NHLの未来:クロスビー&オベチキンを超えるか?ベダード&セレブリーニ

現役スター選手紹介

はじめに

 ホッケーファンの皆さん、こんにちは!👋今日は、NHLの未来を担う2人の若きスター、コナー・ベダードとマックリン・セレブリーニについてお話ししたいと思います。

 彼らが、かつて一時代を築いたシドニー・クロスビーとアレックス・オベチキンのような、新たなライバル関係を築くのではないかと、今大きな注目を集めているんですよ👀✨

参照記事:Bleacher Nation1Will Bedard-Celebrini Become the New Crosby- Ovechkin Rivalry for the NHL?

次世代のライバル物語、ベダード vs. セレブリーニ

 シカゴ・ブラックホークスとサンノゼ・シャークスは、それぞれ再建の道を歩んでおり、その中心には未来の希望と言うべき、ベダードとセレブリーニのキャリアの始まりは、常に比較の対象となっています。

 この2人の若手は、それぞれ異なる場所や視点、経験、期待を持ちながらNHLにやってきましたが、そのキャリアの始まりは常に比較の対象となっています。それぞれのフランチャイズは、2010年代の「栄光の日々」をもう一度迎えるべく、新たなアプローチでチームを再構築しようとしているんです。

 ファンやメディアは、2人の数字面での比較に多くの時間を費やしていますが(その多くは限定的な文脈での比較ですが)、2人がオフシーズンに一緒にワークアウトしている姿を見ると、彼ら自身はこうした比較2をどう捉えているのだろうと考えさせられる一方で、私たち(ファンやメディア)が騒ぎ立てているだけのように感じます🤔。

 かつて、ブラックホークスとシャークスは、互いに素晴らしい戦いを繰り広げたライバルチームでした。しかし、少し立ち止まって考えてみましょう。過去10年間におけるシャークスとブラックホークスの「栄光の日々」のチームは、素晴らしい戦いを繰り広げました。

 特に2010年代には、両チームのロースターには将来の殿堂入りが確実視されるようなトップ選手や、それぞれの世代で最高の選手たちが揃っていたのです。

 シャークスにとっては残念なことに、この10年間に両フランチャイズが獲得した3つのチャンピオンシップは、すべてブラックホークスのものとなりました。しかし、ベダード対セレブリーニのマッチアップに対するメディアの注目が集まる前から、両チームにはちょっとしたライバル関係3があったのは事実です。

 この状況は、NHL史上でも特に有名な、メディアによって作り出された個人のライバル関係4を彷彿とさせます。そう、過去20年間、シドニー・クロスビーとアレックス・オベチキンによる信じられないようなパフォーマンスで満たされていました。

 彼らのように、ベダードとセレブリーニが今後20年間にわたるライバル関係を築いていくことになるのでしょうか?彼らの話題で埋め尽くされるような新しい時代に入っているのでしょうか?

まるでデジャヴ?2組のライバルに共通する驚きの類似点

 クロスビーとオベチキンのライバル関係と、ベダードとセレブリーニのライバル関係には、表面的な比較だけでも、いくつかの興味深い類似点があるんです🔍。

 まず、ドラフトの年を見てみましょう。クロスビー(2005年)とオベチキン(2004年)は、2年連続で全体1位指名を受けました。これと同じように、ベダード(2023年)とセレブリーニ(2024年)も、連続して全体1位で指名されています🥇🎉。

 さらに、ドラフトの順位にも共通点があります。キャピタルズがオベチキンを指名した2004年NHLドラフトで、ペンギンズは全体2位指名権を持っていました。時代は進み、2024年のドラフトでシャークスがセレブリーニを指名した直後に、ブラックホークスは全体2位指名権を持っていたんです😲!

