はじめに
カナダといえばホッケーの本場🇨🇦。それなのに、実はNHLでカナダのチームがスタンレーカップを最後に手にしたのは1993年なんです。なぜ「ホッケーの国」が30年以上も頂点から遠ざかっているのか?
歴代の名勝負や経済的ハンデを振り返りつつ、2025年のオイラーズに期待が集まる今、NHLでカナダのチームの運命や、いかに!
参照記事:USA Today1「Canada’s Stanley Cup drought is decades long: Can Edmonton Oilers end it?」
🏒「ホッケーの国」カナダが、長年スタンレーカップを獲れない理由
カナダといえば、誰もが思い浮かべるのが「ホッケーの国」というイメージですよね🇨🇦。国民的スポーツとして愛され、街中のリンクでも子どもたちがスティックを握って走り回っている姿を見かけます。でも実は、そんなカナダが、長年スタンレーカップのタイトルから遠ざかっていることをご存じでしょうか?
最後にカナダのチームがスタンレーカップを制したのは、なんと1993年。モントリオール・カナディアンズが優勝してから、すでに30年以上の月日が経っているんです😲。
1980年代はまさに黄金時代で、1984年から1990年にかけて、カナダのチームは7シーズン連続で優勝(エドモントン・オイラーズが5回、カナディアンズとカルガリー・フレームスがそれぞれ1回ずつ)🏆。
1982年から1990年まで2は毎年、スタンレーカップ決勝にカナダのチームが進出していましたし、1986年と1989年にはカナダ同士のファイナルも実現しました🏆。当時はカナダのチームが優勝するのが当然のように思われていました。
しかし、1993年を最後にチャンピオンの座から遠ざかっています。バンクーバー・カナックスは1994年の決勝で敗れて(ニューヨーク・レンジャーズに敗退)以降、2004年まで誰も決勝にすら進めなかったのです(フレームスが決勝進出、タンパベイ・ライトニングに敗退)。そして、2025年現在も優勝はなし…。
2025年のオイラーズは、その空白を終わらせようとする最新のチームです。昨シーズンはフロリダ・パンサーズに敗れたものの、今年再びチャンスをつかんでいます。
🏆1993年、モントリオール・カナディアンズの優勝劇
1993年のカナディアンズの優勝は、まさにドラマチックな展開の連続でした✨。当時のゴールキーパー、パトリック・ロワ3がチームを牽引し、延長戦で10連勝4するという驚異的な記録を作り上げたのです。
さらに、決勝ではロサンゼルス・キングスのマーティ・マクソーリー5のスティックが「違反スティック」だったのではないかと問題に。カナディアンズは、第1戦で敗れたときには何もしませんでした。しかし、第2戦の第3ピリオド終盤で1対2とリードされていた際、デマースはマクソーリーのスティックの湾曲6に対して正式にチャレンジを行っています。
「両チームのスティックは廊下に置いてあって、我々はそこで見たし、氷上でも確認していた」と、当時の監督ジャック・デマース7は後にUSA TODAY Sportsに語っています。「マクソーリーがピリオド終了時にスティックを替えないことも分かっていました」。
このチャレンジが功を奏し、パワープレーのチャンスを得たカナディアンズは、ディフェンスのエリック・デジャルダン8が得点。その後、延長戦でも得点を決めて勝利。最終的にモントリオールは5試合でシリーズを制しました。
デマース監督も「我々にも違反スティックの選手はいたし、相手にもいた。たまたまマクソーリーを狙っただけ」とコメント。結果的にこの勝利がシリーズの流れを変え、最終的にモントリオールは5試合で王者の座に輝きました🏅。
湾曲スティックに関する一部始終。デマース監督の策士ぶりとマクソーリーの悲劇…。
💸 なぜカナダのチームは勝てなくなったのか?
