NHLドラフト外選手の成功事例と歴史に名を刻んだ偉大な選手たち

アイスホッケー名選手

はじめに✨

 毎年ホッケー界で注目のイベントの1つであるNHLドラフトは数週間前に行われ、各チームのGM(ゼネラルマネージャー)が、未来のスーパースターとなるべく選手を選び、チームの強化に繋げる重要な機会です。しかし、多くの選手は選ばれず、ドラフトにかからないこともあります。

 それでも、NHLのチームにドラフトされなかったからといって、彼らのホッケーキャリアが終わったわけではありません。その後、大きな成功を収めることが多々あり、ドラフト外選手がNHLで活躍し、オールスターやスタンレーカップチャンピオンになることも珍しくありません。

 ここでは、現在NHLで活躍しているドラフト外選手の中でも特に注目すべき選手を紹介します👀!

ドラフトされなかったNHLベスト現役選手

参照記事:The Hockey News.com「The Best Active NHL Players Who Were Never Drafted

🏒NHLのドラフト外選手たち!才能あふれる選手たちの活躍✨

 毎年開催されるNHLエントリードラフト、特に1巡目で早く指名された選手には、「将来のレジェンドになるぞ!」って大きな期待が寄せられます。逆に、ドラフトの中盤や終盤で指名された選手は、NHLで成功する確率が低めだと言われていますし、ドラフトされなかった選手がNHLの舞台に立つなんて、まさに奇跡に近いことなんです😲

 でも、NHLの長い歴史を振り返ると、そんな「奇跡」を本当に起こした選手たちがいるんです👏 まさに「ドラフト外のエリート」と呼ばれる彼らのストーリーは、私たちにたくさんの勇気と感動を与えてくれます🥺

セルゲイ・ボブロフスキー(G=ゴールテンダー): フロリダ・パンサーズの守護神🛡️

 セルゲイ・ボブロフスキーは、現在NHLで最も優れたゴールテンダーの1人、いや、おそらくは最も優れたゴールテンダーと言っても過言ではないでしょう。

 ロシア出身のボブロフスキーは、KHLで故郷のノヴォクズネツク1を代表して2シーズンを過ごした後、2010年5月にフィラデルフィア・フライヤーズと3年契約を結び、NHLデビューを果たしました。

 そのデビュー戦(10月7日)では圧倒的な実力を見せつけ、フィラデルフィアと州内ライバルであるピッツバーグ・ペンギンズ相手に素晴らしいプレイを披露し、早くも注目の選手となりました🔥。彼は.935のセーブ率を記録し、3-2の勝利でわずか2ゴールしか許していません。

 そして現在、ボブロフスキーはフロリダ・パンサーズのゴールを守り、2年連続でスタンレーカップを制覇🏆。これにより、ホッケーの殿堂入りも期待されるほどの成績を残しています。彼はすでに2度のヴェジーナトロフィー(最優秀ゴールテンダー賞。2013、2017)も獲得しており、キャリアを通じてNHL史に名を刻んできました📚。

 15年後の現在、ボブロフスキーは通算勝利数(429)でロシア人ゴールテンダーとして最多記録を持ち、さらに全選手の中でも勝利数歴代10位にランクインしています。契約最終年となる来シーズンには、さらに順位を上げるチャンスも!

 2025-26シーズンの33勝を達成すれば、6位に昇進し、ヘンリク・ルンドクヴィスト2の459勝を超えることができます。このまま行けば、スタンレーカップのチャンピオンとして、伝説的な存在になるかもしれません。

アルテミ・パナリン(LW=左ウィング): シカゴからニューヨークへ✨

 アルテミ・パナリンは、NHLでもトップクラスのオフェンシブな才能を持つ選手として知られています。

 2015年4月にシカゴ・ブラックホークスと2年契約を結び、24歳のルーキーシーズンを迎えたパナリンは、その年に30ゴール、77ポイントを記録し、カルダー・トロフィー(最優秀新人賞)を受賞🏅。これにより、彼の名前は一躍有名になり、そこから一気に成長を遂げました!

