はじめに
NHL公式サイトに登場したよだれモン企画、過去のドラフトの歴史を振り返り、(ドラフト60周年にちなみ)史上最高のドラフト指名選手60人選出の第4弾です。今回は45~41位までの5人。今回はドラフト第1巡目・全体1位指名選手が2人もいます!
前回の記事はこちら→☆。
今年のドラフト1番くじは、シカゴ・ブラックホークスの手中にあります。16年前にも同チームは同じくじを持ち、そして、今回登場する「歴史に残る名選手」を指名しています。果たして今年も歴史を繰り返すことになるのでしょうか。
運命のドラフトまで、あとわずかまで来たにゃ。
ブラックホークスはそのまま「あの選手」を指名するのか。
それとも大どんでん返しがあるのか。
引用元:NHL.com「60 Diamonds: Greatest picks from 60 NHL Drafts, Nos. 50-41」。
プレデターズ初の永久欠番!
45.ペッカ・リネ、G(ゴールテンダー)、(172ポイント)
指名順:ナッシュビル・プレデターズ 第8巡目(全体258位)、2004年
リネはドラフトの年に見過ごされていたような存在で、最終指名の第8巡目まで残っていました。
2007-08シーズン、AHLでリネが36勝を挙げてトップに立っていても、プレデターズはまだ確信が持てなかったのか、2008年のNHLドラフトでゴールキーパーのチェット・ピカードを18位指名しています。
※チェット・ピカード=カナダ、ニューブランズウィック州モンクトン出身、33歳。プレデターズに指名されたものの、NHLでのプレー経験はなく、デンマークやドイツ等のヨーロッパ諸国のリーグで活躍。2022年7月26日、ドイツのグリズリーズ・ヴォルフスブルクで引退を発表。
リネは一度も動揺することなく、2021年にはトム・バラッソと並ぶリーグ史上20位タイの369勝を挙げ、15シーズンのNHLでのキャリアを終えました。
※トム・バラッソ=米国、マサチューセッツ州ボストン、58歳。1997年、NHLで300勝を記録した初の米国人ゴールキーパーであるが、ピッツバーグ在籍時、地元メディアと緊張関係にあったため、背番号35が永久欠番にならなかったとされている。
2017年、リネはプレデターズのスタンレーカップ決勝進出に貢献し、翌シーズンには42勝を挙げ、ヴァシレフスキーと並ぶリーグ最多の8完封を記録し、NHL最高のゴールキーパーとしてヴェジーナ・トロフィーを獲得しています。
彼の背番号35はプレデターズにとって最初の永久欠番であり、彼を称えて11フィートの銅像がブリヂストン・アリーナの外に立っています。
銅像についてのニュースは、こちら↓
2004年ドラフト指名選手中、第3位の働き
「私がリネを15位にランク付けした理由はいくつかあります。2004年の258位指名は、もはや存在すらしないようなラウンドで選ばれたものであり、その辺りのドラフト指名で、NHLやチームに彼以上のインパクトを与えた選手はほとんどいませんでした。
その年のドラフトで獲得した選手中、1位でワシントン・キャピタルズに指名されたアレックス・オベチキン(左ウィング、37歳)、2位でピッツバーグ・ペンギンズに指名されたエフゲニー・マルキン(センター、36歳)に次いで、3番目に優秀な選手であったことは間違いありません。
リネは出場試合数(683)、勝利数、平均失点(2.43)、セーブ数(17,627)、完封数(60)など、ほぼすべてのゴールキーパー部門でプレデターズのトップにいます。
4度のヴェジーナ・トロフィー・ファイナリスト(最終候補。チームマネージャーの投票による最も顕著な働きをしたゴールキーパーに贈られる。2010-11、2011-12、2014-15、2017-18)であり、ナッシュビル・コミュニティでの献身と活動が評価され、2020-21シーズンにはキング・クランシー記念トロフィー(チーム内でのリーダーシップ、人道的貢献が評価された選手へ贈られる)を受賞しました。
プレデターズは、最初の5シーズン、スタンレーカップのプレーオフ出場権を得られませんでしたが、リネ在籍中、彼が主力として活躍し、最後の7シーズンを含む15シーズン中12シーズンでプレーオフに進出しています」。–スタッフライター、デイヴィッド・サトリアーノ
銅像が建てられたのは、氷上でのプレーだけでなく、
リンク外での活動への尊敬と感謝の念の表れなんだにゃ。
NHL史上に残るトレードによって「名選手」へ!
