カーショウとコピタル、家族優先で現役引退|ロサンゼルスの名選手

現役スター選手紹介

はじめに

 ロサンゼルスのスポーツ界に歴史的な一日が訪れました。ドジャースのクレイトン・カーショウとキングスのアンゼ・コピタルがほぼ同時に引退を発表。二人は20年近くチームの心臓として活躍し、多くのファンに愛されてきました。

 野球やホッケーで輝き続けた彼らの姿は、まさに「ロサンゼルスは大谷だけじゃないよ!」を体現。引退後は家族との時間を優先し、新たな人生へと歩み出します。

参照記事:The News-Times1Hollywood endings: LA icons Clayton Kershaw, Anze Kopitar announce impending retirements on same day

ロサンゼルスの2大スターが同時に引退発表✨

 9月18日・木曜日の午後、ロサンゼルスのスポーツ界に歴史的なニュースが飛び込んできて、一瞬で大きな転機を迎えました。

 ドジャースのエースとして長年君臨したクレイトン・カーショウ2と、LAキングスのキャプテンとして長年チームを支えたアンゼ・コピタルが、わずか2時間違いで引退を発表したのです。

 2人の決断のタイミングは偶然の一致でしたが、そのニュースはロサンゼルスの街全体を揺るがす大きな出来事となりました。これから一年のうちに、2人はハリウッドの光から身を引きます。

 カーショウは、ディフェンディング・チャンピオンであるドジャースのプレーオフ終了後(9月19日(米国時間)にポストシーズン進出を決定)、数週間以内にユニフォームを脱ぐ予定。そしてコピタルは、2026年NHLシーズンを最後に氷上を去ると決めました。

 「こんなふうに物事が重なるなんて不思議だよ」とコピタルは笑いながら語りました。「きっと宇宙の何かが働いて、この日に一緒に決めることになったんでしょう」。

 それぞれ約20年にわたり、それぞれのチームの“心臓部”であり続けた2人。21世紀を代表するこの2人のロサンゼルスの象徴的存在は、偶然にも同じタイミングで引退を決断したことで、この日はロサンゼルスにとって忘れられない一日を作り出しました。

並行して歩んだキャリアの軌跡🏒⚾

 さらに印象的なのは、カーショウとコピタルが友人であり、偶然にもキャリアの多くを同時期に過ごしてきました。コピタルがスロベニアからやって来たのは2006年3。そしてカーショウがテキサスから加わったのは2008年4

 以来、ロサンゼルスというスポーツがひしめく大都市で、彼らはずっと輝きを放ち続けてきました。

 2人はそれぞれ2度の優勝リングを手にしており、最後にもう一度チャンスをつかみたいと願っています。

 しかしまず、37歳のカーショウと38歳のコピタルは、自分たちの決断を早めに発表することで、チームへの余計な混乱を避けたかったのです。そして結果的に、ほとんど同じタイミングで発表することになりました。

 カーショウは「これ以上に良いシーズンの締めくくりはないと思うよ」と語り、「まだ今月やるべきことはたくさんあるし、シーズン最後の試合で勝つという“究極のゴール”を邪魔したくはないんだ」。

カーショウの涙がとても印象的。

【追記】
 カーショウの記者会見の一部をご紹介。

「ドジャースの仲間たちへ。正直、目を見て話すと泣いてしまいそうなので見ませんが、君たちは僕にとって特別な存在です。一緒にトレーニングしたこと、フライトの時間、ふざけあった日々、その全部が恋しくなるでしょう。勝ったあとの喜びを共有する瞬間、それが一番特別でした。

 ダラスの友人や家族、そしてずっと応援してくれた人たちにも感謝しています。14歳の頃からずっと見守ってくれて、本当にありがとう。

 最後に、エレンと子どもたちへ。僕の人生のすべてをともに過ごしてくれてありがとう。エレンが今日送ってくれた文章を紹介します。彼女はこの18年間、妊娠、子育て、スタンドでの応援、泣き笑いすべてを経験してきました。彼女の言葉は、僕たちの歩みを完璧に表していて、心から感謝しています。

 僕の好きな聖書の一節を最後に紹介します。「何をするにも、人にではなく主に仕えるように心を尽くして行いなさい」(コロサイの信徒への手紙)。僕はその言葉どおりにやってきたつもりです。だから今は悲しみはなく、むしろ穏やかな気持ちでいます」。