 パナリンは、ドラフト外選手としてカルダー・トロフィーを受賞した数少ない選手の1人です(近年では、後述のエド・ベルフォアが1990-91シーズンにシカゴ・ブラックホークスで受賞)。30ゴールの中には、現在プレイしているニューヨーク・レンジャーズを相手にしたデビューゴール3も含まれています。

 シカゴでの2シーズンの活躍後、パナリンはコロンバス・ブルージャケッツへトレードされ、さらに2シーズンを過ごしました。その後、2019年7月1日にはニューヨーク・レンジャーズと7年契約を結び、さらなる成長を遂げました💪

 この契約は年平均1160万ドルとなっており、コナー・マクデイヴィッド(エドモントン・オイラーズ)に次ぐ、当時NHLで2番目に高い年俸を得ることとなりました💰。

 この注目すべき高額契約を結んだ時、彼の価値を疑う者は少なかったですが、現在、33歳の彼はその価値の高さを証明し続けています。レンジャーズの攻撃の中心として、マンハッタンでの6年間で4回(19-20、21-22から3シーズン連続)の90ポイントシーズンを記録しています。

 特に2023-24シーズンには120ポイントという素晴らしい成績を残し、ファンを大いに盛り上げました🔥。

讃岐猫
讃岐猫

ローガン・トンプソン(G): 苦労人からトップゴールテンダーへ⛸️

 ローガン・トンプソンは、ホッケー界でも特にユニークな経歴を持つゴールテンダーの1人です。彼は、いくつものリーグやディビジョンで経験を積みながら、NHLゴールテンダーとしての道を切り開いてきました。

 AJHL4のグランデ・プレーリー・ストームでキャリアをスタートさせたトンプソンは、22試合をプレイした後、カナダのジュニアリーグWHLで4シーズンをブランデン・ウィートキングスで過ごしています。ジュニアホッケーを終えた後、トンプソンはUスポーツ5ブロック大学6で1シーズンを過ごしました。

 その後、ECHL(イースト・コースト・ホッケー・リーグ)で40試合、AHL(アメリカン・ホッケー・リーグ)で50試合をプレイし、ついに2021-22シーズンにラスベガス・ゴールデンナイツでNHLデビュー🏒

 彼の成長の過程には、かなりの苦労があったものの、それが彼の強さとなり、ついには2024年6月、ワシントン・キャピタルズでのレギュラーゴールテンダーの座を勝ち取りました👏。昨シーズン、トンプソンはNHLのトップゴールテンダーの1人として名を刻みました。

 43試合で平均失点2.49とセーブ率.910のを記録。その中でも特に注目すべきは、レギュレーション内(82試合中)、16試合連続無敗という驚異的な記録を達成した点です✨。この快挙は、「4 Nations Face-Off」のカナダ代表ロースターに名を連ねていなかった直後に達成されたものです。

 トンプソンは今やNHLを代表するゴールテンダーの1人となり、2026年のオリンピックでカナダ代表として活躍する可能性も見えてきました。彼のストーリーは、まさに努力と挑戦の象徴と言えるでしょう💪。

今回、惜しくも言及できなかった選手たち🏅

 もちろん、NHLにはドラフト外選手として素晴らしい活躍をしている選手たちがまだまだいます!彼らもまた、それぞれのチームで重要な役割を果たしており、見逃せません💪。

クリス・タネヴ(D=ディフェンス): トロント・メープルリーフス、ディフェンス⚡。

ニール・ピオンク(D): ウィニペグ・ジェッツ、ディフェンス🛡️。

ジョナサン・マルシェソー(C=センター): ナッシュビル・プレデターズ、センター💥。

マッツ・ズッカレロ(RW=右ウィング): ミネソタ・ワイルド、右ウィング⚡。

あえて、いぶし銀ニール・ピオンクの映像を。派手なプレーをする選手ではないけど、いてもらわないと困るタイプ。

NHL史上最高のドラフト外選手たち(OB編)

参照記事:The Hockey Writers.com「Best Undrafted Players in NHL History

※なお、「NHL史上最高のドラフト外選手たち(OB編)」は続きがあります!乞うご期待!