44.ピーター・フォースバーグ、F(フォワード)、(176ポイント)
指名順:フィラデルフィア・フライヤーズ、第1巡目(全体6位)、1991年
フライヤーズはフォースバーグを指名しましたが、彼がフライヤーズでプレーしたのは2005年になってからでした。1992年、ケベック・ノルディックス(現在のコロラド・アバランチの前身)とのトレードで、エリック・リンドロスを獲得した際、フライヤーズの(交換要員として)最後の一枚となっています。
※エリック・リンドロス=こちらの記事を参照のこと→☆。
1994-95シーズン、フォースバーグはNHLに来てカルダー・トロフィー(シーズン最優秀新人選手賞)を獲得し、ジョー・サキックに次ぐセカンド・ラインのセンターとして1996年と2001年にコロラド・アバランチのスタンレー・カップ優勝に貢献しました。
脾臓破裂の手術と足首の怪我からの回復を目指すため、2001-02シーズンは欠場しましたが、2002-03シーズンに復帰し、106ポイント(29ゴール、77アシスト)でNHLのトップに立ち、ハート・トロフィー(シーズンMVP)を受賞しています。
怪我の影響で通算708試合の出場にとどまりましたが、1試合平均1.25ポイントは700試合以上出場選手中、歴代7位でした。2014年、フォースバーグはホッケーの殿堂入りを果たしています。
ケガさえなければ…
「フィラデルフィアがフォースバーグをドラフトで指名した時、フライヤーズのGMをしていたラス・ファーウェルと話した際、フォースバーグを際立たせていたのは、彼のゲーム内での〈攻め方〉だと言ったのを覚えています。
※ラス・ファーウェル=カナダ、アルバータ州ピースリバー出身、67歳。ウェスタン・ホッケー・リーグのシアトル・サンダーバーズのオーナー、ゼネラル・マネージャー。
1990〜1994年までフライヤーズのGMを務め、ケベック・ノルディクスと大トレードを行い、エリック・リンドロスの権利を獲得した。しかし、フライヤーズは、ファーウェル在任中、プレーオフ出場権を獲得していない上に、136勝150敗と負け越している。
ファーウェルは、〈サスカチュワンの男たち以上にサスカチュワンだ〉とも言いました。フォースバーグのプレーはとてもハードでタフなので、ホッケーリーグの他の選手は、彼を扱うことなどほとんどできません」。
※サスカチュワン=語源はカナダ・サスカチュワン州を流れる州と同名の川であり、意味は「速く流れる川」。
ファーウェルの言葉は、1885年3月~6月、現在のサスカチュワン州の先住民族が中心となり、自由と権利を求め、当時のカナダ政府と勇ましく戦った北西反乱(North-West Rebellion)を意味していると思われる。
彼の荒々しさと別次元並みのスキルが、フォースバーグを特別な存在にしたのです。それは不幸にも彼のキャリアを縮める怪我にもつながりました。しかし、出場した708試合のほとんどで、フォースバーグは氷上で最高の選手と言えます」。–アダム・キメルマン、副編集長
フライヤーズにとって、フォースバーグは残しておくべき
戦力だったのじゃないかにゃ。
スポーツの歴史に多い「たら」「れば」なんだが…。
トレードの代償で獲得した名ディフェンスマン
43.セルゲイ・ズボフ、D(ディフェンス)、(186ポイント)
指名順:ニューヨーク・レンジャーズ、第5巡目(全体85位)、1990年
レンジャーズは、フリーエージェントでノルディックにフォワードのギー・ラフルールを失った代償として、1990年のNHLドラフト5巡目指名開始の際、追加指名権を手にしました。
※ギー・ラフルール=カナダ、ケベック州サーソー出身、2022年死去、享年70歳。現役時のポジションは右ウィング。「ル・デーモン・ブロンド(金髪の悪魔)」の愛称で知られ、そのスピーディーなプレーとカリスマ性で人気を博した。
