60周年記念!NHL史上最高のドラフト指名選手は誰だ!(その10)

アイスホッケー名選手

はじめに

 NHL公式サイトに登場したよだれモン企画、過去のドラフトの歴史を振り返り、(ドラフト60周年にちなみ)史上最高のドラフト指名選手60人選出の第10弾です。早くしないと、新シーズンが始まってしまいます!ヒト桁順位になり、少々安心モードに入って…それじゃいけませんね。

 前回の記事はこちら→

 今回は13~8位までで、前回同様、かなりのドラフト下位指名ながら、殿堂入りを果たしたレジェンド達で、しかもゴールキーパー、東欧・北欧の選手が多く見られるブロックとなっています。

讃岐猫
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引用元:NHL.com「60 Diamonds: Greatest picks from 60 NHL Drafts, Nos. 20-1

嵐のおかげで、デトロイトに「お宝」が…

13.パベル・ダツィク F〈フォワード〉 (468)
指名順:デトロイト・レッドウィングス、第6巡目(全体171位)、1998

 レッド・ウィングスが指名するまで、ダツィクはNHLドラフトで2回(1996、1997)指名を見送られています。スカウトが別の選手をスカウトするため、1ロシアで行われた彼の出場試合を観ていたことにより、レッドウィングスは偶然ダツィクを見つけたのです。

 それどころか、レッドウィングスは、ダツィクの(アイスホッケーにおける)あらゆる分野での仕事ぶりに感心してしまいました。

 名前を形容詞に変えてしまうほどのパック・ハンドリング・スキルで、ファンを魅了したダツィクを、ドラフト終盤で指名できたのは、チームにとって非常にうまくいったと言えます。

 NHLでの14シーズン、すべてレッドウィングスでプレーし、スタンレーカップを2回(2002、2008)、セルケトロフィーを3シーズン連続(2007-10)、紳士的プレーによるレディ・ビング・トロフィーを4シーズン連続(2005-09)獲得しました。

ドラフト下位指名なのに、あっさりベテランに勝利!

12.ヘンリック・ルンドクヴィスト G〈ゴールテンダー〉 (480)
指名順:ニューヨーク・レンジャーズ、第7巡目(全体205位)、2000

 スウェーデンで5シーズン、レンジャーズはルンドクヴィストを育成した後、2005年、北米に連れてきて、ベテランのケビン・ウィークス2をバックアップすると見られていました。それどころか、15シーズンにわたって、彼はレンジャーズのゴール・エリアを支配したのです。

 2011-12シーズン、NHL最優秀GKとしてベジーナ・トロフィーを獲得し、同賞の最終候補になったことが5回あるうちの1人となりました。

 また、ルンドクヴィストの加入するまでの7シーズンはプレーオフ進出を逃していましたが、加入後の12シーズンのうち11シーズンで、レンジャーズはスタンレーカップ・プレーオフ進出を果たしています。

 ルンドクヴィストの通算459勝はNHL史上6位の記録であり、レンジャーズのゴールキーパー歴代最多勝と最多完封(64)を記録しました。

讃岐猫
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ブラックホークスからセイバーズへプレゼント?

11.ドミニク・ハシェック G (489)
指名順:シカゴ・ブラックホークス、第10巡目(全体199位)、1983

 ハシェックが母国チェコスロバキアから北米に来るのを、ブラックホークスは7年間待ち、1990年、26歳のときに彼はやってきました。

 有望株のように見えましたが、シカゴにエド・ベルフォア3も在籍していたため、1992年、ハシェックはバッファロー・セイバーズにトレードされています。

 1993-94シーズン、セイバーズのスターター(先発GK)の座に就いたハシェックは、6回(1993-95、1996-99、2000-01)のヴェジナトロフィーを受賞しており、これは、1982年、NHLのゼネラルマネージャーによる投票が始まって以来の最多記録となりました。

 ハシェックはまた、NHL史上唯一、ハート・トロフィーを2シーズン連続で受賞したゴールキーパーでもあり(1996-98)、1999年、セイバーズはスタンレー・カップ決勝進出に貢献したものの、皮肉にもベルフォアとダラス・スターズに敗れました。

 ハシェックは、レッドウィングス(2002、2008)でもスタンレーカップを2回獲得しています。NHL16シーズンでの通算389勝は歴代15位で、セーブ率.922は200試合以上に出場したゴールキーパーとしては、ケン・ドライデン4と並んでNHL史上最高となりました。

 2014年、ホッケーの殿堂入りを果たしています。

ドラフト指名されたことを知らなかった男

 「ダイヤモンドについて話せばいいのかい?NHL史上トップ3に入るゴールキーパーを、10巡目で獲得するのはどんな感じなんだろう?

