1967年、12チームになったNHL。でもみんな熱狂!【中編】

アイスホッケー名選手

はじめに 

 今回は、「1967年10月18日、全12チーム対戦する6試合が1日で行われた」様子を伝える記事、「1967年、12チームになったNHL。でもみんな熱狂!【中編】」をお届けします。 

前編はこちら→。 

 前回同様、NHLの歴史を彩った名選手がてんこ盛りで出てきます。今回、記事を作成していて、NHLでプレーした全選手のキャリアを網羅した事典とか発売されていないのかな、ふと思いました。そういう記録について、NHL公式サイトをはじめ、今では全部ネットにアップされているんですかね。 

讃岐猫
讃岐猫

今回も、歴史に名を残す名選手からいぶし銀の控え選手、

そして名スポーツライターまで出てくるにゃ!

引用元:NHL.com「All 32 NHL teams on ice for 1st time recalls similar scene in 1967」。

スタンレーカップ前回王者が敗ける波乱 

デトロイト・レッドウィングス3、トロント・メープルリーフス2 

 レッドウィングスのテッド・ハンプソン、ダグ・ロバーツ、ノーム・ウルマンの3人が得点し、メープルリーフ・ガーデンズで行われた試合で、スタンレーカップの前回王者を破りました。 

テッド・ハンプソン=カナダ、サスカチュワン州トーゴ出身、86歳。現役時のポジションはセンター。NHLと下部リーグを往復する選手だったが、この67−68シーズンからNHLに定着。 

 NHL引退後も下部リーグチームのGM兼監督兼選手をやり、さらに40年間もスカウトとして精力的に活動。 

ダグ・ロバーツ=アメリカ、ミシガン州デトロイト出身、80歳。現役時のポジションは右ウィング。NHLにアメリカ人選手がほとんどいなかった60年代末から70年代初頭、弱いシールズの唯一の代表として1971年のNHLオールスターゲームに参加している。 

ノーム・ウルマン=カナダ、アルバータ州プロボスト出身、87歳。現役時のポジションはセンター。優れたスティックハンドラーとして、またホッケーの歴史上、スタミナとブレないプレーの一貫性で、最高のフォアチェッカーの1人としても知られる。 

 デトロイト・フリー・プレスの見出しを飾ったのは、「今年は(デトロイトにとって)新しい時代の幕開きだ…ウィングスがアウェイの敵地で勝利!」でした。

地元マスコミは大騒ぎ 

 「何があったと思う?ウィングスは現在1位です」とジャック・ベリーはタイプしました。「確かに、モントリオールやボストンとは同率だ。 

 そして、6ヶ月のシーズンに入ってまだ1週間しか経っていないのも間違いないが、とんでもないことに、ウィングスは昨シーズン1月に20試合目のアウェイゲームを行うまで、アウェイで試合に勝てなかったんだ」。 

ジャック・ベリー=ミシガン州デトロイト出身、91歳。スポーツ・ジャーナリストで、主にゴルフを得意とするが、1970年にNHLライターズ・アソシエーションの副会長に選出され、1971年にプロ・ホッケー・ライターズ・アソシエーション(PHWA)に改名され、会長に就任している。 

 レッドウィングスのシド・エイベル監督は、センターと右ウイングにゴーディ・ハウを起用し、彼を中心としたラインで試合に望みました。 

シド・エイベル=カナダ、サスカチュワン州メルヴィル出身、2000年死去、享年82歳。現役時のポジションはセンター。レッドウィングス及びブラックホークスに所属し、3度のスタンレー・カップ優勝を経験。 

 引退後、1970年代、1980年代を通じ、レッドウィングス系列のラジオ放送において、コメンテーターを務める。 

ゴーディ・ハウ=カナダ、サスカチュワン州フローラル出身、2016年死去、享年88歳。現役時のポジションは右ウィング。愛称は「ミスター・ホッケー」。 

 NHL及びWHA両リーグに渡って長期間活躍し、引退後、3年間の待機期間を待たずしてホッケーの殿堂入りを果すとともに、カナダ勲章を受勲している。 

 ロジャー・クロージャーの控えゴールキーパーであるジョージ・ガードナーは、最初2勝を挙げていたものの、その後3連敗していたトロントを相手に28セーブをマークしています。 