1976〜1979年まで、カナディアンズのスタンレーカップ4連覇の中心選手であったが故に、1978年の決勝戦、ブルーインズのヘッドコーチ、ドン・チェリーは選手たちにスティックを立てて、ラフルールをヒットするよう命令したと言われている。カップ戦終了時、何度も反則行為を受けたラフルールの頭に、分厚い包帯が巻かれていた。
この指名でズボフは選ばれ、母国ロシアでさらに2シーズンを過ごした後、1992-93シーズンにNHL入りしています。1993-94シーズン、89ポイント(12ゴール、77アシスト)を記録し、ディフェンスマンのブライアン・リーチと組んでスタンレーカップ優勝に貢献しました。
※ブライアン・リーチ=米国、テキサス州コーパスクリスティ出身、55歳。現役時のポジションはディフェンス。1991-92シーズン、102ポイントを記録し、シーズン100ポイントを記録したわずか6人のNHLディフェンス選手のうちの1人。
1989年、カルダー・トロフィーを獲得しているが、そのシーズンの23ゴールは新人ディフェンス選手のNHL記録となっている。
1999年、ダラス・スターズのカップ優勝にも貢献していますが、この時のズボフは23試合で平均30分16秒のアイスタイムでした。
ズボフは8シーズン50ポイント以上を記録し、2007年3月15日、ロシア出身のDFとしては史上2人目となる1,000試合出場を達成しています(1人目はアレクセイ・ジトニク)。2019年、ズボフはホッケーの殿堂入りを果たしました。
※アレクセイ・ジトニク=ウクライナ・ソビエト連邦キエフ(当時)出身、50歳。「ビッグ・ワン」ウェイン・グレツキーの通算1000ゴール目をアシストした選手として知られる。
NHLロックアウト後、ニューヨーク・アイランダーズと4年契約を結び、最初の2005-2006シーズン、足首の骨折で最後の18試合を欠場したにもかかわらず、チーム守備陣の中でポイント数で2位につける奮闘ぶりを見せた。
NHL現役若手選手の憧れ
42.パトリック・ケイン、F(フォワード)、(187ポイント)
指名順:シカゴ・ブラックホークス、第1巡目(全体1位)、2007年
2007年のNHLドラフトにおける北米スケーター最終ランキング2位だったケインを(1位はフォワードのカイル・タリス)、ブラックホークスが全体1位で指名し、米国生まれのフォワードが全体1位で指名されるのは、19年ぶりのことでした(マイク・モダノ〈1988〉以来)。
※北米スケーター最終ランキング=詳細はこちらで→☆。
※カイル・タリス=カナダ、ブリティッシュコロンビア州ニューウェストミンスター出身、33歳。現役時のポジションはセンター。結局、タリスはフェニックス・コヨーテズから3位指名を受け、加入。しかし、2011-12シーズン開幕前、契約問題がこじれ、オタワ・セネターズに移籍している。
※マイク・モダノ=41位で紹介。
スタンレーカップで3回優勝した後、ブラックホークスが正しい選択をしたのは明らかです。
2010年のフライヤーズとの決勝第6戦、ケインはスタンレー・カップを決める延長戦でゴールを決め、2013年、ブラックホークスがカップを獲得したとき、コン・スマイス・トロフィー(プレーオフ最優秀選手)を獲得しました。
2015-16シーズン、106ポイント(46ゴール、60アシスト)でNHLのトップとなり、米国生まれの選手として初めてハート・トロフィーを獲得しています。
2015年、ケインはシカゴのカップ連覇に貢献し、1,237ポイント(451ゴール、786アシスト)は、米国生まれの選手としてモダノ(1,374)に次ぐ歴代2位の記録です。
