はじめに
NHL公式サイトに登場したよだれモン企画、過去のドラフトの歴史を振り返り、(ドラフト60周年にちなみ)史上最高のドラフト指名選手60人選出の第7弾です。少々間隔が空いてしまい、申し訳ございません。
前回の記事はこちら→☆。
今回は30~26位までで、かなりのドラフト下位指名ながら、殿堂入りを果たしたレジェンドが多いブロックです。
アイスホッケーの場合、ラインメイトによって選手の素質が開花したり、逆に眠ったままの場合があります。下位指名と言えど、仲間と運を味方に付ければ、全く違う選手人生が開ける好例が今回の記事に溢れています。
今回、体が細くて、
指名を見送られた選手の立身出世物語も含まれてるにゃ。
どんな選手が出てくるか、
何が起こるかわからないNHLの面白みがここにある!
引用元:NHL.com「60 Diamonds: Greatest picks from 60 NHL Drafts, Nos. 30-21」。
ドラフト指名を見送られた男の意地
30.ダグ・ギルモア、F(フォワード) (286ポイント)
指名順:セントルイス・ブルース 第7巡目(全体134位)、1982年
ギルモアは1981年のNHLドラフトで指名されませんでしたが、1983-84年シーズン、NHLにやってくると、1986-87シーズン、キャリア最多の42ゴールを記録したのをはじめ、デビューから11シーズンはいずれも20ゴール以上を記録しています。
※1981年のNHLドラフトで指名されませんでしたが、…=ドラフト指名漏れの原因は、80キロに満たない体重が原因だったと考えられる。実際、1982年ドラフトでも多くのチームがギルモアの指名を取りやめており、ブルースがかろうじて指名した形となっている。
そのブルースもギルモアの体格に疑問を持ち、まず古巣・OHLのコーンウォール・ロイヤルズでプレーさせている。契約に不安をいだいたギルモアは、1983年夏に西ドイツのチームでプレーすると決め、一時期、西ドイツに滞在していたのを呼び戻されている。
1988年、カルガリー・フレームスにトレードされ、1989年のモントリオール・カナディアンズとのファイナル第6戦、スタンレー・カップを締めくくるゴールを決めました。
彼にとって最高のシーズンとなったのは、1992-93シーズン、トロント・メープルリーフスでNHL最高のディフェンシブフォワードとしてセルケ・トロフィーを獲得し、ハート・トロフィー(シーズン最優秀選手)の投票ではピッツバーグ・ペンギンズのマリオ・ルミューに次いでリーグ2位となり、アシスト数(95)とポイント数(127)でトロントのシーズン最多記録を樹立しています。
2011年、ホッケーの殿堂入りを果たしました。
ガッツの塊!
「ダグ・ギルモアを支持する論拠はこれに尽きます:NHL史上、ギルモア以上のポイントを獲得した選手は20人しかいない、ということです。彼が7巡目指名選手でありながら、生み出した作品を考えてみてください。
20シーズンの通算ポイントは1,414(450ゴール、964アシスト)、56試合に及ぶ勝利を決めるゴール、プラスマイナス評価はプラス129という素晴らしいキャリアでした。しかし、ギルモアの価値は統計だけでは評価できません。
スタンレーカップ・プレーオフの時期によく見せてくれたハートの強さとガッツ、それが彼のキャリアを決定づけました。
例えば、1993年のウェスタン・カンファレンス・ファイナル、トロント・メープルリーフス対ロサンゼルス・キングス戦(7試合終了)後、ギルモアは試合中に体重を大幅に減らしていて、点滴が必要なほどだったのです。
関係ない、とばかりに、彼はシリーズ7試合を通して1試合も欠場しませんでした。
※1993年のウェスタン・カンファレンス・ファイナル=延長にもつれ込んだ第6戦、当時キングスの選手だったウェイン・グレツキーのスティックがギルモアの顎に当たり、8針を縫うほどのケガとなった。
