1972年9月、カナダ出身のNHL選手達が熱く戦っていた!

アイスホッケー名勝負

「1972年9月」とは?

 殿堂入りしているゴールキーパー、ケン・ドライデンの最近出版された著書『The Series: What IRemember, What It FeltLike, What It Feels LikeNow,』が今回の主役です。

 読者は、1972年のサミット・シリーズを間近で観戦したような気分になれます。このシリーズはカナダを代表するNHL選手と、ソ連(当時)のオールスターチームの様々な感情(政治的なものも含め)入り交じる8試合のことです。

 9月2日、モントリオール・フォーラムで行われた第1戦でソ連が7対3で勝利、9月28日、モスクワで行われた第8戦でカナダが6対5で劇的な勝利を収め、4勝3敗1分けで同シリーズの最終的勝者となりました。

 サミットシリーズは2チームによる歴史的なトーナメント戦で、互いのホッケー戦術と政治イデオロギーの対決であり、アイスホッケーが地球上にある限り、語り継がれる名勝負なのです。

 モントリオール・カナディアンズで、スタンレー・カップチャンピオンを6回受賞している著者のドライデンは、弁護士、教育者、講師、作家など様々な分野で活躍している才人です。最近、NHL.comとのインタビューで、彼の本、シリーズでのプレイ、そして50周年記念行事の影響について語りました。

讃岐猫
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残念ながら、日本発売は未定だにゃ。

※※本記事は、NHL.com「Dryden looks back on 1972Summit Series」などを参照して、編集・作成したものです。

あれから50年が経った今、「シリーズ」に哲学的トーンがあると思いますか?

トライデン「この本を哲学的なものとして理解できるかどうかわからない。何よりも自分があの試合を再体験している瞬間へ、読者を導こうとする試みです。

 人にはそれぞれ(アイスホッケー好きの)基礎となる「瞬間」があります。1987年カナダカップ、ウェイン・グレツキー、マリオ・レミューのプレイかもしれない。2010年バンクーバー五輪でのシドニー・クロスビー(延長戦勝利による金メダル)のゴールかもしれない。

 例えば、若い世代にとって1972年の記憶は、父親や祖父から話を聞いたことがある、くらいのものでしょう。私の本の本質は、瞬時に、即時に、強烈に、親密に、個人的に、そしてリアルタイムに、あの試合を伝えることなのです」

※1987年カナダカップ・・・このカップ戦決勝の相手もソビエトで、1勝1敗タイで迎えた第3戦、スコアは5-5。残り時間1分半、ウェイン・グレツキー、マリオ・レミュー、ディフェンスのラリー・マーフィーの3人により3-1の陣形を作り、グレツキーのアシストでレミューが決勝点を挙げました。

※2010年バンクーバー五輪・・・2010年2月28日、五輪最終日、男子アイスホッケー決勝のカードは、カナダvs.アメリカ戦でした。2-2で迎えた延長7分、シドニー・クロスビーは味方とのパス交換から抜け出し、アメリカのゴールキーパー、ライアン・ミラーの股間を抜くシュートでカナダを勝利に導きました。

あの夜は何かが違っていた…。

問「レギュラー・シーズンとスタンレーカップ・プレーオフを含めて47試合に出場した後、モントリオール・フォーラムで、1972年9月2日、サミット・シリーズ第1戦を氷上で戦いました。

 あなたは〈この夜は違っていた〉、フォーラムは〈完全に狂乱状態だった〉と書いています。あなたがカナディアンズでプレーしたゲームと、ゲーム1ではどのように違いましたか?

トライデン「フォーラムはすでに他の(NHL関連の)建物とは劇的に違っていた。この本の冒頭で『悲鳴をあげているように感じた』と書いている通りです。フォーラムでは、エネルギーがどんどん高くなっていき、どんどん大きくなっていきました。そして、もうこれ以上高くなってはいけないと思った時ですら、それを無視するかのように、どんどん大きくなっていったのです。

 フォーラムは、プレーオフのゲームの時により大きく、より活発になるものですが、それ以上に大きく、より活発になっていると感じると、それが何を意味しているのかわからず、どうすればいいのかわからなくなります。

 それは1972年に経験した事ではありますが、人生すべての中で全く新しいものでした。つまり、見慣れているはずのものでさえ、あまり見慣れたものではなくなってしまい、そのシリーズではほとんど見慣れたものなんかなくなってしまいました。

 〈予測不可能〉だけがあのシリーズの結果でした。どんな種類のパスも、何一つ予測可能ではなかったし、常に新しい答えを見つけなければなりませんでした。結果が不確かだっただけでなく、次の瞬間ですら不確かだったのです

讃岐猫
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試合会場全体が、かなり興奮状態だったんだにゃ。

第1戦の敗戦後、チームはどんな状況だったのか?

問「第1戦での7-3の負けを分析する時間はなく、すぐに第2戦のためにカナダ代表はトロントに飛んだが、その試合でカナダはトニー・エスポージトにゴールを守らせ、4-1で勝利しました。

 第1戦の翌朝、トロントのホテルの部屋で起きた時、新聞の日曜版もなく、もちろんインターネットもラジオもテレビのスポーツチャンネルもなかった。(第1戦の敗戦後)カナダはナーバスになっていたようですが、チーム内で何も起こらなかったのでしょうか?