ロジャー・クロージャー=カナダ、オンタリオ州ブレイスブリッジ出身、1996年死去、享年53歳。10代の頃から膵炎などに悩まされていたが、スタンレーカップ・ファイナルで負けたチームの選手でありながら、コン・スマイス・トロフィー(プレーオフ最優秀選手賞)を獲得した最初のプレーヤーである。 

ジョージ・ガードナー=カナダ、ケベック州ラシーヌ出身、2006年死去、享年64歳。NHL時代は長く不遇の時を過ごしたが、1970年、カナックスがNHLに参入した際、同チームへ移籍し、最初の正ゴールキーパーとなる。 

讃岐猫
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60年代末、NHLにほとんど米国出身選手がいなかった、

ってのには正直驚いたにゃ!

「伝説の名選手」が大活躍 

ミネソタ・ノーススターズ3、ピッツバーグ・ペンギンズ3 

 フォワードのアンディ・バスゲートは、メイプルリーフスで1964年のスタンレーカップを獲得した経験を持ち、レンジャーズでも伝説の選手とされています。1965年から67年までデトロイトで2シーズンを過ごし、その2年目にマイナー落ちしたベテランは、引退を覚悟していました。 

アンディ・バスゲート=カナダ、マニトバ州ウィニペグ出身、2016年死去、享年83歳。記事では「レンジャーズでも伝説の選手」とあるが、チーム成績が思うように上がらないため、本人は欲求不満だったらしい。ペンギンズでは、この後にマイナー・チームへトレードされるのだが…。 

 1967年のNHLエクスパンション・ドラフト全20巡目のうち19巡目に入るまで、彼は指名されていませんでしたが、新6球団から指名された120人の選手のうち、遂に112番目の指名でペンギンズに入団しました。 

 10月18日、イグルーで3,885人のわずかな観客の前で、バスゲートはキャリア6回目で最後のハットトリックを決め、ペンギンズは同点となりました。 

イグルー=北極圏のツンドラ地帯において、芝土または雪のブロックでドーム型に建てられる住居のこと。2011年に取り壊されたペンギンズの以前の本拠地、シビック・アリーナが似ているため、そう呼ばれていた。 

 レッド・ケリー監督のもと、ピッツバーグのネットを守り、タイスコアに持ち込んだのは、NHLデビューとなるレス・ビンクリーでした。 

レッド・ケリー=カナダ、オンタリオ州シムコー出身、2019年死去、享年91歳。ディフェンスあるいはセンターとして20シーズンのキャリアを誇り、引退後、3年間の待機期間を待たずに、ホッケーの殿堂入りを果した10人の選手のうちの1人である。 

 また、下院議員と現役プレーヤーを両立させた「二刀流」でも知られる。 

レス・ビンクリー=カナダ、オンタリオ州オーウェンサウンド出身、88歳。33歳でNHLデビューを果たした超遅咲きゴールテンダー。マイナー・リーグで数々の記録を打ち立て、それがペンギンズのスカウトの目に止まり、同チームの初代正ゴールテンダーに抜擢される。 

讃岐猫
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ビンクリーのように、マイナーリーグの強者が

どんどんNHLにやってきたのが1967年。

NHLのレベル上昇と共に、

「もっとチームを増やそう」って機運が高まっていくんだにゃ。

ノーススターズ監督、記者団に嘯く 

 もしノーススターズのコーチ、レン・ブレアがバスゲートの努力に感銘を受けたとしても、それを口には出しませんでした。 

レン・ブレア=カナダ、オンタリオ州リンジー出身、2013年死去、享年87歳。ホッケーのプロ経験は無いが、若い頃からマイナー・チームの運営を幾つも手掛け、それで得た経験と人脈を駆使し、1967年、NHLからミネソタ・ノース・スターズは拡張フランチャイズの資格を授与されることとなる。 