🦅伝説のゴールテンダー:エド・ベルフォア🥅

 最初に紹介するのは、まさに「伝説」と呼ぶにふさわしいゴールテンダー、エド・ベルフォアです!✨ 彼は1987年にブラックホークスと契約を結び、そこからなんと17年間もの間、NHLのトップリーグで活躍し続けました。

 ブラックホークス以外にも、トロント・メープルリーフス、ダラス・スターズ、フロリダ・パンサーズ、サンノゼ・シャークスでプレーし、17年間のキャリアは本当に輝かしいものでした🌟

 「イーグル」という愛称で親しまれたベルフォアは、その名の通り、まるで鷲のようにゴールを守り抜きました🦅 彼のキャリア成績は、484勝320敗125引き分け、セーブ率は.906%、平均失点も2.50という素晴らしさ!😳 これだけの実績があれば、12回もオールスターに選ばれたのも納得ですよね🏆

 特にすごかったのが、NHLでフルシーズンを戦った最初の年、1990-91シーズンです。この年、彼はなんとカルダー賞(新人王)、ヴェジーナ賞(最優秀ゴールテンダー)、ウィリアム・ジェニングス賞(最少失点チームのゴールテンダーに贈られる賞)の3つを同時に受賞したんです🎉 これって、本当に歴史的な快挙ですよね👏

 キャリアを通じて、ヴェジーナ賞は2回、ウィリアム・ジェニングス賞は4回も獲得しています。そして、プレーオフでもその実力を発揮し、1998-99シーズンにはダラス・スターズで念願のスタンレーカップを手にしました!🥳 彼の功績は高く評価され、2011年にはホッケーの殿堂入りも果たしています💖

💫攻守に輝くベテラン:ダン・ボイルの軌跡🏒

 続いてご紹介するのは、比較的最近までNHLで活躍していた(2015-16まで)ベテランディフェンスマン、ダン・ボイルです!✨ 彼は17シーズンもの間、NHLのリンクで素晴らしいプレーを見せてくれました。フロリダ・パンサーズ、タンパベイ・ライトニング、サンノゼ・シャークス、ニューヨーク・レンジャーズといった名門チームで、その存在感を発揮していましたね💪

 ボイルもまた、ドラフトで指名されず、1998年にフロリダ・パンサーズと契約してNHLの道を切り開いたんです。キャリア通算では1,093試合に出場し、163ゴール、605ポイントを記録😲 ディフェンスマンながら、これだけの得点に絡むというのは本当にすごいことです。

 さらに、7回もオールスターに選出され、ディフェンスマン最高の栄誉であるノリス・トロフィーの投票でも3度もトップ10に入る実力者でした🌟

 そして、国際舞台でもその輝きは失われませんでした。2010年のバンクーバーオリンピックでは、カナダ代表として金メダル獲得に貢献🥇 記憶に残っているファンの方も多いのではないでしょうか?

 もちろん、プレーオフでの活躍も忘れてはいけません。キャリア通算130試合のプレーオフで81ポイントを挙げ、2003-04シーズンにはタンパベイ・ライトニングで自己初の、そして唯一のスタンレーカップを獲得しました!🏆💖

まさに電光石火の早業!ディフェンスマンでありながら、その得点力の高さ・正確さは特筆もの。やはり、ライトニング時代が最高!

💥攻撃の魂:ディノ・チッカレリの情熱🔥

 次は、まさに「ダイナミックな攻撃の魂」と呼べる選手、ディノ・チッカレリの登場です!彼は単なる点取り屋ではなく、リンク全体を支配する質の高い200フィートプレーヤー7であり、対戦相手にとっては「本当に厄介な存在」でした😉

 チッカレリは、1980-81シーズンにミネソタ・ノーススターズ8でNHLデビューを飾りました。そこから、自己のスタイルを推し進め、なんと19年間という信じられないほどの長いキャリアを築き上げたんです🌟 彼はキャリアを通じて5つの異なるチームに所属しましたが、そのプレースタイルは常に情熱的で、フィジカルコンタクトを恐れないものでした💪

 それなのに、1,232試合で通算608ゴール、1,200ポイントという驚異的な記録を残したんです😲 しかも、その派手なプレースタイルや「お騒がせな行動9」があったにもかかわらず、これだけの数字を残したのは本当にすごいことですよね👏

 長年の努力と粘り強さが実を結び、チッカレリは2011年にホッケーの殿堂入りを果たしました🥳 殿堂入りの資格を得てから8年目での受賞となりましたが、彼の素晴らしい得点記録と貢献を考えれば、まさに「遅すぎたほど当然の栄誉」と言えるでしょう💖

