることがよく分かります。
今回の5人の打ち立てた記録・数字が凄すぎるにゃ。
得点力のあるディフェンスマンのプレーは生で観たかったなぁ。
引用元:NHL.com「60 Diamonds: Greatest picks from 60 NHL Drafts, Nos. 40-31」。
懐かしの「ハートフォード・ホエーラーズ」!
40.ロン・フランシス、F(フォワード)、(193ポイント)
指名順:ハートフォード・ホエーラーズ、第1巡目(全体4位)、1981年
※ハートフォード・ホエーラーズ=現在のカロライナ・ハリケーンズの前身。1972年の創設時、「ニューイングランド」の地名を名乗っていた。1979年、WHAとNHLの合併後、ハートフォードに移転。NHL加入以降、ディビジョン優勝が1度ある(1986-87)。
フランシスはハートフォードで過ごした10シーズンの間、ホエーラーズ史上最高の選手でしたが、1990-91シーズン、ピッツバーグ・ペンギンズにトレードされ、より幅広い評価を得ました。
マリオ・ルミューに次ぐセカンドラインのセンターとして、ペンギンズの1991年と1992年のスタンレーカップ優勝に貢献したのです。このチャンピオンシップ期間中、彼は44ポイント(15ゴール、29アシスト)と6つの決勝ゴールを記録しました。
※マリオ・ルミュー=こちらの記事にも名前あり、参照のこと。
2003-04シーズンを最後に現役を引退したとき、1,249アシストはウェイン・グレツキー(1,963)に次ぐNHL史上2位、1,798ポイントは4位となっていました。2007年、フランシスはホッケーの殿堂入りを果たしています。
ダックス初の永久欠番
39.ティーム・セレンネ、F、(237ポイント)
指名順:ウィニペグ・ジェッツ、第1巡目(全体10位)、1988年
ドラフト指名から5年、セレンネは、1992-93シーズンに76ゴールという記録的な数字を残し、マイク・ボッシーの新人最多記録である53を塗り替えました。しかし、セレンネは、アナハイム・ダックスに2度在籍したときに最大のインパクトを残しています。
※マイク・ボッシー=こちらの記事にも名前あり、参照のこと。
ポール・カリヤとコンビを組み、1996-97、1997-98シーズンと連続で50ゴールを記録しました。その後、サンノゼ・シャークスとコロラド・アバランチを経て、2005年にアナハイムに戻っています。
※ポール・カリヤ=カナダ、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身、48歳。現役時のポジションは左ウィング。父は日系カナダ人(2世)、名は哲彦。セレンネと共に、ダックスで一時代を築き、鳴り物入りでアバランチに移籍したが、故障のため活躍できず。
膝の大怪我から完全に回復したことを示し、2005-06シーズンと2006-07シーズンには連続で40ゴールを記録し、2007年にはダックスのスタンレーカップ優勝に貢献しました。
セレンネは2014年に引退し、2015年1月11日にダックスの選手として初めて永久欠番となる栄誉を受けています。セレンネの684ゴールはNHL史上12位であり、フィンランド生まれの選手としては歴代最多です。2017年、ホッケーの殿堂入りを果たしました。
怪我から復帰し40ゴールを叩き出すなんて、
あの激しいスポーツでよくできたもんだにゃ!
知らず知らずのうちに、体をかばいそうなものなのに。
アイランダーズ4連覇の立役者!
38.ブライアン・トロティエ、F、(248ポイント)
指名順:ニューヨーク・アイランダース、第2巡目(全体22位)、1974年
1974年のNHLドラフト、最初の2つの指名において、アイランダーズは、第1巡目でクラーク・ギリーズ(全体4位)を、次にトロティエをそれぞれ指名し、スタンレーカップ4連覇のトップラインのうち3分の2を獲得したことになります。
※クラーク・ギリーズ=カナダ、サスカチュワン州ムースジョー出身、2022年1月死去、享年67歳。現役時のポジションは左ウィング。16歳の時、メジャーリーグのヒューストン・アストロズと契約していた経歴を持つ。
アイランダーズ4連覇時代、トロティエ、ボッシーと共に「トリオ・グランデ」を形成し、攻撃的なホッケーで一時代を築く。
1975-76シーズン、トロティエは19歳でNHLの新人王としてカルダー・トロフィーを獲得し、1977-78シーズン、NHL最高の134ポイント(47ゴール、87アシスト)を含む、5シーズン連続100ポイントの最初のシーズンを飾りました。
アイランダーズが初めてカップを獲得した1980年、スタンレーカップ・プレイオフのMVPとしてコン・スマイス・トロフィーを獲得し、15シーズンにわたって欠かすことのできない存在となったのです。
アイランダーズ史上最多の1,353ポイントを記録しており、500ゴールは、チャンピオンシップ時代のトップラインにおける3番目のメンバーである、ボッシー(573ゴール)に次ぐ記録となりました。
1991年と1992年にペンギンズのスタンレーカップ優勝に貢献した後、トロティエは1994年に引退し、1997年にホッケーの殿堂入りしています。
ドラフトで上位指名されても…
「もちろん、後悔先に立たずなのですが、1974年のNHLドラフトを振り返ってみると、22位のトロティエの前に指名された選手のうち、5人は100試合未満しかプレーしていません。そのうち3人は、11試合以下しか出場していないのです。
トロティエがアイランダーズに身を任せたとき、彼らは史上最高のツーウェイ・センター(攻撃も守備もこなせるフォワード)の1人を得ました。
トロティエは、2度のファーストチームNHLオールスター、6度のスタンレー・カップ優勝、カルダー・トロフィーとアート・ロス・トロフィー(レギュラー・シーズンで最多ポイント獲得選手に贈られる賞)を受賞し、レギュラーシーズンの最優秀選手としてハート・トロフィーを受賞(1978-79)、コン・スマイス・トロフィー受賞者でもあります。
レギュラーシーズン1,279試合で1,425ポイント(524ゴール、901アシスト)、スタンレーカップ・プレーオフ221試合で182ポイント(71ゴール、111アシスト)を記録しました。史上最高のドラフト指名選手の1人であることは間違いない」。—ブライアン・コンプトン編集長
22人中5人はほとんど使い物にならなかったなんて、
驚きだにゃ。
70年代、今と違って情報収集・分析力も
未開拓な部分あったと思うなぁ。
NHL史上最も背の高い選手、登場!