 キングスは水曜日に「翌日会見を開く」と発表しました。理由は明かされませんでしたが、勘の良いファンや記者には十分察しがついたのです。

引退記者会見の映像。この記事後半に出てくる奥様、2人のお子さんも同席。

【追記】
 記事で会見の大部分は紹介されているが、「まだモチベーションもエネルギーも十分にあるが、今季を最後にすべてを出し切りたい」と語り、引退ツアーのような扱いは望まず、あくまでチームの成功に集中する姿勢を強調している。

 それに続き、コピタルの会見予定の約3時間前、ドジャースはカーショウの決断をSNSで発表し、その日の午後に会見を行うと告知しました。カーショウによれば、妻のエレンに「金曜日の最終戦5で登板する前に発表したほうがいい」と勧められたそうです。

 アイスホッケーより野球がさらに大きな注目を集めるロサンゼルスでは、どうしても数々の栄誉と名声を手にしてきたカーショウのニュースに目が向いてしまいます。しかし、コピタルはまったく気にしませんでした。

 コピタルは「僕にとってはむしろ都合が良かった、完璧だよ」と語り、「これで目立たずに済むからね。彼は世界的な野球選手であり、受けるべき評価をすべて受けるにふさわしい存在さ」と素直に称えました。

 カーショウとコピタルは、キャリアのほとんどを通じて互いに交流してきました。お互いの試合を観戦し合い、2014年10月にはスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾った6こともあります。そのときは、カーショウがコピタルの肩に腕をかけ、2人で笑顔を見せていました。

共通点の多い2人のキャリア✨

 カーショウとコピタルのキャリアには、驚くほどの共通点があります。2人とも2000年代半ばのドラフト1巡目で指名を受け、大きな期待を背負ってロサンゼルスにやってきました。

 キングスはNHL選手をまだ輩出していなかった未知数のスロベニア出身のコピタルを指名したキングスのリスクは、地元テキサス・ダラスの高校で圧倒的な実力を誇り、支配的な存在だったカーショウを獲得したドジャースより大きなものでした。

 大都市ロサンゼルスに到着した2人は、それでもすぐにその実力を堂々と発揮し、重圧の中、チームに欠かせない存在となりました。2008年にはコピタルがキングスの得点王となり、2011年にはカーショウがシーズン20勝を達成。

 しかし、2人ともプレーオフでの大きな成功を手にするまでには時間がかかりました。特にカーショウは長い間待たされることになり、ポストシーズンで苦戦を強いられてきました。

 それに比べ、コピタルのキングスは2012年に第8シードから快進撃を見せ、チーム史上初の優勝を果たし、スタンレーカップを獲得。コピタルが最初のリングを手にしたのはNHL6年目で、その2年後にはもう一度優勝しました。

キャリア晩年の輝きと家族への想い👨‍👩‍👧‍👦

 一方、カーショウは長らくポストシーズンで苦戦し、そのことが彼のキャリアを語る上で避けられない要素・象徴となっていました。

 しかし2020年、パンデミックで短縮された13年目のシーズンで、カーショウはドジャースの優勝に大きく貢献し、ついに悲願を達成7。批判的な声を除けば、過去の評価を一掃することになりました。

 引退を決断した今も、2人は年齢を感じさせない活躍を見せながら、キャリアの頂点に近い状態で身を引く選択をしています。カーショウは今季10勝2敗、防御率3.53、通算3000奪三振を達成しました。

 7月以降は一度も負けておらず、8月には5試合に先発して28回2/3を投げわずか6失点と圧倒的な投球を披露。低迷するチームを救い、崩れがちなブルペンを支えました。

 コピタルは昨季21ゴール・46アシストを記録し、チーム2位の得点源となりました。それに加えて、2度のセルキー賞(最優秀守備フォワードに贈られる賞)を受賞した守備力も健在です。

 まさに攻守で存在感を発揮し、今季あと30ポイント加えれば、マルセル・ディオンヌ8を抜いてキングス史上最多得点者となる大記録に迫っています。チームは4年連続で1回戦敗退中ですが、その壁を破れる戦力を整えつつあります。

