今も続く熱狂!NHLで愛されたホエーラーズの歴史を徹底解説

アイスホッケー名選手

はじめに~ハートフォード・ホエーラーズの物語が映画に!🏒🎥

 NHLの歴史の中でも特に熱狂的なファンに愛されたチーム、ハートフォード・ホエーラーズ(現在のカロライナ・ハリケーンズ)。彼らが1997年にノースカロライナ州へ移転してから約30年が経ちましたが、その記憶は今もなお色あせることはありません。

 そんなホエーラーズの魅力を再び世に伝えるべく、スポーツライターのパット・ピケンズと映画製作者のタル・ピンチェフスキーが手を組み、ドキュメンタリー映画を制作しました!

 この映画は、ホエーラーズの誕生に始まり、ボストンからハートフォードへの移転、そして最後の試合に至るまでの軌跡をたどるもの。2025年の公開に向けて、多くのファンが注目しています✨

 では、この映画の制作秘話やホエーラーズの歴史について詳しく見ていきましょう!

参照記事:stadiumjourney.com1Hartford Whalers Made Indelible Mark on Connecticut

映画制作の舞台裏🎬✨

 このドキュメンタリー映画の始まりは、2021年に出版された一冊の本でした。

 スポーツライターとして活躍していたパット・ピケンズが書いた『The Whalers: The Rise, Fall, and Enduring Mystique of New England’s (Second) Greatest NHL Franchise』という本が、ホエーラーズの魅力を改めて世に伝えたのです。

 これをきっかけに、ニューヨーク・タイムズ、ESPN、ウォール・ストリート・ジャーナル、NHL.comで国際的にライターとして活躍し、映画製作者でもあるタル・ピンチェフスキーがピケンズにアプローチ。「ホエーラーズについての映画を作らないか?」という提案に、最初は半信半疑だったピケンズも、彼の熱意に押されてプロジェクトに参加することを決意しました🔥

 映画の制作は2022年にスタートし、2023年から2025年にかけて撮影・編集が行われました。制作にはセイクリッド・ハート大学2(コネチカット州フェアフィールド)の支援もあり、3年間の不眠不休の努力の末に完成しました。

 「僕らはレンジャーズを取材しているときに親しくなったんだ。年に数回、ブライアント・パークでキューバンサンドイッチを食べながら会っていたんだよ。それで(タルが)『ドキュメンタリーを作りたいか?』って言ってきたんだ。僕は『どうだろう、面白そうだな、もしかしたら』と言ったけど、最初は本当にできるかどうかなんて考えていなかったんだ。

 でも、彼は粘り強く説得してくれて、2022年にスタートし、2023年と2024年に製作して、2025年にも少しだけ作業したんだ」とピケンズは語っています。

ホエーラーズの歴史とハートフォードでの50周年記念🎉

 映画の完成に合わせて、2025年にはコネチカット州ハートフォード3のホッケー50周年記念イベントが開催されました!このイベントでは、1月11日、AHLチームであるハートフォード・ウルフパックの試合前にトリニティ・カレッジ4で映画が上映され、XLセンター5には1万人以上のファンが集結🔥

 さらに、ホエーラーズの元選手たちは、かつてのラジオ実況者チャック・ケイトンによるセレモニーで表彰されました。ホエーラーズの歴史は、単なる「消えたチーム」の話ではなく、今もなお多くのファンに愛され続けているのです💙💚

 夜のイベントでは、ホッケーバンド「ザ・ザンボニーズ」が前座を務め(彼らはホッケーに関する歌しか演奏しない)、その後1時間35分の映画が上映され、締めくくりとして、司会を務めたセイクリッド・ハート大学の卒業生ジェノ・ゴネロによるコメントと、ピケンズとピンチェフスキーとの質疑応答が行われました。

イベントの様子のニュース映像です。

 映画の上映会に参加したファンは、ハートフォードでの最後の試合後のエピソードを語ってくれました。その試合後、選手たちはロッカールームに戻り、記念品を持ち出して観客に投げていました。そのファンは、ディフェンスマンのスティーブ・チャイソンが観客席に投げたパックを運良くキャッチし、その瞬間がドキュメンタリーに収められました。

 ホエーラーズの物語は1972年に始まりました。当初はボストンを拠点とし、「ニューイングランド・ホエーラーズ」としてWHA(ワールド・ホッケー・アソシエーション)に加盟(創設メンバー)。その後、1974年4月にボストンから100マイル南西にあるハートフォードへ移転し、そこからNHLチームとしての伝説が築かれていきました🏒✨


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ホエーラーズの魅力と伝説のロゴ🐳✨

 ホエーラーズの魅力は、チームの歴史だけでなく、その独特な文化やアイコニックなロゴにもあります。

 映画の監督であるピンチェフスキーも「ロゴは至る所にある。他のどのプロスポーツチームとも比べ物にならない。ヨーロッパのチームと比較するかもしれないけど、このチームはたった18年しか存在しなかった」と語っています。確かに、ホエーラーズのロゴは今でもファンに愛され続け、グッズも人気があります🎽🔥