37.ズデノ・チャラ、D(ディフェンス)、(249ポイント)
指名順:ニューヨーク・アイランダース、第3巡目(全体56位)、1996年
NHL史上最も背の高い選手である6フィート9インチ(約2メートル8センチ)のチャラは、24年も過ごしたNHLシーズン中、体格だけでなく他の面でも際立っていました。
1,680試合出場はDFとしては最多で、2008-09シーズンにノリス・トロフィー(最優秀ディフェンス選手賞)を獲得しています。
彼はボストン・ブルーインズで過ごした14シーズン(2006-20)で最もよく記憶されており、ブルーインズが2011年にスタンレーカップを獲得し、2013年と2019年にファイナルに進出するまでのチーム文化を築き上げました。
「3度のスタンレーカップ決勝出場、14シーズンも務めたブルーインズのキャプテン、そして2011年にブルーインズで獲得した優勝を忘れても、彼が獲得したノリス・トロフィー(スロバキア生まれの選手としては初)は、その方程式から外しておくべきです。
チャラの実績として残されているものはすべて、今回の特別なリストに彼を加える原因になるでしょう。
ドラフト56位指名で、45歳という気の遠くなるような年齢までこのリーグでプレーし、24シーズンのNHLキャリアで平均23分30秒の出場時間を記録する選手は、そうそういるものではありません。
〈ビッグZ〉(チャラの愛称)がこれほど長い間、トップコンディションを維持するために自らを奮い立たせた熱心さ、チームへの献身、そしてゲームへの変わらぬ愛情は、ほとんど理解することができません。
もし1996年のNHLドラフトが今日やり直せるならば、リーグ史上最も背が高く、見たこともないような強烈なスラップショット(小さくて力強く、速いシュート)を放つこの選手を1位で指名するのは当然でしょう」。—ポール・ストリジェフスキー、スタッフライター
攻撃的ディフェンスマンの代表格!
36.ポール・コフィー、D、(249ポイント)
指名順:エドモントン・オイラーズ、第1巡目(全体6位)、1980年
NHL史上最もダイナミックな攻撃的ディフェンスマンの1人であるコフィーは、オイラーズ(1984、1985、1987)で3度、ピッツバーグ・ペンギンズ(1991)で1度、スタンレー・カップ優勝の原動力となりました。
1985-86シーズンに記録した48ゴールは、NHLのディフェンスマンにおけるシーズン最多得点記録であり、138ポイントはボビー・オア(139、1970-71)に次ぐ歴代2位の記録です。
※ボビー・オア=こちらの記事にも名前あり、参照のこと。
コーフィーは100ポイントを5シーズン記録しましたが、これはオアの6シーズンに次ぐ数字であり、40ゴールを複数記録したNHL史上唯一のディフェンスマンです(40、1983-84)。
コーフィーの396ゴールと1,531ポイントは、ディフェンスマンの中ではレイ・バーク(410ゴール、1,579ポイント)に次ぐ歴代2位であり、オア(1.39)と並んで、500試合以上に出場して平均1.00ポイント以上を記録した2人のディフェンスマンの1人です(1.09)。
※レイ・バーク=カナダ、ケベック州サンローラン出身、62歳。現役時のポジションはディフェンス。1991年3月21日、1試合でのゴール内シュート数19本というNHL記録保持者であり、1984年、1987年、1995年にはNHLのシュート数でトップに立った経験を持つ。
ノリス・トロフィーを3度(1984-85、1985-86、1994-95)獲得し、2004年にホッケーの殿堂入りを果たしました。
まとめ
レギュラー・シーズン48ゴールって、ディフェンスマンの記録じゃないです(笑)。ゴールテンダーを除く、5人の選手の連携がよほど取れていないと、ディフェンスマンが前線になかなか出てこられません。
まして試合展開によっては、スムーズにラインの交代を行えない場合もあるので、体力を消耗してしまい、ますます難しくなります。
ベースに並外れた体力があるのは当然として、ベンチの采配と選手の力量がバッチリ合った時、ディフェンスマンが点取り屋に変身するのも可能なのです。ディフェンスマンによる氷上のぶつかり合いだけでなく、彼らの得点シーンを楽しむのも、アイスホッケーの一興ではないでしょうか。
ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!