カナダのチームが優勝から遠ざかっている理由のひとつが、経済的な壁です💰。カナダドルの価値9がアメリカドルに比べて低いため、カナダのチームは収入はカナダドルで得ているのに、選手への給与はアメリカドルで払わなければならず、資金面で大きなハンディを背負っていました。
これが原因で、スター選手を維持するのが難しくなっていたのです。しかし、2005年にサラリーキャップ(給与上限)と収益分配制度10が導入され、規模の小さい市場のチームでも競争力を保ちやすくなりました。
一方で、チームのアメリカ南部への移転もありました。アリーナの問題から、ケベック・ノルディクスは1995年にデンバーへ移転し、コロラド・アバランチに。移転後すぐ、パトリック・ロイをトレードで獲得したそのシーズンに優勝を果たしています。ウィニペグ・ジェッツも1996年にアリゾナに移り、フェニックス・コヨーテズ(現ユタ・マンモス)となりました。
カナダは2011年にアトランタ・スラッシャーズがウィニペグへ移転したことでジェッツを取り戻しましたが、スタンレーカップを獲得できるのは1チームだけですが、今やアメリカは25チームに対してカナダは7チームだけ。ライバルの数でも差があるのです⚔️。

アメリカ南部にチームが増えた裏事情にドルの問題があったんだ、勉強になるにゃ。まあ、大企業はアメリカに多いわけだし、仕方ない部分もあるかな。いろいろ批難を受けているサラリーキャップ制度だけど、功罪両面あるってのも納得。ただ、ミッコ・ランタネンの例にもあるように、あっちこっちへトレードでたらい回しにされる選手が今後増えるかも。
🔥 1993年以降、決勝に進んだカナダのチームたち
1993年以降もカナダのチームは何度か決勝まで進みましたが、惜しくも優勝はならず…😢。
1994年:バンクーバー・カナックスは1勝3敗から巻き返して同点に追いつきましたが、ニューヨーク・レンジャースがホームで第7戦を制し、1940年以来の優勝を手にしました。
2004年:カルガリー・フレームスはタンパベイ・ライトニングと7戦までもつれた末に敗北。第6戦でのマーティン・ジェリナによる先制ゴールが見逃された(と思われる)場面もあり、ライトニングがダブルオーバータイムで勝利、第7戦もホームで勝ち取りました。
いろんな角度からの映像がYouTubeにアップされていますが、これが一番分りやすいかな。入ってるでしょ、これ。
2006年:エドモントン・オイラーズは1勝3敗からシリーズをタイに戻しましたが、カロライナ・ハリケーンズに第7戦をホームで制しました。
2007年:オタワ・セネターズはアナハイム・ダックスに5試合で敗れました。
2011年:カナックスは2勝0敗、そして3勝2敗とシリーズをリードしたものの、ボストン・ブルーインズに第7戦のホームで敗退。
2021年:モントリオール・カナディアンズはカナダチームだけのディビジョンから決勝に進出するも、ライトニングに5試合で負けました。
2024年:エドモントン・オイラーズは最初の3試合に敗れましたが、次の3試合を取り返してシリーズをタイに。しかし、パンサーズが第7戦のホームで勝利しました。
カナダチームの挑戦は続いていますが、なかなか頂点に立てないもどかしさがありますね😓。
🚀 エドモントン・オイラーズ、ついに悲願の優勝なるか?
2025年、エドモントン・オイラーズがまたしてもスタンレーカップ優勝を狙います!今年はホームアイス・アドバンテージ11があり、昨シーズン敗れたフロリダ・パンサーズの特徴もよく理解しています。経験を積んだチームは、前回よりも落ち着いた雰囲気で挑んでいるようです😊。
「今回はそんなに大きなプレッシャーを感じていない」と、スター選手のコナー・マクデイビッドは2年連続となる決勝進出について話します。「去年は monumental(非常に重要)で、すごく劇的に感じた。今年はすごく普通に感じるんだ」。
2015年と2014年のドラフトで指名されたマクデイビッドとレオン・ドライザイトルがチームを牽引し、同じく指名されたエヴァン・ブシャール、ダーネル・ナース、ライアン・ニュージェント=ホプキンス、スチュアート・スキナーら、若いドラフト組がチームを支えています。
さらにマティアス・エクホルムやエヴァンダー・ケイン、コーリー・ペリーなどのFAやトレードによるベテランの補強も積み重ね、戦力は充実。
ザック・ハイマンは欠場していますが、オイラーズは昨年よりも健康状態が良く、選手層も厚くなっていて、現在はチャンピオンシップを制するような「ロックダウン・ディフェンス(堅守)」も展開できています。
「誰かがミスしても必ずカバーできる、自陣での守りは、本当に良くなったと思う」とマクデイビッドは自信を見せています。USA TODAYの記者3人中2人もオイラーズの優勝を予想しています🏅。「やり遂げるためにここにいる」とマクデイビッド。カナダホッケーの長い冬は、ついに終わるのか…?👀✨
【追記】日本時間で6月5日・午前中に行われたスタンレーカップ決勝・第1戦、レオン・ドライザイトルが先制点とオーバータイムでの決勝点の2ゴールを挙げ、4-3でオイラーズがフロリダ・パンサーズに先勝。ケガから復帰したベテラン・ディフェンスマン、マティアス・エクホルムの同点ゴールで、オイラーズが俄然活気づいたように見えました。
まとめ
経済的な不利、移転、そしてあと一歩届かない決勝の壁――カナダのNHLチームは長年、さまざまな困難と戦ってきました。そんな中、経験と実力を兼ね備えたエドモントン・オイラーズに今、大きな期待が寄せられています。悲願のカップ奪還なるか、注目です!✨

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!