当時のハイ・スティッキングのルールにより、グレツキーは5分間退場となるはずが、主審の判断でそうならず、グレツキーは直後に延長決勝ゴールを挙げている。
これらすべて7巡目指名選手がやったことですか、って?ばかげた話さ。彼は本当に史上最高の選手の1人です」。―スタッフライターのマイク・ツァイスバーガー
ギルモアを見出したのはブルースなんだけど、
スター選手となったのは
フレームスやメープルリーフス時代なんだにゃ。
プラス129って、彼がリンクにいる間、
5人がかなり攻撃的に行けてたってこと。
6巡目で指名された2人のうち1人が…
29.ダニエル・アルフレッドソン、F (289ポイント)
指名順:オタワ・セネタース 第6巡目(全体133位)、1994年
1994年のNHLドラフト6巡目指名権2つあるうちの最初の1つで、セネタースは、(最終的に)NHLでプレー経験のなかった、マサチューセッツの高校生ディフェンスマン、マイク・ガフニーを指名しました(全体131位)。その2つ後、2回目の選択の方がはるかに幸運だったのです。
※マイク・ガフニー=米国、マサチューセッツ州ウスター出身、47歳。2003年までプレーしていたが、記事にあるように、一度もNHLの舞台に立ったことはない。一時期、フィンランドのプロリーグに在籍していたが、それ以外は米国の下部リーグを主戦場としていた。
1995-96シーズン、アルフレッドソンはNHL新人王としてカルダートロフィーを受賞、1999年から2013年までキャプテンを務め、NHLでの18シーズンのうち17シーズンをオタワでプレーしました。
ゴール(426)、アシスト(682)、ポイント(1,108)でセネタース歴代1位の記録を持ち、2022年にはホッケーの殿堂入りを果たしています。
7巡目指名でも1000ポイント達成!
28.ジョー・パベルスキー、F (291)
指名順:サンノゼ・シャークス 第7巡目(全体205位)、2003年
2002-03シーズン、36ゴールでユナイテッド・ステイツ・ホッケーリーグ(米国中西部とグレートプレーンズにある16~21歳までの選手が所属する16チームで構成)のトップにもかかわらず、パベルスキーは2003年NHLドラフトにおける北米スケーター最終ランキング129位でした。
パベルスキーに対し、シャークスは3つ持っている7巡目指名権のうちの2つ目を使用し、その後、ウィスコンシン大学で2シーズン、それとは別にアメリカン・ホッケー・リーグ(ウースター・シャークス)で1シーズンのプレーを経て、2006年11月22日、パベルスキーはNHLデビュー戦で得点しています。
※ウィスコンシン大学=正式名称はUniversity of Wisconsin-Madison、1849年設立。アイスホッケー部はNCAA1部リーグのビッグ・テン・カンファレンス所属。パベルスキーは2004~6年まで在籍し、2006年の優勝に貢献している。
それ以来、彼は13シーズンにわたり20ゴールを記録し続けており、その中にはダラス・スターズでの今シーズン(2022-23)28ゴールを含んでいます。27ゴール目はNHL通算1000ポイント目となりました;38歳の彼は、この大台に到達した10番目の米国生まれの選手です。
また、ギルモア(1,414ポイント)、リュック・ロビタイユ(1,394)、テオ・フルーリー(1,088)、デイブ・テイラー(1,069)と並んで、また、7巡目以降に指名された選手中、1000ポイントを挙げた5人のうちの1人でもあるのです。
※リュック・ロビタイユ、テオ・フルーリー、デイブ・テイラー=以前の記事で紹介済み↓。
1000ポイントって一口に言っても、単純計算で、
NHLで10年連続100ポイントを叩き出す選手なんて、
ほとんどいないんだにゃ。
パベルスキーは今シーズンも現役です!
1試合平均ゴール、歴代3位!
