2020年、オイラーズ成功のカギを握る男、レオン・ドライザイトル!

現役スター選手紹介

はじめに  

 北米を中心に読まれている『ザ・ホッケー・ニュース』という雑誌がありまして、駅の場店とかで普通に売られています。もう、それだけだけでも羨ましいのに、内容も盛り沢山。日本のファンはネットで見られるとはいえ、やはり本形態で欲しいところ。

 今回、過去のアーカイブ記事が、ネット版にアップされているのをお届けしましょう。オイラーズのレオン・ドライザイトルが中心選手の階段を登っている2020年の記事で、彼の10代の頃の苦闘、パンサーズのマシュー・トカチュクとの軋轢などが書かれています。

 長い記事なので(記事本体の他に、ダイジェスト記事もあります)、便宜上、前・後編と分けます。ウィキに書かれていないものもありますし、書かれていても、その裏側について解説されたものもあります。来シーズンは定期的に読むようにしようかなぁ…。

讃岐猫
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引用元:The Hockey News.com「Archive: In 2020, Oilers’ Leon Draisaitl Was Just Beginning Ascent To Top of the NHL

『ザ・ホッケー・ニュース』読みたい!

 エドモントン・オイラーズは、ダラスとのウェスタン・カンファレンス決勝シリーズを控えていますが、『ザ・ホッケー・ニュース1』の2020年6月1日版(第73巻・第7号)の表紙記事では、編集長のライアン・ケネディがオイラーズのスター・フォワード、レオン・ドライザイトルの台頭について取り上げています。

【記事のダイジェスト版】
 ドライザイトルの母国ドイツからNHLへの道のりには、サスカチュワン州プリンスアルバートでの一時停止も含まれており、そこで2012年のカナダまたは米国のいずれかの居住資格を持たない選手を対象としたドラフトで、彼は全体2位で指名され、WHLの(プリンス・アルバート・)レイダーズでプレーしました。 
  
 ドライザイトルは、カナダの主要なジュニア・システムで、自分の技術を磨く時間を大切にしていたのです。 
  
 「ここは違う国だし、自分は若いし、夢を追いかけるだけ」とドライザイトルはケネディに語りました。「もっといい選手になってNHLでプレーするチャンスを得るためには、やらなければならないことだと感じている。 
  
 カルチャーショック?もちろん、あったよ。特にドイツのそこそこ大きな都市からサスカチュワン州の小さな町に来たときはね。でも、そこではみんなとてもよく世話をしてくれて、すぐに自分の家のように感じることができたんだ。それができて本当に良かったと思っているよ」。 
 
 NHL選手となったドライザイトルの在籍期間初期、オイラーズは苦戦しましたが2、しかし、組織は必ず良くなると彼は信じていて、そしてそうなりました。

 「僕らは正しい方向に向かっている」とドライザイトルは言いました。「ここ数年、完璧ではなかったけど、成功するためには、それを乗り越えなければならないこともあるよ。僕らは正しい方向に進んでいて、正しい道を歩いている。願わくば、一試合一試合、年々良くなっていきたい」。

マシューは暴れん坊なんだなぁ

【記事の全長版】 
 カルガリー・フレームズの「ある選手を狙い」さえすれば、エドモントン・オイラーズ・ファンから早く好感を持たれことになるでしょう。 
 
 レオン・ドライザイトルは、NHLオールスターゲーム前、マシュー・トカチュク(フロリダ・パンサーズ)とパシフィック・ディビジョンのチーム所属となったにもかかわらず、同時に氷上に立ちたくないと宣言し、ファンが望むものを確実に提供しました。 
 
 トカチュクは確実にオイラーズの重量級、ザック・カシアン(右ウィング、34歳。現在、無所属)を敵視しており、フレームズの扇動者(トカチュク)がカシアンに何度か殴りかかった後、カシアンはトカチュクを攻撃したとして2試合の出場停止処分を受けています。

マシュー、大暴れ!