 しかし、ブレアはGMと監督を往復して、じっくり腰を落ち着けなかったためか、チームはあまり強化されず、1974年に解雇される。 

 「他のチームなんか見ていないよ、自分のチームの選手を見る時間しかない」と記者団に語っています。「(バスゲイトは)プレイしていたのか?」。 

 チーム拡張後のハットトリックは2回目で、ボストン・ブルーインズのセンター、フィル・エスポジトが3日前のカナディアンズ戦で4ゴールを決めていました。 

フィル・エスポジト=カナダ、オンタリオ州スーセントマリー出身、81歳。ブラックホークス、ブルーインズ、レンジャーズでスター選手・キャプテンとして君臨。さらに1972年のカナダ対ソ連でもカナダ代表のキャプテンを務め、チームを勝利に導き、自らはポイント王に輝いている。

ブルーインズ、黄金時代への狼煙 

ボストン・ブルーインズ7、シカゴ・ブラックホークス1 

 アウェイの地にやってきたブルーインズは、ホスト・チームをミンチ肉状にしてしまいました。シカゴ・スタジアムで行われた試合では、シュート数36-19でブラック・ホークスを圧倒し、スコアボードでも7-1で粉砕してしまったのです。 

 シカゴで最初の4シーズンをプレーしたエスポジトにとって、里帰りではありましたが、1967年5月15日、ジル・マロット、ピット・マーティン、ジャック・ノリスとの交換で、フレッド・スタンフィールド、ケン・ホッジとともに、彼はボストンにトレードされました。 

ジル・マロット=カナダ、ケベック州モントリオール出身、2005年死去、享年60歳。現役時のポジションはディフェンス。NHL5チーム、マイナーリーグ3チームでプレーした渡り鳥。大記録は残していないが、いぶし銀のプレーで、貴重な控え選手として重宝された。 

ピット・マーティン=カナダ、ケベック州ノランダ出身、2008年死去、享年64歳。現役時のポジションはセンター。フランスの新聞の漫画のキャラクターにちなんで、ピットと呼ばれる。 

 この移籍で得をしたのはブルーインズだが、ピット本人は移籍によりひと皮むけ、ブラックホークスの中心選手として、オールスターに4度選ばれるなどスター選手となる。 

ジャック・ノリス=カナダ、サスカチュワン州デリスル出身、80歳、現役時のポジションはゴールテンダー。残念ながらNHLではあまり活躍できず、ほとんどマイナーリーグで現役時代を過ごす。この移籍も長続きせず、2年後にAHLのチームへトレードされる。 

フレッド・スタンフィールド=カナダ、オンタリオ州トロント出身、2021年死去、享年77歳。現役時のポジションは、フォワードならどこでも。キャリアを通じて、14分以上のペナルティを受け取ったのは1度だけだったので、クリーン・プレーヤーとして知られる。 

ケン・ホッジ=イギリス、バーミンガム出身、78歳。現役時のポジションは右ウィング。NHLの歴史の中で数少ない英国生まれの選手の1人。1970−1971シーズン、右ウィンガーとしては最高のポイント数105(当時)を記録し、最強と恐れられたブルーインズの攻撃の一翼を担う。 

 エスポジトは勝利チームのために1アシストのみ、スタンフィールドは1アシストで2ゴールを記録したとなっています。 

 1966-67シーズン、NHLのトップルーキーとしてカルダー・トロフィーを獲得し、リーグ最高のディフェンスマンとしてノリス・トロフィー8連覇という歴史的な偉業を始めようとしていたボビー・オアは、この試合で、シーズン初ゴールを記録しました。 

 このゴールは、その輝かしいキャリアで彼が獲得することになる270ゴールのうち、14ゴール目となります。 

ボビー・オア=カナダ、オンタリオ州パリーサウンド出身、75歳。現役時のポジションはディフェンス。史上最も偉大な100人のNHL選手の1人(2017年選出)。 

 9回のハットトリックを記録した最初で唯一のディフェンダー・1シーズンで30ゴール(1969–70)と40ゴール(1974–75)を記録した最初のディフェンダー・1シーズンで100アシストを記録した最初の選手(1970–71)等、その記録の数々を挙げると枚挙に暇がない。

 1967−68シーズンの映像はないのですが、その前のシーズン、ボビーがルーキーだった時の映像を、どうぞ。

 

讃岐猫
讃岐猫

60年代後半のブルーインズは抜群の攻撃力を誇って、

黄金期を迎えるのだにゃ。

今のブルーインズとどっちが強いだろ。

次回もお楽しみに!

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!

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