 ペンギンズは、この全体2位指名権を使って、クロスビーを補完することになる大型センター、エフゲニー・マルキンを指名しています。一方、ブラックホークスは、同じく全体2位指名権で、ディフェンスマンのアルチョム・レフシュノフを指名しました。指名されたポジションは違いますが、チームの中心選手を補強するという意図は同じように感じられますよね😉。

この映像、ホントほっこりしますよね。NHLを支え続けたもの同士にしか分からない何かがあるんだろうな。

 ペンギンズは、キャピタルズよりも数年早く再建を始めていました。

 ピッツバーグは、ドラフトを通じてチームを構築することに巨額の投資も行っています。ペンギンズは、2003年にマーク=アンドレ・フルーリーを全体1位で、2004年にマルキンを全体2位で、2005年にクロスビーを全体1位で指名しました。

 また、2002年にはライアン・ホィットニー5を全体5位で、2006年にはジョーダン・スタール(現在カロライナ・ハリケーンズ)を全体2位で指名しています。

 キャピタルズがオベチキンを指名する前年の最初の指名権は、全体18位でした(エリック・フェール6)。しかし、オベチキンを指名した後の数年間で、彼らはトップ5指名権を2つ持っていて、ニクラス・バックストローム(2006年全体4位。現在、スウェーデンホッケーリーグのブリナスIFでプレー)とカール・アルツナー7(2007年全体5位)を指名しています。

 ブラックホークスは、4年連続でトップ10指名権を獲得しています。ケビン・コーンチンスキー(2022年7位)、ベダード、レフシュノフ、アントン・フロンデル(2025年3位)です。

 シャークスも3年連続でトップ5指名権を獲得しています。ウィル・スミス(2023年4位)、セレブリーニ、マイケル・ミサ(2025年2位)です。

 また、両フランチャイズの再建の歴史も似ています。ペンギンズは、1990年代にフランチャイズ史上最高の選手たちと共に、ピッツバーグにチャンピオンシップをもたらし、信じられないほどの成功8を収めました。

 しかし、フランチャイズは苦境に陥り、伝説的な選手であるマリオ・ルミュー9に代わる、チームの顔となる選手を必要としていました。彼らは1990年代に素晴らしい成功を収めた後、苦しい時期を迎えていたんです。

 対照的に、ルミューのキャリアの絶頂期であった1982-83シーズンから1997-98シーズンの間10に、ワシントン・キャピタルズは16シーズンのうち15シーズンでプレーオフに進出しました。彼らは一度だけスタンレーカップ決勝に進出しましたが、1998年にレッドウィングスに敗れました。

 ブラックホークスも、2010年代に3度の優勝を果たし、フランチャイズの歴史に残る偉大な選手たちを擁していました。しかし、選手たちが年齢を重ね、キャプテンのジョナサン・テーブスの健康問題11もあり、チームは再出発を必要としていました。

 一方、シャークスは、テーブスとパトリック・ケインがシカゴに来る前の年から、13シーズンのうち12シーズン12でプレーオフに進出しましたが、スタンレーカップ決勝に進出できたのは一度だけで、その相手はクロスビー率いるペンギンズだったんです(結果はペンギンズの勝利)。なんだか運命的なものを感じますよね😌

讃岐猫
讃岐猫

次世代を担う選手たち、それぞれの物語

 ベダードは、クロスビーと同じく「世代を代表する」選手として、若い頃から大きな期待を背負ってきました。両者とも、アイコン的な選手の後継者となることを求められました。

 一方、セレブリーニは大学リーグ(ボストン大学)からプロ入りしたことと、ベダードのリーグ入りで皆が疲れ果てていたためか、それほど大きな注目は当初ありませんでした。これは、ロシアからドラフトされたオベチキンの到着が、クロスビーの時ほどの大きな話題にならなかった13ことと似ているかもしれません。

 しかし、クロスビーとオベチキンのキャリアの始まりと、ベダードとセレブリーニのそれとで最も大きな違いは、労働問題でした。皆さんもご存知の通り、NHLは労働争議14によって、オベチキンのルーキーシーズンになるはずだったシーズンを失ってしまいました😔。

 このため、クロスビーとオベチキンは、まるで運命に導かれるかのように同じシーズンにリーグ入りを果たしました。そして、彼らはそれぞれのキャリアの軌道を変えるだけでなく、NHLを救うという重い使命を背負うことになったんです。

 あれから20年が経ち、クロスビーとオベチキンは、期待をはるかに超える活躍を見せてくれました。クロスビーは3回、オベチキンは1回の優勝を果たし、2人ともNHL史上最高の選手としてその名を刻んでいます。彼らが将来、ホッケーの殿堂入りを果たすことは間違いないでしょう。