 序盤、ドライザイトルの3対3のオールスター・ラインメイトは、コナー・マクデイビッドと比較的気のいいフレームズのスター、マーク・ジョルダーノであり、トカチュクはバンクーバーのエリアス・ペッターソンとクイン・ヒューズとプレーしていたので、ドライザイトルは願いを叶えたように見えました。 
 
 しかし、早めのライン・チェンジにより、トカチュクとドライザイトルが一緒に氷上に出てしまい、ゴールをめぐる壊滅的なギブアンドゴーをやってしまったのです。二人は祝うためにお互いを見ることさえしませんでしたが、試合後、彼らはただ楽しんでいた3と語っています。

確かに顔を合わせてない!
讃岐猫
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2019-20シーズン、ハイライトでいっぱい

 そのすべてが面白かったのですが、ドライザイトルの2019-20シーズンは他にも多くのハイライトで記憶されるでしょう。

 例えば、彼は最初のアート・ロス・トロフィー(最多ポイント獲得選手賞)への道を順調に進んでいましたが(110ポイントで獲得)、マクデイビッドが大腿四頭筋の負傷で離脱した2月(プレデターズ戦で、ディフェンスのダンテ・ファブロと衝突)、事実上シーズン・オフとなりました。 
 
 オイラーズのキャプテン不在の6試合で、ドライザイトルは相棒不在の間に12ポイントを記録しています。COVID-19のパンデミックのためにシーズンが中断されたとき、彼はマクデイビッドより13ポイントのリードをしていました。 
 
 「プレーを重ねるうちに、彼の自信がどんどん大きくなっているのがわかる」とマクデイビッドは言います。「そして、彼は世界最高の選手の一人に成長したんだ」。

10代の頃から「ホッケー神童」 

 エドモントンには、長年にわたって多くの英雄たちがこの街を通過してきましたが、今、ドライザイトルがマクデイビッドとともに現在の旗手となりました。 

 ドイツのケルンで育ったドライザイトルは、NHLの試合をテレビで見ることができなかったため、「喉の渇き」を癒すには、YouTubeでパベル・ダチュク4マキシム・アフィノゲノフ5のクリップを頼りにしていました。

 ドイツのジュニア・リーグ、マンハイムのU-16チームでわずか29試合で192ポイントを記録した15歳のドライザイトルは、ドイツのジュニア・リーグで才能を抑えきれず、ドイツでもう1シーズンいた後、大物選手達がプレーする北米へと旅立ちます。 
 
 ドライザイトルはサスク州プリンスアルバートに行き、WHLのレイダースが2012年の北米選手以外のドラフト全体2位で彼を指名しました(後にセントルイス・ブルースのセンターとなる、イワン・バルバシェフ〈現在、ベガス・ゴールデンナイツ所属〉に次ぐ)。 
 
 カルチャーショックはあったにせよ、そこは天国のような試合ばかりです。「ここは違う国だし、若いし、夢を追いかけるだけさ」とドライザイトルは言いました。「より良い選手になり、NHLでプレーするチャンスを自分に与えるために、やらなければならないと感じた。 
 
 カルチャーショック?もちろん、あったよ。特に、ドイツのそれなりに大きな都市からサスカチュワン州の小さな町まで来たんだからね。でも、街の人は僕をとても大切にしてくれて、すぐに実家にいるように感じさせてくれたんだ。それができて本当に嬉しかった」。 
 
 ドライザイトルはレイダースのインパクトプレーヤーであっただけでなく、彼は地域社会に貢献し、それはエドモントンでも続けています。「街のみんなに何かお返しをしたくなるでしょ?」と彼は言いました。 
 
 「彼らは僕を受け入れ、サポートしてくれる。だから、選手として恩返しができるチャンスがあれば、飛びつきたくなる。それは僕のやりたいことであり、正しいことさ」。

讃岐猫
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若い頃、やはり苦労しました

 ドライザイトルはオイラーズですぐにセンセーションを巻き起こしたわけではなく、組織内の激動の時期に登場しています。クレイグ・マクタビッシュ6GM(当時)により2015年のワールド・ジュニアから外され、大会終了数日後にWHLに送り返されました。

 しかも、ドイツは下位ディビジョンに降格してしまいます。ドライザイトルは、そのシーズン後半にプリンスアルバートからケロウナにトレードされ、大きなステージでプレーする機会を得ました。 
 