「ケインは、世代を超えた才能を持ち、NHLでプレーするアメリカ人選手の中で間違いなく最高の選手であるため、私のリストでは18位としました。
スタンレーカップ優勝3回、アート・ロス・トロフィー、ハート・トロフィー、コン・スマイス・トロフィー、カルダー・トロフィーを受賞(2007-08シーズン)という実績が、それを証明しています。ケインは米国生まれの選手でモダノに次ぐ得点王ですが、彼の方がインパクトがありました。
彼はブラックホークスの黄金時代の到来を告げるのに貢献しました;
2010年ファイナル第6戦の延長戦4分6秒、フライヤーズのゴールキーパー、マイケル・レイトンのショートサイド(ゴールテンダーの体に近いサイド)に、ケインのリストショットがパックを滑り込ませるまで、シカゴは49年間スタンレーカップを獲得していませんでした。
※マイケル・レイトン=カナダ、オンタリオ州ペトロリア出身、42歳。2003年1月8日、レイトンは、NHLデビュー戦となるフェニックス・コヨーテズ戦で、デビュー戦完封を記録した初のブラックホークス選手となった。
なお、相手方のキーパー、ザカリー・バークもキャリア初完封を達成しており、同じ試合で2人のゴールテンダーが共にキャリア初完封を達成したのは、史上初。
そしてケインのスピード、技術、そして威圧感は、ニュージャージー・デビルズのフォワード、ジャック・ヒューズ(センター、22歳)のような現在の若い世代のアメリカ出身NHL選手に影響を与えています」。—ウィリアム・ダグラス、スタッフライター
NHLの歴史を振り返る時、必ず名前が出るであろう
「超」名選手だにゃ。
来シーズンはどこでプレーするのか、
このまま消えてしまうには誠に惜しいレジェンドだ。
全体1位指名選手が続きます!
41.マイク・モダノ、F、(192ポイント)
指名順:ミネソタ・ノーススターズ、第1巡目(全体1位)、1988年
モダノのスケーティングと強さは21シーズンにわたって発揮され、そのうち20シーズンはノース・スターズ/ダラス・スターズでプレーしました。33ゴール以上を記録したシーズンは9回あり、ダラスでのフランチャイズ初年度となった1993-94シーズン、50ゴールを記録しています。
1999年のスタンレーカップのプレーオフ、モダノは23試合で23ポイント(5ゴール、18アシスト)を獲得し、NHLで2位となりました。
バッファロー・セイバーズとのファイナル第5戦と第6戦、第6戦の3回目のオーバータイムで、ブレット・ハルがカップを決めるゴールを含め、モダノはダラスの4ゴールをアシストしています。
※ブレット・ハル=カナダ、オンタリオ州ベルビル出身、58歳。現セントルイス・ブルーズ副社長。偉大なる得点王ボビー・ハルの息子。「守備をしない選手」「プレーオフで勝利をもたらさない選手」という評判もあったが、プレーオフにおいて試合を決定づけるゴール数24は歴代最多である(グレツキーとタイ)。
モダノはアメリカ出身選手の中でゴール数(561)とポイント数(1,374)で歴代1位であり、2014年にホッケーの殿堂入りしました。
まとめ
記事の注釈に出てくる選手の中にも、かなりの名選手がいて、ブレット・ハルなんかはその典型的な例と言えるでしょう。投票権を持つライターの皆さんの傾向として、現役時代にビッグ・マウスだったり、ちょっと派手でブイブイ言わせていた選手は敬遠されるようです。
観て、楽しんでいるだけのファンの立場で言えば、ちょっとくらいは規格外の生活態度を見せたり、言動をしてもいいから、ここ一番で頼りになる選手の方が魅力的に見えるのです。来季以降、どんなスーパースターが出てくるのか、その一端を占うドラフトに注目していきましょう。
ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!