 メディアが作り出したライバル関係は、氷上での激しい戦いを通じて本物の絆へと成長していきました🔥🤝。長年にわたるお互いへの尊敬と、氷上外での友情も育まれていったんです。

ベダードとセレブリーニの練習後の風景。手前がセレブリーニ、奥にいるのがベダード。

 一方、ベダードとセレブリーニのライバル関係は、まだ始まったばかり。まだ1シーズンしか経っていません。でも、彼らはすでに良い友人であり、オフシーズンには一緒にワークアウト15する仲なんです💪。そして、彼らは将来、カナダ代表としてオリンピックや国際大会でチームの顔となることが期待されています🇨🇦🌟。

まとめ

 これからも、ベダードとセレブリーニ、そして彼らの所属チームに注目が集まることでしょう。彼らのライバル関係が、クロスビーとオベチキンのように素晴らしいものになれば、シカゴとサンノゼのファン、そしてNHL全体にとって、これほど嬉しいことはありませんよね💖。

 その予測をするにはまだ長い道のりがあります。しかし、もしそれがホッケーの未来にあるのなら、私はその旅路に全面的に乗るつもりです。

讃岐猫
讃岐猫

【註釈】

  1. 概要
     Bleacher Nation は、シカゴのスポーツ(特にカブス、ベアーズ、ブルズ、ブラックホークス)に特化した非公式のニュース、噂、分析を提供するデジタルメディアサイト。メジャーリーグ(MLB)、NFL、NBA、NHL、大学スポーツ、ファンタジーやスポーツベッティングなど多岐にわたる内容も扱っている。

    運営体制・歴史
     創設は2008年で、創業者であるBrett Taylorをはじめ、新聞記者や地域スポーツネットワーク、ラジオやポッドキャストの経験を持つライターが参画し、チームとして運営されている。

    買収と所有権
     2023年1月4日、スポーツベッティング関連メディア企業のBetsperts Media & Technology Groupによって買収された。これにより、Betsperts傘下の他メディアとも事業面で連携が進んでいる。

    信頼性
     サイトのセキュリティ面や運営の信頼性は総じて高く、「良好な信頼スコア」と評価されることが多い。ただしスポーツベッティング関連の内容を扱うことから、そこには注意が必要との指摘もある。
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  2. メディアによる統計比較:見た目より深い背景
     メディアでは、「得点率」「5対5の得点効率」「個人ポイント率」など、両者の詳細なスタッツ比較が頻繁に行われており、しばしば「セレブリーニが上」「ベダードがヒーティング中」といった見出しも見られる。

     ある記事では、特にオフシーズンにキャンプなどで2人が一緒にプレーする姿を見ることで、「ファンもメディアも“かき回す”だけの人たちに過ぎない」と述べ、比較そのものへの疲れも示されている。

    ファン・フォーラムでの声:スタイルと印象の違い
     Redditなどでは、「セレブリーニは2wayに強く、二刀流的」「ベダードは純粋なスコアラー」という見立てが散見される。また、「“比較そのものが楽しい”というファンダムの側面もある」という意見も少なくない。

    スカウトやアナリストからの評価:完成度への注目
     NCAA時代、セレブリーニは「得点力だけでなく完成度の高い選手」としてスカウトたちから高評価を得ており、「もしかしたらベダードより“完成された選手”かもしれない」との声もある。
    Sportsnetのアナリストも、オリンピックのカナダ代表候補として「セレブリーニの方が幅広く使える選手」として評価している。
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  3. 1.2010年の西カンファレンス決勝での対決
     2010年、シャークスはプレーオフで見事な戦いを演じ、ウェスタン・カンファレンス決勝進出を果たしたが、ブラックホークスに4勝0敗でスウィープ負け。シリーズ中、ブラックホークスのゴールテンダー、アンティ・ニエミが圧巻のパフォーマンスを見せたのが印象的だった。

    2.両チームの通算成績と競り合い
     両チーム間の通算成績を見ると、ブラックホークスが50勝48敗という僅差でリードしており、長年にわたって激しい競争を繰り広げてきたことがうかがえる。