 ハシェックがこれほど長く活躍できたのは、母国チェコスロバキアがまだ共産主義政権下にあり、いつ彼がNHLに入団するか、あるいは入団するかが不透明だったことが大きいね。そして、ハシェックはNHLを支配したんだ。

 ブラックホークスでの2シーズン(1990-92)、ハシェックはほんのわずか20試合に先発したが、その後は主にバッファロー・セイバーズとデトロイト・レッドウィングスで殿堂入りのキャリアを歩み、735試合出場(714先発)、389勝、平均失点2.20、セーブ率.922を記録した。

 1993〜2001年までの8シーズン、ハート・トロフィーを2回(1996-97、1997-98)、ヴェジーナ・トロフィーを6回獲得している。加えて、レッドウィングスでスタンレーカップを2回制覇し、1998年、長野オリンピックではチェコ代表として金メダルを獲得した。

 実際、ハシェック自身は何も見ていなかったのに、5自分より先に200人近い選手が指名されていたことを考えれば、この成績は素晴らしいよ。このゴールキーパーは、何ヶ月もドラフト指名されたことさえ知らなかったんだから」。—アマリー・ベンジャミン、スタッフライター

讃岐猫
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グレツキーの良き相棒

10.ヤリ・クリ F (494)
指名順:エドモントン・オイラーズ、第4巡目(全体69位)、1980

 1980年、クリはオイラーズによって指名された2人の殿堂入り選手のうちの1人であり、ディフェンスマンのポール・コフィー6(全体6位)と共に指名されました。

 エドモントン王朝がチャンピオンの座を謳歌していた時代、クリはウェイン・グレツキーの優れたラインメイトとなっています。

 474ゴールと1,043ポイントは、オイラーズでグレツキー(583ゴール1,669ポイント)に次ぐ歴代2位の記録であり、クリは5回のスタンレーカップ優勝(1984、1985、1987、1988、1990)に貢献しました。

 NHL17シーズンでの601ゴールはNHL史上20位で、フィンランド生まれの選手としてはティーム・セレンネ7(684)に次いで2番目です。2001年、クリはホッケーの殿堂入りを果たしました。

セレンネについては、こちらもどうぞ!

レッドウィングスの翼を復活させたレジェンド!

9.スティーブ・アイザーマン F (496)
指名順:デトロイト・レッドウィングス、第1巡目(全体4位)、1983

 アイザーマンの登場により、レッドウィングスは「デッド・シングス」時代8から抜け出しました。

 彼を指名する前、17シーズンで2回しかスタンレーカップ・プレーオフ進出を果たせませんでしたが、アイザーマンは、NHL22シーズンのうち20回プレーオフに、デトロイトを進出させたのです。

 しかも1997年、1998年、2002年にカップ優勝を果たし、2008年にはレッド・ウィングスのエグゼクティブとしてチームをプレーオフに導きました。アイザーマンは通算692ゴールでNHL史上10位、通算1,755ポイントで7位であり、2009年にホッケーの殿堂入りを果たしています。

讃岐猫
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グレツキー、オベチキンと一緒に必ず名前の出る選手

8.マイク・ボッシー F (520)
指名順:ニューヨーク・アイランダーズ、第1巡目(全体15位)、1977

 ボッシーはNHL史上最高のゴールスコアラーの一人であり、150試合以上出場した選手中、史上初の1試合平均0.76ゴールを記録しています。

 50ゴールを記録したシーズンは9回で、ウェイン・グレツキー、アレックス・オベチキンと並んで歴代最多、60ゴールを記録したシーズンは5回でグレツキーと並んで最多です。

 アイランダーズのスタンレーカップ4連覇(1980-83)に貢献し、その間のプレーオフ72試合で61ゴールを決め、1982年にはプレーオフの最優秀選手としてコーン・スマイス・トロフィーを獲得しました。