🏃‍♂️タフネスの象徴:ジェフ・コートナルの粘り強さ✨

 最後に紹介するのは、その粘り強いプレーで知られるジェフ・コートナルです!彼は、17シーズンのNHLキャリアを、ボストン・ブルーインズ、セントルイス・ブルース、エドモントン・オイラーズ、バンクーバー・カナックス、ワシントン・キャピタルズの5つのチームで過ごしました🏒

 コートナルもまた、ドラフトでは指名されなかった選手の一人。それでも、彼は諦めることなく、キャリアを通じて1,048試合に出場し、367ゴール、799ポイントという素晴らしい成績を残しました📈 3度のNHLオールスターにも選ばれており、その実力は誰もが認めるところでした🌟

 そして、彼のキャリアのハイライトの一つが、1987-88シーズンにエドモントン・オイラーズで手にした唯一のスタンレーカップです🏆 さらに驚くべきは、彼は15シーズン連続10でスタンレーカップ・プレーオフに進出しているんです😲 そして、ポストシーズン156試合で39ゴール、109ポイントを記録。ここ一番での勝負強さも持ち合わせていたんですね💖

まとめ:夢を追い続ける全ての人へ💖

 スポーツの世界だけでなく、どんな分野においても、最初から恵まれた状況にいる人ばかりではありません。でも、彼らのように、与えられたチャンスを最大限に活かし、自らの力で道を切り開いていくことの素晴らしさを、彼らは身をもって示してくれました👏

 もし今、あなたが何か大きな壁にぶつかっていたり、自分の可能性に自信を持てずにいるなら、ぜひ彼らのストーリーを思い出してみてください。きっと、あなたの中にも秘められた「ドラフト外のエリート」としての可能性が眠っているはずですから🌟

讃岐猫
讃岐猫

【註釈】

  1. ロシアのシベリア連邦管区ケメロヴォ州にある、人口約53.7万人の都市。名前は「新しい鍛冶屋の街」を意味し、17世紀に貿易拠点として始まった。

     20世紀には大規模な石炭鉱床が発見され、ソ連の工業化政策で「スターリンスク」と改称され、鉄鋼業の中心地として発展。第二次世界大戦中には日本人捕虜が収容された歴史も。現在は石炭産業と金属産業(鉄鋼、アルミニウムなど)が主要産業で、ロシア経済を支える重要な重工業都市。
    ↩︎
  2. スウェーデン出身の元プロアイスホッケーゴールテンダーであり、NHLのニューヨーク・レンジャーズで15シーズンを過ごした。「キング・ヘンリク」の愛称で知られ、NHL史上唯一、最初の12シーズンで11回の30勝シーズンを記録したゴールテンダーである。

     NHL以前はスウェーデンリーグで活躍し、2006年のトリノ冬季オリンピックではスウェーデンを金メダルに導いた。レンジャーズではルーキーシーズンから主力となり、数々の球団記録を更新。アグレッシブなバタフライスタイルと優れた反射神経でファンを魅了した。

     2023年にはホッケーの殿堂入りを果たし、2025年にはIIHFの殿堂入りも決定している。彼の慈善活動への積極的な取り組みも特筆される。
    ↩︎
  3. 2015年10月7日、ニューヨーク・レンジャーズ戦で。前述の名ゴールテンダー、ヘンリク・ルンドクヴィストからNHL初ゴールを記録している。2015-16シーズンの初戦、前のシーズンで新たにスタンレーカップ王者となったブラックホークスが決めた初ゴールでもある。
    ↩︎
  4. アルバータ・ジュニア・ホッケー・リーグは、カナダのアルバータ州を拠点とするジュニアAアイスホッケーリーグである。1964年に5チームで設立され、カナダジュニアホッケーリーグ(CJHL)に属している。

     AJHLはアルバータ州のジュニアホッケーの発展に大きく貢献し、レッドディア・ラストラーズやカルガリー・カナックスといった歴史あるフランチャイズを輩出してきた。カルガリー・カナックスは現在も活動する最古のフランチャイズであり、リーグ最多となる10回のAJHLチャンピオンシップを獲得している。