    3.2010年代での互いの強さとライバル意識
     ブラックホークスはこの10年で2010年、2013年、2015年と3度のスタンレーカップを制し、NHL屈指の強豪として君臨。一方シャークスも2010年のカンファレンス決勝進出以降、安定した強さを見せていた。

    4.ライバルの構図の背景
     ブラックホークスは2010年代、多くのライバルチームを抱えていた。ブルース、キングス、レッドウィングス、カナックスなどとの激戦が語られるが、シャークスもその間に台頭し、特に2010年のプレーオフでの対戦によりライバル意識がさらに高まっていたようである。
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  4. シドニー・クロスビーとアレックス・オベチキンのライバル関係は、ロックアウト後のNHLを“救った”とも言われ、2005–06年に同時に登場して以来20年近く続いてきた現代最高の個人間抗争と言われている。

     メディアは対照的なスタイル—クロスビーは内向的なプレイメーカー、オベチキンは外向的なパワーシューター—として魅力的に描き、両者は異なるキャラクターと才能で長くファンの心をつかみ続けた。

     直接対決は70試合近く、特筆すべきは2009年プレーオフでの“ダブル・ハットトリック”や、2010年の“スノベチキン”と言われる大逆転劇など数々の名場面。リーグ内での存在感、互いへの尊敬と競争心が絶えることなく、ファンもメディアも常に注目し続けたライバルだった。
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  5. 2002年のドラフトでピッツバーグ・ペンギンズから全体5位指名を受けた逸材であり、2005–06シーズンにNHLデビュー。

     攻撃的なディフェンスマンとして注目を集め、特に翌2006–07シーズンには59ポイントを記録し、チームのスタンレーカップ進出にも大きく貢献した。その後、アナハイム・ダックス、エドモントン・オイラーズ、フロリダ・パンサーズなど複数チームを渡り歩き、通算481試合で50ゴール、259ポイントという成績を残している。

     また、ホイットニーは国際舞台でも活躍し、2010年のバンクーバー五輪ではアメリカ代表の一員として銀メダルを獲得。キャリア晩年は度重なる負傷にも悩まされ、2015年に正式に現役を引退。

     引退後は、スポーツメディア「Barstool Sports」でホストを務めるポッドキャスト『Spittin’ Chiclets』が人気を博し、ホイットニーは再び脚光を浴びる。さらに、番組とのコラボから誕生したピンクレモネード風味のウォッカ「Pink Whitney」は、アメリカやカナダで大ヒット商品となり、ビジネス界にもその名を広げた。
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  6. カナダ・マニトバ州ウィンクラー出身、2003年のNHLドラフトでワシントン・キャピタルズに全体18位で指名された。2005年にNHLでのキャリアを開始し、キャピタルズをはじめ、ウィニペグ・ジェッツ、ピッツバーグ・ペンギンズ(2016年にはスタンレーカップ制覇)、トロント・メープルリーフス、サンノゼ・シャークス、ミネソタ・ワイルドでプレー。

     ジュニア時代にはWHLで圧倒的な成績を残し、2004–05年シーズンには“プレーヤー・オブ・ザ・イヤー”および得点王に輝くなど、輝かしい活躍を見せた。

     NHL通算では652試合に出場し、113ゴール、108アシストを記録。プレースタイルは多彩な攻守に加え、重要な局面での活躍でも知られる。さらに、AHLではカルダー・カップ、ヨーロッパではスペングラー・カップの制覇経験も。

     現役引退後には児童向け反いじめ絵本『The Bulliest Dozer』を出版(売上の一部はチャリティに寄付)し、2022年からは地元・マニトバ州のWinkler Flyersの選手育成ディレクターとして、次世代の支援にも携わっている。
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  7. カナダのブリティッシュコロンビア州バーナビー出身のディフェンスマン、2007年NHLドラフトでワシントン・キャピタルズから全体5位指名を受け、2008年にプロキャリアをスタート。AHLのハーシー・ベアーズ在籍中には連続してカルダー・カップを獲得し、その堅実な守備力が光った。