トライデン「何も起こらなかったと思いますよ。負けた事実を示す証拠が周囲になければ、負けたことによる絶望感など何も起こらなかったのです。なぜなら、(そういう状況でも)チームとコーチは適応することに長けていますからね。

 ゲームが終わり負けてしまった時、それは今までしてきたすべてのことが間違っていたんだろうし、きっと何も正しくなかったのです。1、2時間はそのように感じるでしょうが、眠りにつく前に「次は何をすべきか」と考えるようになるものです。

 目が覚めると、すでに次のゲームのスタート地点に立っているのであって、最後のゲームのスタートにいるのではありませんからね。絶望から新しい目標と希望へとすぐに向かうことができるのです

フィル・エスポージトのインタビュー

問「バンクーバーのパシフィック・コロシアムで行なわれた第4戦に5-3で敗れ、カナダが1勝2敗(第3戦はドロー)となり、シリーズがモスクワに移った直後、CTVのジョニー・エソウの感情的なインタビューがありました。

 それに対し、フィル・エスポージトは、カナダ代表選手が、このシリーズを深く気にかけていることを国民に伝えました。そのことは、あなたやチームメイトに何らかの影響を与えたのでしょうか?

トライデン「〈あれがあなたたち(選手)の決起の瞬間だった〉と言われ続けましたが、私は〈そんなことはない〉と思っています。フィルのインタビューのせいではありません。

 選手として太りすぎてるとか、体調管理ができてないとか、給料のもらいすぎ、そしてなによりも私たちがシリーズの勝敗を気にしていない、という国民の心の声に対し、おそらく何の意図もなく、自然とフィルはチームの声を代弁したのだろう。

 私たちは必死に気にしていた。私たちはずっとこのゲームを気にかけてきたのに、試合をしている今この瞬間、大衆が〈私たちがたくさんお金を持っているから気にしないのだ〉と言っているのです。

 フィルの顔に汗が流れ落ち、目には涙をため、声に情熱がこもり、その情熱を見聞きした大衆は、「彼らは本当に気にしている」というメッセージを受け取ってくれたのです」

讃岐猫
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選手は必死だったんだにゃ。

その光景が目に浮かぶようだにゃあ。

※CTV・・・カナダ最大の民放テレビネットワークのことです。

※フィル・エスポージト・・・当時、NHLボストン・ブルーインズ所属。ポジションはセンター、背番号7。8試合全てに出場し、チーム最多タイの7ゴールを記録しています。

 ゴールキーパーのトニー・エスポージトは実弟。トニーは今回のトライデンと共にゴールを守り、4試合ずつ出場しています。

スウェーデン滞在中に、何か心境の変化があったのか?

問「あなたはバンクーバーから帰国して、コンタクトレンズで目を傷つけてしまったので、2日間手当てをして過ごされていますね。

 カナダが1勝2敗となったところでスウェーデン、そしてロシアに向かうという日程でしたが、その間に見えない何かというか、心の中できっかけのようなものがあったのでしょうか?

トライデン「そんなものに頼ってる場合じゃなかったし、状況じゃなかったことを本を書いたんだ。心境の変化なんてものは、未来からシリーズ全体を見渡した時に〈そんなこともあったかな〉と出てくるのです。

 何かを感じずに、ただ取り組むだけです。明日は試合だ、答えを見つけなければならない…、これはまったく即物的なものなのです」

※スウェーデンでの出来事・・・トライデンは何もなかったと述べ、精神論を話していますが、滞在中、スウェーデン代表との練習試合2試合で乱闘騒ぎがあり、カナダ代表は相当な批判を浴びています。カナダ代表監督ハリー・シンデンは激しく主審2名を批判し、かなり険悪なムードだったと言われています。

 その後、スウェーデンのストックホルムにあるセーデルテリエにおいて、地元の人々との心温まる交流のおかげで、チームは落ち着きとまとまりを取り戻し、シリーズ後半の4試合に向けて気分転換ができたのです。

 第4戦、ソ連はクロスアイスパス(ゾーンを横にまたぐ距離の長いパスのこと)を多用し、トライデンをかく乱・攻略し勝利を収めています。おそらく、その事がトライデンの頭にあって、インタビューのような言い回しになったのかもしれません。

試合に向かう気構えについて

問「〈すぐに動かなければ!〉という気持ちと、じっくりと今を感じることは相反しますか?