     近年、2024年1月には5チームがBCHL(ブリティッシュコロンビア・ホッケー・リーグ)に移籍するという大きな動きがあり、リーグの再編を余儀なくされた。しかし、AJHLはデボン・エクストリームを拡張チームとして迎え入れるなど、2024-25シーズンに向けて再編を進めている。
    ↩︎
  5. カナダの大学スポーツを統括する全国的な組織。アメリカのNCAAに相当し、カナダ全土の学位授与大学の大部分が加盟している。U Sportsは、オンタリオ大学陸上競技連盟(OUA)、ケベック学生スポーツネットワーク(RSEQ)、カナダ・ウェスト(CW)、アトランティック大学スポーツ(AUS)の4つの地域カンファレンスから構成されている。
    ↩︎
  6. カナダのオンタリオ州セントキャサリンズにある大学で、このUスポーツの加盟校の一つである。ブロック大学のスポーツチームは「バジャーズ(Badgers)」と呼ばれ、特にレスリング、アイスホッケー、バスケットボールなどで強豪として知られている。

     ブロック大学は、Uスポーツ主催の全国大会にも積極的に参加しており、例えば2025年にはレスリングのUスポーツ選手権の開催校となる予定。
    ↩︎
  7. リンクの全長(約60.96メートル)を指す。転じて、選手が「200フィートの選手」と評される場合、それは攻守両面でリンク全体にわたって貢献できるオールラウンドな能力を持つことを意味する。単に得点だけでなく、守備やパックの奪い合いなど、試合のあらゆる局面で活躍できる選手への賛辞として使われる。
    ↩︎
  8. 1967〜1993年までNHLに所属したプロアイスホッケーチームである。ミネソタ州ブルーミントンを本拠地とし、緑、黄、金、白をチームカラーとした。レギュラーシーズンを2,062試合戦い、17回プレーオフに進出したものの、スタンレーカップで優勝することはなかった。1981年と1991年の2度、決勝に進出したが、いずれも敗れている。

     チームは1968年、ビル・マスターソンが試合中の怪我により死亡するというNHL史上唯一の悲劇に見舞われた。彼の功績を称え、ビル・マスターソン記念トロフィーが設立されている。

     1978年には財政難からクリーブランド・バロンズと合併し、1980年代にはニール・ブローテンらの活躍で強豪となるも、1990年代には再び財政問題に直面。オーナーがチームをサンフランシスコ・ベイエリアに移転させようとしたが、最終的にNHLとの妥協により、サンノゼ・シャークスが拡張チームとして設立され、ノーススターズは別のオーナーグループに売却された。

     1990-91シーズンには、レギュラーシーズンで負け越しつつもスタンレーカップ決勝まで勝ち進むという快進撃を見せたが、ペンギンズに敗れた。1992-93シーズン後、観客動員の低迷や新アリーナ交渉の不調などを理由にチームはダラスに移転し、ダラス・スターズと改名された。
    ↩︎
  9. 1987年、公然わいせつ罪で有罪を認め、保護観察処分を受けた。1988年1月6日、メープルリーフ・ガーデンズで行われた試合で、チッカレリは当時メープルリーフスのルーキーディフェンスマンだったルーク・リチャードソンをスティックで襲撃。この事件の結果、チッカレリは暴行罪で有罪判決を受け、1,000ドルの罰金と1日間の禁固刑を言い渡されている。

     1990年5月、キャピタルズでプレーしていたチッカレリは、チームメイトのジェフ・コートナル、スコット・スティーブンス、ニール・シーヒーと共に、バーの外で17歳の少女に乱暴したとして告発された。裁判は決裂したが、当時のロンドン警視庁の広報担当者は、警察は「犯罪行為があったと信じる十分な根拠がある」と述べている。
    ↩︎
  10. 上には上がいて、20シーズン:ニクラス・リドストロム(1991-92 ~ 2011-12)、ラリー・ロビンソン(1972-73 ~ 1991-92)、19シーズン:ブレット・ハル(1985-86 ~ 2003-04)、18シーズン:ラリー・マーフィー(1983-84 ~ 2000-01)等がいる。

     17シーズン連続が3名、16シーズン連続が5名、15シーズン連続がコートナルをはじめ8名、となっている。 ↩︎
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