27.パベル・ブレ、F (330)
指名順:バンクーバー・カナックス 第6巡目(全体113位)、1989年
1991-92シーズン、「ロシアのロケット」は65試合で34ゴールを決めてNHLでの存在感を示し、カルダー・トロフィーを受賞しました。
1993-94シーズン、2シーズン連続で60ゴールを記録し、1994年のスタンレーカップ・プレーオフ、カップファイナルにカナックスが進出した際、彼の挙げた16ゴールは全選手中トップとなっていたのです。
NHLでは12シーズンにわたりプレーし、カナックス、フロリダ・パンサーズ、ニューヨーク・レンジャーズで計5度50ゴール以上を記録しました。
膝の故障のため、702試合に出場して437ゴールを挙げた後、2003年に引退しましたが、700試合以上出場した選手中、マイク・ボッシー(0.76ゴール)、マリオ・ルミュー(0.75ゴール)に次いで歴代3位の1試合平均0.62ゴールを記録しています。
※マイク・ボッシー=カナダ、ケベック州モントリオール出身、2022年4月死去、享年65歳。現役時のポジションは右ウィング。50試合50ゴールを達成した選手5人のうち2人目。しかし、ボッシーは毎試合連続してゴールしており、NHL史上、これは彼だけの記録である。
※マリオ・ルミュー=以前の記事で紹介済み↓。
2012年、ビュアーはホッケーの殿堂入りを果たしました。
スーパー・ディフェンスマン?
26.ラリー・ロビンソン、D(ディフェンス) (337)
指名順:モントリオール・カナディアンズ 第2巡目(全体20位) 1971年
同じドラフトで、1つのチームがホッケー殿堂入り選手を2人見つけられるのはあまりありませんが、1971年、カナディアンズがそれを行っていて、第1巡目で1位指名を受けたガイ・ラフレールと第2巡目でロビンソンを指名しました。
※ガイ・ラフレール=カナダ、ケベック州サーソー出身、2022年4月死去、享年70歳。現役時のポジションは右ウィング。メット着用のない時代、長い金髪を風になびかせながらの自由奔放なプレーで、70年代NHLの人気選手となる。
監督とソリが合わなくても、あまりに人気があったので、カナディアンズのフロントがトレードに出せなかった程である。
ロビンソンは、カナディアンズに在籍していた17シーズンの間、6度のスタンレーカップ優勝を経験し、ロビンソンは身体能力と守備力に優れた選手となったのです。
スタンレーカップのプレーオフで、ラフレールと並んで21ポイント(4ゴール、17アシスト)を記録し、1978年にカナディアンズがカップを制覇した際、プレーオフMVPとしてコン・スマイス・トロフィーを獲得しました。
ロビンソンはリーグ最高のディフェンスマンとしてノリス・トロフィーを2度受賞しましたが、その中には、1976-77シーズン、85ポイント(19ゴール、66アシスト)、プラス120の成績を残しており、NHL史上、これはディフェンスマンとして2番目の記録です(ボビー・オア、プラス124、1970-71シーズン)。
※ボビー・オア=以前の記事で紹介済み↓。
1995年、ロビンソンは殿堂入りしました。
ディフェンスマンでプラス120なんて、
もうスーパーマンの域だにゃ。
あの広いリンクを縦横無尽に滑り、
どんな局面にも顔を出して、
プレーに参加するスタミナがないと絶対無理。
まとめ
第1巡目=ファースト・ラウンドにはじまりラウンドそれぞれに、現在なら32の指名枠があります。トレード等により、32のうち2~3の指名枠を持つチームも出てくるわけですが、今年のドラフトでもありましたし、過去にもあったのは今回の記事の通りです。
アルフレッドソンの記事でも触れたように、セネタースは同一ラウンド内で2人指名したうち、1人は残念ながらNHLで開花しなかった選手に、もう1人は殿堂入り選手となりました。もし、この指名順が逆だったり、違うラウンドで指名していたらどうなっていたのでしょうか。
日本のBリーグが将来のドラフト制採用を明言しており、おそらく北米四大スポーツのものをお手本にすると思われます。全体1位指名権獲得で一喜一憂するファンの姿など、日本でも同様のドラマが生まれるかもしれません。
その予行演習として、NHLに興味を持ってもらえたらいいなぁ、なんて他力本願過ぎますかね^^;。
ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!