     2010年代を通じては、キャピタルズの主力ディフェンスとして「鉄人」とも称され、連続試合出場記録を更新。特に2015–16シーズンには207回のショットブロックを記録し、NHL全体で3位にランクインするなど、驚異的なミニマムミスの守備を貫いた。

     その後、2017年にモントリオール・カナディアンズへフリーエージェントとして移籍。期待されたものの、チームの成績は低迷し、本人もプレーのリズムを取り戻せないまま、AHLに降格。その後2020年に正式にプロの舞台から退く形となった。

     オフアイスでは飾らない性格で知られ、「温厚で静かながら信頼できる守備の要」と周囲に評された。また、親交の深いマット・ニスカネンとのコンビは、ワシントンの堅固な守備の柱として機能。「アルツナー+ニスカネンのペア」は、まるでスーパーコンビのようだと絶賛されている。
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  8. 1984年にドラフト全体1位で指名されたスーパースター、マリオ・ルミューの登場は、長年苦戦を続けていたペンギンズに革命をもたらした。1985年に新人王を獲得したルミューは、その後6シーズン連続で100ポイント以上を記録し、2000人台だった平均観客動員数は倍増。

     1990–91シーズン、念願の初スタンレーカップを制覇。続く1991–92年にも連覇を果たし、チームはまさに黄金期を迎えた。この成功には、ゼネラルマネージャーのクレイグ・パトリックによる大胆な補強(例:ロンサス・トレードでルーク・フランシス獲得)が大きく寄与している。

     さらに、スコッティー・ボウマンがヘッドコーチに就任した1992年には、NHL記録となる17連勝を達成し、56勝を挙げてプレジデンツ・トロフィー獲得に貢献。

     しかし、栄光の裏で運営面の混乱が深刻化。オーナーと経営陣の失策により、90年代後半には選手の給料の繰り延べや相次ぐトレードが強いられ、最終的に1998年には破産に追い込まれる。

     この危機を救ったのがルミュー自身だった。自身への未払い給料を債権として持ちつつ、1999年にはチーム買収に乗り出し、現役選手として、そしてオーナーとしてペンギンズを破産から救済。それによりチームはピッツバーグに残ることになり、彼はNHL史上初の“選手からオーナーになったスーパースター”となった。
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  9. カナダ・モントリオール出身のルミューは、1984年のNHLドラフトでピッツバーグ・ペンギンズから全体1位指名を受け、そのデビュー戦で初シフト・初ゴールを記録するという鮮烈な登場を果たした。新人王に輝いたその年を皮切りに、ルミューはNHLのスーパースター街道を突き進んでいく。

     その卓越したスキルと得点力により、キャリア通算で690ゴール・1,033アシストを記録。1991年と1992年にはペンギンズをスタンレーカップ連覇へと導き、いずれもプレーオフMVP(コーン・スミス賞)を受賞。まさに“攻撃の象徴”とも言える存在だった。

     しかし彼のキャリアは、単なる成功物語にとどまらない。1993年にはホジキンリンパ腫という重い病と闘いながらも、シーズン中に復帰し、最終的に得点王(アート・ロス賞)とMVP(ハート記念賞)を獲得。このエピソードは、ルミューの不屈の精神を象徴する出来事として語り継がれている。

     1997年に引退後、待機期間を免除され即ホッケー殿堂入り。そして1999年、ペンギンズが財政破綻に直面した際、彼は未払いの給料を債権化して球団を買収。オーナーとしてチームを救済し、さらに2000年には選手として復帰。史上初となる「オーナー兼現役選手」としてリンクに戻り、ふたたびペンギンズの中心選手としてプレーした。

     2002年のソルトレークシティ五輪では、カナダ代表のキャプテンとして金メダルも獲得。リンクの内外で影響力を持ち続けたルミューは、がん研究や患者支援を目的とする「マリオ・ルミュー財団」も設立し、社会貢献にも尽力している。

     2025年現在、ルミューはかつて手放したペンギンズの経営権を再び取得する動きを見せており、その影響力はいまなお衰えることなく、ペンギンズとNHLの“生きる伝説”として君臨している。
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  10. 1982–83シーズン、キャピタルズは創設以来初のプレーオフ進出を果たし、チーム史に新たな転機を迎えた。