【註釈】
- 1982年に創刊されたアメリカの全国紙で、視覚的にわかりやすい紙面構成と簡潔な文体が特徴。発行元はGannett社で、全米50州に読者を持つ。近年はデジタル展開を強化しており、インタラクティブな記事や読者参加型の機能(コメント、推薦、コミュニティ機能)を通じて、オンラインメディアとしても存在感を高めている。英語が平易なため、英語学習者にもおすすめ。
↩︎ - スタンレーカップ決勝に進出したカナダのチームは以下の通り。
1982年: バンクーバー・カナックス→ニューヨーク・アイランダーズに敗退。
1983年: エドモントン・オイラーズ→ニューヨーク・アイランダーズに敗退。
1984年: エドモントン・オイラーズ→ニューヨーク・アイランダーズに勝利。
1985年: エドモントン・オイラーズ→フィラデルフィア・フライヤーズに勝利。
1986年: モントリオール・カナディアンズ→カルガリー・フレームスに勝利。カナダ同士。
1987年: エドモントン・オイラーズ→フィラデルフィア・フライヤーズに勝利。
1988年: エドモントン・オイラーズ→ボストン・ブルーインズに勝利。
1989年: カルガリー・フレームス→モントリオール・カナディアンズに勝利。カナダ同士。
1990年: エドモントン・オイラーズ→ボストン・ブルーインズに勝利。
↩︎ - モントリオール・カナディアンズとコロラド・アバランチでプレーし、それぞれのチームで2度ずつ、合計4つのスタンレーカップを獲得。
彼はNHL史上唯一、コーン・スマイス・トロフィーを3度受賞した選手であり、異なる2つのチームでそれを達成した唯一の選手でもある。ロワはバタフライスタイルのゴールテンディングを普及させたことでも知られている。
選手引退後、ロワはコロラド・アバランチとケベック・メジャー・ジュニアホッケーリーグ(QMJHL)のケベック・ランパーツのコーチを務めた。現在、NHLのニューヨーク・アイランダーズのヘッドコーチ。
↩︎ - ディヴィジョン・セミ・ファイナルのケベック・ノルディクスとの第3戦(4月22日。ちなみに第1戦も延長戦となったが、カナディアンズは敗戦)からスタンレー・カップ決勝のロスアンゼルス・キングスとの第4戦(6月7日)まで、この間行われた延長戦10試合は全てカナディアンズが勝利している。
↩︎ - 1983年から2000年までNHLでプレーし、フォワードとディフェンスの両方をこなす多才さと、エンフォーサーとしての役割で知られていた。
1985年にエドモントン・オイラーズにトレードされてから有名になり、「ウェイン・グレツキーのボディーガード」と言われていた。この役割は、1988年にグレツキーとともにロサンゼルス・キングスに移籍した後も続いた。
キングスでは、マクソーリーのフィジカルなプレースタイルがファンに愛される一方で、その勤勉さと知性でも尊敬を集めた。キャリアのハイライトには、1992-93 NHLシーズンがあり、ショートハンドゴール数で全ディフェンスマン中トップ。
キングスはこのシーズンに1993年のスタンレーカップ決勝に進出。第2戦でマクソーリーが違反スティックを使用したとしてペナルティを受け、モントリオール・カナディアンズの勝利に繋がり、最終的にシリーズを落とすという決定的な瞬間があった。
彼のキャリアは、2000年にドナルド・ブラッシャーをスティックで暴行し、出場停止処分と有罪判決を受けた事件によって損なわれた。NHLキャリアの後、マクソーリーはスプリングフィールド・ファルコンズのコーチを務め、映画やテレビ番組で小さな役を演じていた。
↩︎ - ブレード(先端の湾曲部分)の湾曲度合いが規定を超えるものは違反となる。最も一般的な違反の一つ。ブレードの湾曲が深すぎると、パックをよりコントロールしやすくなったり、シュートの威力を増したりする可能性があるため、最大湾曲度が制限されている。マクソーリーのケースはこれに該当する。