 そんな2人が引退を選んだ大きな理由は「家族」でした。子どもと過ごす時間を優先したいと語っています。コピタルは妻イネスとともに母国スロベニアに戻り、ホッケーやフィギュアスケートに打ち込む、10代に差しかかろうとする子どもたちをサポートする予定です。

 カーショウも妻エレンとともに、4人の子ども、そして生まれてくる5人目の子どもとの時間を大切にする道を選びました。

 引退会見ではカーショウの方が多くの涙を見せましたが、2人とも素晴らしいキャリアの終わりを噛みしめつつ、これからの未来に前向きな気持ちを語りました。「もう心は決まっている」とカーショウは語ります。「今がその時なんだよ」。

コピタルのラスト・シーズンはこれから。その勇姿を眼に焼きつけよう!

讃岐猫
讃岐猫

まとめ

 カーショウとコピタルは、それぞれのキャリアの頂点近くで引退を決断。輝かしい実績と家族への想いを胸に、新たなステージへ進みます。ロサンゼルスのスポーツ界はこれで一つの時代を終えますが、二人の活躍はファンの記憶に長く残り、未来の選手たちへの道標となるでしょう。

讃岐猫
讃岐猫

【註釈】

  1. アメリカ・コネチカット州ダンベリー(Danbury)を中心エリアとする地域紙The News-Timesの公式ウェブサイト。Hearst Corporationが所有・運営しており、地域ニュース、スポーツ、政治、ビジネス、生活情報などを扱っている。

     この新聞は1883年創刊と歴史が長く、地元コミュニティに密着した報道で知られており、出版物としての印刷紙版に加えてオンライン版にも力を入れている。近年はウェブサイト経由でのアクセスが増え、ライブニュース、マルチメディア、e-Editionなどの機能を提供。

     信頼性・偏向性の評価については、MediaBiasFactCheckで“Left-Center biased”(中道左寄りのバイアス)という評価を受けつつ、「事実報告(factual reporting)の水準は高い」と認められており、ニュース記事の誤報・過度の偏見報道といった重大な問題が報告されているわけではない。
    ↩︎
  2. 大谷翔平が所属するロサンゼルス・ドジャースのレジェンド左腕、クレイトン・カーショウは、球団一筋で18年間にわたる輝かしいキャリアを築き、2025年シーズン限りでの引退を表明。3度のサイ・ヤング賞、2度のワールドシリーズ制覇、通算222勝、2025年には史上20人目の3000奪三振を達成するなど、数々の偉業を成し遂げ、将来の野球殿堂入りも確実視されている。

     カーショウの代名詞は、打者の手元で大きく鋭く落ちる「お化けカーブ」と、独特の投球フォームから繰り出される力強い速球。近年は故障に悩まされながらも、マウンドに立てば「衰え知らずの驚異的存在」としてチームを支え続け、故障者が相次いだ2025年シーズンも重要な戦力として活躍した。

     キャリア唯一の弱点とされていたポストシーズンでの不調も、2020年のワールドシリーズ制覇に貢献するなど、大舞台での活躍で払拭している。

     また、カーショウは野球の実績だけでなく、慈善活動家としても知られる。大リーグデビュー後、アフリカのザンビアで目にした貧困や病気の状況に心を動かされ、妻と共に孤児院の支援などを行う「カーショーズ・チャレンジ」という慈善基金を設立。

     2012年には、球団内外での地域貢献や慈善活動が評価され、ロベルト・クレメンテ賞を受賞している。
    ↩︎
  3. スロベニアのイェセニツェで生まれ育ったアンゼ・コピターは、地元のジュニアホッケーチームでキャリアをスタート。しかし、スロベニアリーグの競争レベルが低いと感じたコピターは、より高いレベルでのプレーを求め、16歳でスウェーデンへ。
     そこで、ソーデルテリエSKのジュニアチームに加入し、その後、国内トップリーグであるエリートセリエンのシニアチームでプレー。ジュニアチーム時代にはリーグ最多得点を記録するなど、その卓越したオフェンス能力は高く評価されていた。
     