トライデン「ゲームが始まると、気持ちが邪魔をするんです。試合に没頭することで、いろいろな感情が生まれますが、その間に、ある他の何かが落ち込ませ、間違った方向へ気持ちを集中させ、すでに起こってしまったことに注意を向けてしまうのです。

 もう終わったことです。わかってるはずです。さっさとやりなさい。自分自身に同情したり、「かわいそう」とか思うのは悪いことではないが、(自分以外の)誰がそんなことを気にしてくれるんだい?気にせず試合に集中しろ、ってことです」

讃岐猫
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これは僕達の普段の生活にも通用するにゃ。

昔と今、選手を取り巻く状況の違いについて

問「昔はゴールキーパー・コーチはいなかったし、指示やサポートが必要な時、利用できる特定の援助もなかった……

トライデン「その通りです。1972年当時、試合中にその瞬間が起き、それに対して自分独りで何かをしなければならない状況でした。〈では、ゴールキーパーのコーチはいなかったのですか?〉なんて言われても、誰がそんなこと気にするんだ?誰もいないよ、と私は答えます。

 〈心理学者もいないのか?〉と問われても、答えは同じです。答えを見つけるのは、自分次第だったんです。それが1972年の選手生活の当たり前のことだった。試合進行のための巨大な装置もなければ、防護効果の高いマスクもなかった。誰もそんなものを気にしていなかったからね。

 目の前にシリーズがあったんだ。勝たなければならないシリーズがあった。それこそが「経験」だったんだ。貴重な経験しかなかったんだ。

 その経験を示すことが、この本で私が試みたことであり、読者にあたかもその時、その瞬間にいるかのように体験してもらおうとしたのです。そうでなければ、ただの試合の体験談を語っただけになってしまう

讃岐猫
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僕もタフにならなきゃなぁ…。

あの当時、スポーツ心理学者がいたら…。

問「もし、スポーツ心理学者がいたら、シリーズの前や期間中に一緒に仕事をしたかったですか?

トライデン「どうでしょう。スポーツ心理学者と仕事をしたことはありませんし、本当に、本当に、本当に信頼できる人とでなければ、仕事にならないでしょう。

 私たちそれぞれが、基本的に自分自身に対する心理学者であるように訓練されています。その中で自分たちなりのやり方を見つけなければなりませんでしたし、実際にそうしてきました。それが、当時感じていた私たちの誇りであり、達成感なのだと思います。

 この本の最後に書いてあるように、私たちはそこで頑張ってきたのです。すべてが崩壊しそうになった時、物事をやり遂げるのはとても難しいです。頑張るための方法を見つけると、物事がうまくいくようになるのです」

この試合を見る側にいたかった..。

問「カナダ国内のファンに混じってこのシリーズを観戦したら、どんなに素晴らしいことだったかと書かれていますね。当時、第8戦の時、トロントのデパートの家電売り場で、何十人もの人がテレビを見ている写真が掲載されています。

 (試合を)見ているだけの方がよかったと、どれだけ強く思っていますか

トライデン「このシリーズで唯一後悔しているのは、自分が家にいなかったことです。私はスポーツファンですから。シリーズが行われていた27日間、信じられないようなアップダウンと、絶対に知ることも、予想することもできないような「次の展開」があったことでしょう。

 それは、見ている彼ら(カナダ国民)にとっても素晴らしいことだったのです。このシリーズは、一人で見るものではありませんでした。一人で見るのではなく、グループで、家族で、オフィスで、教室で、みんなで見るものである。当時、そういう形で受け止められていたのです。

 特に、最終の第8戦は、学校の授業時間や仕事の時間帯に行われていましたからね」

讃岐猫
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YouTubeで、このシリーズを見ることができるにゃ。

便利な世の中になったもんだにゃ。

50年ぶりの再会について

問「1972年のソ連チームのメンバーが、シリーズ50周年記念のさまざまな祝賀行事のためにカナダに来ることは、当時の政治が許さないでしょう。2022年、再び集まって話をすることは、どれほど特別なことだったのでしょうか?

トライデン「私たちは共通の言語を持っていないので、話を共有することはあまりできませんが、お互いの存在に気づくことができたと思います。相手を見るだけで、相手が知っていることが分かるし、自分が知っていることを相手も知っているとわかる瞬間があるのです。

 結局、一緒に何かを経験することで、その当時に重要だったことが、今も重要であることがわかるのです。偉大な相手というのは、自分に最も厳しい時を過ごさせ、また最も大きな試練を与え、自分自身について発見させるものです。

 それが嫌なことだったり、すごい発見だったりするのが、偉大な相手というものです。日常的に顔を合わせている相手にはできないことなのです。だから、普通の相手との試合はほとんど覚えていないけれど、偉大な相手との試合は絶対に覚えている。

 ロシアは私たちにとって、そして私たちはロシアにとって、そういう存在だったのです

まとめ

 インタビュー中、哲学的な表現というか難解な表現が多く、ややとっつきにくい感じもしますが、このあまりにも「特別な試合」に臨む選手達の心理状態が独特なものだったんだな、ということは明確に伝わってきます。

 このシリーズについてはウィキペディアにも詳細に書かれてあり、それを読むだけでも、白熱した試合内容が伝わってきます。※Summit Series←ここをクリック!

 また、最終決戦である第8戦は、YouTubeで試合開始から終了まで見られます。

 冬季五輪やW杯等の国際試合で、こんな熱い試合を見たいですね!

讃岐猫
讃岐猫

W杯、日本で中継してくんないかにゃ〜。

ここまで読んでくれて、

サンキュー、じゃあね!

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