 1977-78シーズン、ボッシーはカルダー・トロフィーを獲得し、さらにレディ・ビング・トロフィーを3回(1982-84、1985-86)獲得し、1991年、ホッケーの殿堂入りを果たしています。

まとめ

 今回から注釈の付け方を変更しました。より読みやすいブログを目指しているのですが、それにしても、その機能に気づくのが遅いですよね^^;。というか、あるのは知ってたのに、ズボラな性格で後回しになっていたのです。他の機能もやってみないとなぁ…(いつになるやら)。

 ドラフト指名で200位を超えると、もう誰も注目していないんじゃないか、と思われがちですが、北米4大スポーツでは、むしろその辺の順位の選手が大活躍したりします。

 ドラフトで最後の最後に指名されながらチームの中心選手となった、NFLサンフランシスコ49ersのブロック・パーディがいい例でしょう。NHLにもそういう選手が多いのは、今回の記事でお分かりいただけたと思います。

 現在のNHLにも同様の立場にある選手が大勢います。ドラフト順位と照らし合わせながら、試合を見るのも結構オツなものですよ。

讃岐猫
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【註釈】

  1. 1997〜1998年夏、デトロイト・レッドウィングスの欧州スカウティングディレクター、ホーカン・アンダーソンによって初めて注目されたと言われている。

     ディフェンスマンのドミトリ・カリーニンをスカウトするため、アンダーソンはモスクワを訪れていたが、彼の目に留まったのは「他のチームのこの小さな男」と評されたダツィクだった。

     なお、カルガリー・フレームズのスカウトも視察予定だったが、乗る予定の飛行機が嵐の影響でキャンセルになったため、ダツィクのプレーを見た唯一のNHLスカウトはアンダーソンだったと言われている。
    ↩︎
  2. カナダ、オンタリオ州トロント出身、48歳。現在、NHLネットワークスの『オン・ザ・フライ』、『NHLトゥナイト』 、およびESPNの『ザ・ポイント』のスタジオ解説者。

     全盛期はカロライナ・ハリケーンズ在籍時で、同チームからレンジャーズに移籍し、主力として期待されていたが、負傷により、ルンドクヴィストにその座を譲った。
    ↩︎
  3. カナダ、マニトバ州カーマン出身、58歳。通算484勝はNHLゴールテンダーの中で歴代5位。NCAAチャンピオンシップ、オリンピック金メダル、スタンレーカップを獲得したわずか2人の選手のうちの1人。

     特徴的なフェイスマスクから「エディ・ザ・イーグル」と呼ばれる。
    ↩︎
  4. カナダ、オンタリオ州ハミルトン出身、76歳。引退後は政治家、弁護士、実業家、作家として活躍、2004〜2006年まで社会開発大臣を務めた。新人王を受賞する前にコン・スマイス・トロフィーを獲得した唯一の選手でもある。

     現役中、法律事務所に法律事務員として入所した経験が後に活きることとなる。彼の作家生活については、こちら→
    ↩︎
  5. 1983年当時、「鉄のカーテン」(1991年の冷戦終結まで、欧州において存在した政治的境界線)の向こうから、NHLチームは選手をドラフトすることに神経をとがらせていた。

     東側諸国の選手は、しばしば自国のルールによって、NHLでのプレーを禁止されていたからである。よって、ハシェックはほとんど情報すら手に入らなかったと思われる。
    ↩︎
  6. カナダ、オンタリオ州ウェストン出身、62歳。NHL在籍21シーズンにわたって9チームでプレー。スピードと得点能力の高さで知られ、ゴール、アシスト、ポイントにおいて、NHL史上全ディフェンス選手の中で歴代2位にランクされている。
    ↩︎
  7. 詳細はこちら→
    ↩︎
  8. .1966-67シーズン、6シーズンで4回目のスタンレーカップ決勝進出を果たしたシド・アベル監督の下、さらなる高みを目指したものの、平凡なスタートとなる。

     5回連続のプレーオフ出場を目指しながら、プレーオフ圏内をなんとか粘っていたが、11月13日〜12月29日まで、4勝14敗1分と絶不調に陥り、プレーオフ進出の可能性を大きく損ねてしまう。
     最終的に5位フィニッシュとなったが、これがプレーオフに出場できるのは2回だけという17年間の始まりとなり、いつしかこの期間は「デッド・シングス」と呼ばれるようになった。 ↩︎
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