 このロゴは、デザイナーのピーター・グッドによって生み出されました。青いクジラの尾の中に「H」、そして緑色の「W」が組み込まれたデザインは、シンプルでありながら印象的!ホッケーファンだけでなく、デザイン愛好家からも高く評価されています✨グッドは2023年に亡くなり、映画では彼へのインタビューも収められています。

 映画では、1970年代のホエーラーズの誕生から、ボストン・ガーデンおよびボストン・アリーナでの初期のシーズン6を追いかけ、WHA時代の活躍、そして1979年のNHL参入までが詳しく描かれています。当時の映像やインタビューを通じて、ホエーラーズがどのように成長し、どのようにファンに愛されていったのかを振り返ることができます🏒

 この映画は、元チーム幹部やコーチ、元選手など、多くのインタビューを通じて、非常に詳しく調査されました。ESPNの伝説的な人物クリス・バーマン7も頻繁に登場します。オリジナルオーナーであるハロルド・ボールドウィン8は、ドキュメンタリーでも重要な役割を果たしています。

讃岐猫
讃岐猫

伝説の選手とホエーラーズの黄金期🏆

 ホエーラーズには、数々の名選手が所属しましたが、最も有名なのはゴーディ・ハウ(1977年加入)でしょう✨ハウは、息子のマーク・ハウ、マーティ・ハウとともにプレーし、親子3人が同じチームでプレーするという珍しい歴史を作りました👨‍👦‍👦

 ハウは50歳で引退するまでホエーラーズでプレーし、最後のシーズン(1979-80シーズン)には15ゴール・26アシストを記録。彼のプレーは、今でも語り継がれています🏒🔥

 また、ホエーラーズはWHA時代にAVCOワールドカップ9を制覇し(1973年)、1979年にはNHLに加入。これにより、より強力なチームと戦う機会を得ましたが、NHLではなかなか勝ち進むことができず、プレーオフでの成功は限られていました(進出は1回のみ)😢それでも、ホエーラーズは個性的なチームカラーと熱狂的なファンに支えられ、存在感を発揮し続けました💚💙

AVCOワールドカップを制覇時の映像。みんなメット着けてない、怖い…。

ホエーラーズの移転とファンの熱い思い💔

 1994年、ハートフォード・ホエーラーズはピーター・カルマノス10(コンピュウェアのCEO)率いるグループに買収されました。当初はハートフォードにチームを残す契約(4年間)を結んでいましたが、カルマノスと州との間でハートフォード残留のための交渉が決裂し、最終的に1997年にノースカロライナ州へ移転することになってしまいました😢💨

 この決定は、多くのファンにとって大きな衝撃でした。ホエーラーズの試合は毎回多くの観客を集め、最後のシーズンには平均13,680人ものファンがスタジアムに詰めかけたほど!📢🔥

 移転が決まった1997年4月13日、ホエーラーズは最後の試合をタンパベイ・ライトニングと戦い、2-1で勝利しました。しかし、勝利の喜びよりも「チームがいなくなってしまう」という寂しさがスタジアムを包み込んでいました😢💙

 試合後、選手たちはリンクを一周し、ファンに別れを告げました。そしてキャプテンのケヴィン・ダイーンがマイクを持ち、最後のスピーチを行いました。「ハートフォードのファンは世界最高だ」という言葉に、観客は涙を流しながら拍手を送り続けたのです👏😭

【追記】試合前に流れていた『ブラス・ボナンザ』という曲(ハートフォード・ホエーラーズ・ビクトリー・マーチとしても知られる)は、1975年にホエーラーズの非公式な応援歌となり、試合開始時やゴール後、勝利後に流れていた。

 この試合を指揮したのは、ホエーラーズの最後の2シーズンを率いたポール・モーリス監督で、彼は後にカナダのカロライナ・ハリケーンズで7シーズンを指揮し、2002年のスタンレーカップファイナルに進出。その後、2024年にはフロリダ・パンサーズを指揮してスタンレーカップを制覇した。

シーズン中、ハリケーンズの「ホエーラーズ・ナイト」でも、『ブラス・ボナンザ』は流れます!