↩︎ - 1944年8月25日生まれの元カナダの上院議員であり、放送事業者。コーチとしてのキャリアは長く、世界ホッケー協会(WHA)とNHLで指揮を執った。WHAでは、インディアナポリス・レーサーズをイースタン・ディビジョン優勝に導き、1979年のWHAオールスターシリーズではウェイン・グレツキーのコーチも務めた。
NHLでは、ケベック・ノルディークス、セントルイス・ブルース、デトロイト・レッドウィングス、モントリオール・カナディアンズ、タンパベイ・ライトニングのヘッドコーチを歴任。レッドウィングス時代には2年連続でカンファレンス決勝に進出し、1987年と1988年にはNHLの最優秀コーチに贈られるジャック・アダムス賞を2度受賞している。
そして、1993年にはモントリオール・カナディアンズを、チームにとって現時点での最後のスタンレーカップ優勝へと導いた。WHAとNHLを合わせてコーチとして1,317試合出場、553勝612敗152引き分けの記録を残し、プレーオフには11回進出。
↩︎ - NHLでモントリオール・カナディアンズとフィラデルフィア・フライヤーズに所属し、17シーズンにわたってプレー。
彼は1987年のNHLドラフトでモントリオール・カナディアンズから全体38位で指名され、1993年にはモントリオールでスタンレーカップを獲得。特に1993年のスタンレーカップ決勝第2戦では、チームの全得点を挙げ、これは彼のキャリアで最も有名なパフォーマンスと言える。
1995年、デシャルダンはフィラデルフィア・フライヤーズにトレードされ、そこで残りのキャリアを過ごした。フライヤーズでは、2度のNHLセカンドチーム・オールスター選出(1999年、2000年)と、2度のオールスターゲーム出場(1996年、2000年)を果した。また、チームの年間最優秀ディフェンスマンに贈られるバリー・アッシュビー・トロフィーを7度も受賞。
↩︎ - 米ドルは世界の基軸通貨として世界経済の影響を大きく受け、カナダドルは「資源国通貨」として原油価格などに連動しやすいという特徴がある。一般的に米ドルの方が価値が高い傾向を持つ。
北米の主要プロスポーツリーグでは、選手の給与はほとんどが米ドル建てで支払われ、カナダを本拠地とするチームにとっては、為替レートが重要になる。カナダのチームは収益の多くをカナダドルで得る一方で、選手の給与などの大きな支出は米ドルで支払う。
このため、カナダドルが米ドルに対して下落(カナダドル安)すると、チームは実質的に支出が増え、財政を圧迫されることに。これは、選手の獲得やリーグ全体のサラリーキャップにも影響を及ぼす可能性がある。
選手が受け取る給与自体は米ドル建てで変動しない。しかし、カナダに居住しカナダドルで生活費を支払う選手にとっては、カナダドル安になると、米ドルで受け取った給与をカナダドルに両替した際の価値が増し、購買力が高まることになる。
↩︎ - NHLの収益分配制度は、各チーム間の財政格差を是正し、リーグ全体の競争力を高めるための重要な仕組み。これは、特に市場規模の小さいチームや為替変動の影響を受けやすいカナダのチームを財政的に支える役割を担っている。
○リーグ全体の放映権料やグッズ販売のロイヤリティ、スポンサーシップ収入などは、リーグが一括して管理し、各チームに均等に分配される。これにより、どのチームも安定した収入源を確保できる。
○収益の高いチームから、収益の低いチームへ一定割合の資金が拠出・再分配される。これは、カナダのチームや小規模市場のチームが財政的に苦しい状況に陥るのを防ぐことを目的とする。
○リーグの総収入に基づいて毎年調整されるサラリーキャップ(年俸総額の上限と下限)の維持にも、この制度は貢献。収益分配により、すべてのチームがサラリーキャップの下限を守るための財政基盤を確保しやすくなる。
この制度があることで、一部の裕福なチームが選手を独占することを防ぎ、より多くのチームが優勝争いに加わる機会を得られるため、リーグ全体の魅力と持続可能性が向上している。
↩︎ - 7戦4勝制のシリーズにおいて、より多くの試合(第1、2、5、7戦)を自チームの本拠地で開催できる権利を指す。このアドバンテージは、レギュラーシーズンでのポイント(勝ち点)がより多いチームに与えられる。 ↩︎