 ロケッツのメモリアル・カップ7決勝進出に貢献したが、最終的にはOHLのオシャワ・ジェネラルズに延長戦の末に敗れています。

そして、スター街道まっしぐら

 しかし、ドライザイトルが「危険なNHL選手」になるのに、それほど時間はかかりませんでした。ビッグ・リーグでの3年目、2016-17シーズンには1試合1ポイントの領域にまで近づき(77ポイント)、昨シーズン(18-19)、50ゴールと100ポイントの大台に初めて到達しました。 
 
 「プレーヤーとして成長するだけだ」とドライザイトルは言います。「18歳や19歳の頃、ほとんどの選手がまだ完成していなくて、トップの試合に出てはいない。上手くなろうとしたり、苦手なことに取り組んだり、その結果、他の年よりも大きな飛躍をする年もある。 
 
 でも、それらのジャンプ・アップの機会をすべて合わせて考えると、すべてが非常に重要であり、そのおかげで今の自分があるんだ」。 
 
 今日、ドライザイトルよりも優れていると主張できるNHLプレーヤーは多くありませんが、それは、彼がアートロスに加えて、リーグMVPのハート・トロフィー(シーズン最優秀選手賞)を持ち帰る可能性が非常に高いときに証明されるでしょう。

まとめ

 ドライザイトルは確実にハートを取るでしょ。今やNHLを代表するコンビとなった、コナー・マクデイビッドがエースであり、同僚をフォローするメンタルを持った選手なだけに、そのコンビ・プレーが無限の可能性を感じさせるからです。

 最新の試合結果では、2度のオーバータイムの末、辛くもオイラーズは2-1でスターズを振り切りました。第2ピリオド、無得点だった第1ピリオドのピリピリ・ムードを突き破る先取点を挙げたのが、ドライザイトルでした。試合を決めたのはマクデイビッド、やはりこの2人なのです。

 しかし、オイラーズには課題の残る試合でした。第1・3ピリオドはスターズに完璧に抑えられており、延長に入ってからも、最初のピリオドは音無しだった訳で、スターズは敗れたとはいえ、守備のリズムは掴んだのではないでしょうか。第2戦が楽しみです。

讃岐猫
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【註釈】

  1. カナダに拠点を置くアイスホッケー雑誌。1947年創刊。北米で最も有名なホッケー出版物。この雑誌の読者数は1号あたり23万人、雑誌のサイトは合計200万人の読者を誇る。日本で購読する場合、デジタルで。北米の多くのニューススタンドで入手可能。
    ↩︎
  2. 2010年代に入り、2006-07シーズンまで、計11シーズン連続でプレーオフ不出場となっており、ディビジョン下位に低迷し続けていた。ドライザイトルをドラフト指名した辺りから、チーム強化が進んでいくかと思われたのだが… (本文参照)。
    ↩︎
  3. 映像を見ると、トカチュクの表情は分からないが、ドライザイトルは苦笑混じりの笑顔…な感じ。氷上で喧嘩するわけにはいかないから、両者とも「大人の対応」をしたと言うべきか。
    ↩︎
  4. ソ連(当時)、スヴェルドロフスク出身。45歳。驚異的なスティック・ハンドリングと創造性を称えて「マジックマン」と呼ばれる。

     2017年、史上「最も偉大なNHL選手100人」の1人に選ばれた際、SKA サンクトペテルブルクで現役生活を送っており、発表時点でNHL以外で活躍していた唯一の選手でもある。
    ↩︎
  5. モスクワ出身、44歳。現役時のポジションは右ウィング。1999-2000シーズンから9シーズン、バッフォロー・セイバーズでプレー後、母国に戻り、19-20シーズンまでの10シーズン現役生活を送った。怪我に悩まされながらも、このプレー期間は立派。
    ↩︎
  6. カナダ、オンタリオ州出身。65歳。現役時のポジションはセンター。最後のヘルメット・レス選手でもあり、重大な犯罪のため投獄され、1984-85シーズン、1シーズンを方に振っている。

     2005-06シーズン、監督として、オイラーズをスタンレーカップ決勝にまで導いているが、それ以降、チームは暗黒時代に入る。
    ↩︎
  7. カナダと米国の一部で運営されている3つの主要なジュニア・アイスホッケー・リーグ主催の全国選手権。オンタリオ・ホッケーリーグ(OHL)、ケベック・マリタイム・ジュニア・ホッケーリーグ(QMJHL)、ウェスタン・ホッケーリーグ(WHL)のチャンピオンの間で行われる。 ↩︎
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