     そこからチームは飛躍を遂げ、14年連続でプレーオフに出場し、1983〜1996年を通して常に強豪として戦い続けた。特に1980年代中盤から後半にかけてはマイク・ガートナー、ロッド・ラングウェイ、ラリー・マーフィーなど多くのスター選手が在籍しながらも、長らく勝ち切れない“プレーオフの敗北者”という評価も。

     転機となったのは1997–98シーズン。チームはカンファレンス4位の立場からプレーオフに進出し、ボストン・ブルーインズ、オタワ・セネターズ、そしてバッファロー・セイブズを立て続けに撃破。これにより球団初のスタンレーカップ・ファイナル進出を果たした。

     しかしファイナルでは、当時のディフェンディングチャンピオンであるデトロイト・レッドウィングスに4試合連続ストレート負け(スウィープ)を喫し、NHLの頂点には届かなかった。
    ↩︎
  11. 慢性炎症反応症候群(CIRS)とロングCOVIDの影響で2020–21シーズンをまるまる欠場。その後も体調不良は続き、2023年初頭には身体的に限界を迎えて一時現役を離れた。回復を模索する中で、インドでのアーユルヴェーダ療法にも取り組んだ。しかし、2025–26シーズン前にウィニペグ・ジェッツ入りを発表し、NHL復帰を果たした。
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  12. 1991–92シーズンにNHLに加盟したサンノゼ・シャークスは、1992–93シーズンこそプレーオフを逃したが、その後の13年間で12回のプレーオフ出場を果たした。特に1997–98シーズン以降は、ほぼ毎年のようにポストシーズンへ進出する「常連強豪」としての地盤を築いた時期である。

     その中でも1997–98シーズンは転換点と言える。カンファレンス最終枠ながらプレーオフへ進出し、続くシーズンも含めてプレーオフ出場が継続。1998年以降、チームは長年にわたって安定した存在感を示してきた。
    ↩︎
  13. 2004年のドラフトにおけるアレックス・オベチキンへの注目度は、北米メディアの関心が翌年指名されたシドニー・クロスビーに集中していたため、相対的に控えめ。さらに、ロシア出身選手という出自から契約上のリスクを懸念する見方も少なくなく、話題としてはやや後退した感があった。

     とはいえ、ワシントン・キャピタルズ内部を中心に、その実力とポテンシャルは高く評価されており、ドラフトでは揺るぎない1位候補とされていたことに違いない。
    ↩︎
  14. NHL全体に影響したWork Stoppage:2004–05ロックアウトの概要とその影響
     2004–05シーズンは丸ごとキャンセル
 NHLと選手会(NHLPA)が新たな労使協定(CBA)を締結できず、押しも押されもせぬシーズンの全面中止(ロックアウト)へと発展し、歴史上初めてスタンレーカップの授与が行われなかったシーズンとなった。

    主な争点は「サラリーキャップ導入」
    
 所得の大きな割合を占めていた選手給料を抑制するため、給与をリーグ収入の一定割合以内に抑えるサラリーキャップ導入を巡って議論が紛糾し、協定は破談。これがシーズン消滅の大きな要因となる。

    結果:ドラフト順の決定方式まで変化
 試合が存在しないため通常の順位が存在せず、2005年のドラフトでは特別ロッタリーで指名権順序を決定。その結果、ピッツバーグ・ペンギンズが全体1位を射止め、シドニー・クロスビーを指名。

     それとは対照的に、オベチキンはキャピタルズから全体1位指名されたが、どちらも“ロックアウト後の救世主”的存在として期待を背負っての登場となった。
    ↩︎
  15. ベダードとセレブリーニは、共にバンクーバー出身で、トップ指名されてNHL入りした背景がある。オフシーズンには、バンクーバーのリンクで共にトレーニングを行う姿も確認されており、スティック技術やパス技術を互いに高め合う仲である。

     ベダードがセレブリーニに『ただ楽しめ』と声をかけるなど、ライバルである以前に尊敬し合う関係が既に芽生えていることがうかがえる。 ↩︎
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