     2005年のNHLドラフトでは、NHLセントラルスカウティング局からヨーロッパ人選手の中で最高の評価を受け、ロサンゼルス・キングスから全体11位という高順位で指名。多くのトッププロスペクトとは異なり、指名後すぐに北米へ渡らず、エリートセリエンでプロ相手にプレーを続け、さらなる成長を遂げることを選択した。18歳で、レジーナ・パッツ(WHL)からも指名を受けていましたが、これも辞退。
     
     そして、2006年10月6日、ロサンゼルス・キングスの一員としてNHLデビューを果たし、アナハイム・ダックス戦で2ゴールを記録した。彼はNHL史上初のスロベニア人選手であり、キングスの新人選手としてはフランチャイズ史上3人目となるデビュー戦2ゴールを達成。
    ↩︎
  4. クレイトン・カーショウは1988年生まれのテキサス出身で、ハイランドパーク高校在学時から州内屈指の左腕として注目を集めた。高校では圧倒的な投球を見せ、スカウト陣の高い評価を受けていた。

     その後、2006年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースに全体7位で1巡目指名を受け、プロ入りを果たす。指名直後は若手有望株として下部リーグで結果を残し、アーム、球速、変化球の評価が高まった。

     プロ入り後はマイナーで順調に力を付け、2006〜2007年にかけてGCLやLow-A、さらにはダブルAへ昇格するなど短期間で階級を上げていく。特にGCLでは奪三振率が高く、球団内外で高いプロスペクト評価を受けていた。これらの活躍が、早期メジャー昇格の布石となる。

     そして2008年5月25日、20歳でメジャーデビュー。カージナルス戦で6回を投げて7奪三振と好投し、期待どおりのデビューを飾る。デビューから短期間で先発ローテーションに名を連ねるなど、入団からわずか2年足らずでメジャーの舞台に定着。
    ↩︎
  5. カーショウは、引退表明後の2025年9月19日(金曜日、日本時間20日)、本拠地ドジャー・スタジアムで行われたサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、最後のレギュラーシーズン登板を果たした。
     
     カーショウは、5回途中で降板(4回1/3)。被安打4、四死球4、奪三振6、自責点2、投球数91。試合はドジャースが6対3で勝利し、ポストシーズン進出を決定。
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  6. こちらで見ることができる→⭐️
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  7. カーショウはレギュラーシーズンでの圧倒的な成績で名声を築いてきたが、長年にわたり「ポストシーズンで期待に応えられない」というイメージに悩まされてきた。これは2013年のNLCSでの崩れや、その後の数度の苦い登板が象徴的で、プレーオフでの被弾や適時失点が目立った場面が繰り返されたため。

     しかし、2020年の短縮シーズンは転換点となる。カーショウはポストシーズンで安定した働きを見せ、ワールドシリーズの重要な登板で勝利に貢献するなど、長年の“苦手”という物語を大きく塗り替えた(2020年ポストシーズンでは4勝・防御率2.93、30回強で37奪三振という成績)。

     それでも通算のポストシーズン成績はレギュラーシーズンの圧倒的数字ほどには良好ではなく、キャリア全体でのポストシーズン防御率や登板内容を見ると、長年の“課題”は統計にも残っている。

     とはいえ、2020年のWorld Series制覇はカーショウの評価に決定的な正の影響を与え、引退/晩年にかけての「レガシー」を守る重要な実績となった。
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  8. 1951年、カナダ出身。1971年から1989年までの18シーズンをNHLでプレー。所属チームはデトロイト・レッドウィングス、ロサンゼルス・キングス、ニューヨーク・レンジャース。

     彼は「ゴールマシン」として知られ、1979–80シーズンにはNHLの得点王(Art Ross Trophy)を獲得。シーズン50ゴール以上を6回、100ポイント以上を記録したシーズンが8回あり、驚異的な攻撃力を誇った。

     また、国際舞台でもカナダ代表として活躍し、World ChampionshipやCanada Cupに出場。1992年にホッケーの殿堂入り。勝利には恵まれず、スタンレーカップ制覇こそ成し遂げられなかったものの、その得点能力と安定感は今なおNHLの歴史の中でも突出している。

     彼のキャリアは、「個人成績の偉大さ」と「チームで最後の一歩を踏み出せなかった悔しさ」が同居しており、実力と成果のギャップを語る上で典型的な例と言える。
    ↩︎
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