まとめ~ホエーラーズの遺産と今も続く影響💫

 ホエーラーズが去ってから約30年が経ちましたが、ファンの情熱は決して消えていません🔥💚💙ホエーラーズのアイコニックなロゴは今も多くの人に愛されており、NHLのカロライナ・ハリケーンズ(ホエーラーズの後継チーム)も「ホエーラーズ・ナイト」を開催し、ホエーラーズのユニフォームを着用して試合を行うことがあります🏒✨

 また、ホエーラーズの歴史を振り返るドキュメンタリー映画が制作され、多くのファンがその上映会に集まりました🎥📽️ハートフォード・ウルフパック(AHLチーム)がホエーラーズのスピリットを受け継ぎ、今も地元のホッケー文化を支えています(ホームアリーナはシビックセンター)🐺🔥

 2024年には、NHLチームをハートフォードに復活させる試みもありましたが(アリゾナ・コヨーテズの誘致は失敗)、実現には至りませんでした。しかし、それでもホエーラーズは決して忘れられることはないチームです✨

 ホエーラーズの歴史は、単なるホッケーチームの話ではなく、ファンと街が一体となった特別な物語。その伝説はこれからも語り継がれ、未来のホッケーファンたちに影響を与え続けることでしょう🚀🏒

讃岐猫
讃岐猫

【註釈】

  1. アメリカを中心としたスポーツ施設やスタジアムのレビューや情報を提供するウェブサイト。アイスホッケーに関しても、NHLの各チームのホームアリーナや、スタジアムツアーの情報などを掲載している。これらの情報は、アイスホッケーファンが試合観戦やスタジアム訪問を計画する際に役立つ内容となっている。
    ↩︎
  2. 私立のカトリック系大学で、1963年に設立。学士号から博士号まで多様なプログラムを提供し、学生には質の高い教育と充実した学生生活が提供される。カトリック精神に基づいた倫理教育を行いつつ、宗教に関係なく多様な価値観を尊重する環境。ニューヨーク市から近い立地で、国際的な学生も受け入れている。
    ↩︎
  3. 1980年代に繁栄し、エトナ、トラベラーズ、ハートフォード・ファイアなどの大手企業がスポンサーになっていた。チームはショッピングモール内で試合を行うというユニークなスタイルを採用しており、試合前後にはファンがシビックセンターに集結。

     ハートフォードはNHLの中で最も小さな市場と言われていたが、選手たちとファンが密接に交流できるコミュニティの雰囲気で好評だった。
    ↩︎
  4. 私立のリベラルアーツ大学で、1823年に設立。学生に対して広範な学問分野と個別指導を提供し、学問的深さと実践的知識を重視している。美しいキャンパスと充実した施設を持つ。
    ↩︎
  5. 多目的アリーナで、1980年に開場。主にアイスホッケーやバスケットボールの試合が行われ、コンサートやショーなどのエンターテイメントイベントも開催されている。収容人数は約16,000人で、アクセスも良好。
    ↩︎
  6. 映画でも取り上げられているが、1978年1月から1980年1月までシビックセンターが屋根の崩壊により2年間閉鎖された。この間、ホエーラーズはマサチューセッツ州スプリングフィールドのスプリングフィールド・シビックセンターで試合を行わなければならなくなった。

     屋根の崩壊により、シビックセンターは10,507席から15,635席に拡張され、NHLフランチャイズとしての存続が可能となった。初シーズンを除いて、ホエーラーズは毎シーズン1万人以上の観客を集め、1987-88シーズンには14,574人というピークを迎えている。
    ↩︎
  7. ESPNの伝説的なスポーツキャスターで、1979年に入社して以来、長年にわたって「SportsCenter」や「NFL Countdown」などの番組で活躍。ユニークな解説スタイルとキャッチフレーズ「Back! Back! Back!」で知られ、アメリカンフットボールやその他のスポーツイベントの解説で広く愛された。

     2021年にESPNを退職した後も、その影響力とレガシーは色あせることなく、スポーツ放送業界に大きな足跡を残している。
    ↩︎
  8. 1971年に28歳でニューイングランド・ホエーラーズの創設メンバー兼パートナーとなり、プロスポーツ界で最も若い幹部の一人となる。5年後には、リーグの社長に就任。

     1974年、ボールドウィンはチームに独自のスタジアムが必要だと判断し、ホエーラーズはボストンからハートフォードの新しいシビックセンター・コロシアムに移転。1975年、初試合。

     1979年、ボールドウィンはWHAをNHLとの歴史的な合併に導き、ニューイングランド・ホエーラーズはNHLに移行し、名前はハートフォード・ホエーラーズに変更された。ボールドウィンは、1988年にチームが地元のオーナーに売却されるまで、ホエーラーズのマネージング・ジェネラル・パートナーを務めている。
    ↩︎
  9. 1976年に始まったアイスホッケーの国際トーナメントで、主にNHLチームとヨーロッパなどのトップチームが対戦。大会はクラブチーム間の国際対抗戦として注目を集め、アイスホッケーの国際化に寄与したが、1980年に終了。
    ↩︎
  10. カロライナ・ハリケーンズのNHLオーナーであり、テクノロジー企業Compuwareの創業者。1994年にハリケーンズを購入し、2006年にはスタンリーカップを制覇。彼はテクノロジー業界でも成功を収め、企業経営者としてのリーダーシップとスポーツ業界への貢献が高く評価されている。 ↩︎
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