ジョナサン・テーブスがNHL復帰!ウィニペグで16季目の挑戦へ

現役スター選手紹介

はじめに

 慢性免疫反応症候群でキャリアを揺るがされたジョナサン・テーブスが、ついに地元ウィニペグ・ジェッツで氷上へ帰還!スタンレーカップ3度制覇の英雄、NHLの大スターは、2年間のブランクを跳ね返そうとしています。まさに大注目!

 直感で掴んだ16シーズン目の挑戦、その舞台裏と期待を徹底解説します。

地元ウィニペグ・ジェッツと契約し、再びプレーできることに感謝と興奮

参照記事:NBC Sports1Jonathan Toews is grateful and excited to play again after signing with his hometown Winnipeg Jets

ジョナサン・テーブズ、2年ぶりにNHL復帰!✨

 ウィニペグ出身のアイスホッケー界のレジェンド、3度のスタンリーカップ優勝を誇るジョナサン・テーブズがついにNHLに戻ってきました!

 しかも復帰先は彼の地元チーム、ウィニペグ・ジェッツ🏒✨2年のブランクを経て、7月4日・金曜日、ファンの前に現れたテーブズは、背番号19(ブラックホークス時代と同じ)のユニフォームを着て記者会見に登場。多くのホッケーファンにとって、待ちに待った瞬間でした!

 ジェッツは先月、37歳のセンターであるテーブズの獲得を目指していることを発表していましたが、今週ついに正式契約が成立。1年契約で金額は200万ドル(約2億8,000万円)、さらに出場試合数やプレーオフでの活躍に応じてボーナスも加わる内容となっています。

 長年シカゴ・ブラックホークスでキャプテンを務めていたテーブズは、2023年4月を最後に試合から遠ざかっていました。

 記者団に対し、「リンクに戻れるだけでもありがたいのに、地元チームで、家族や友人の前でプレーできるなんて本当に光栄。それが再び自分の中に火を灯してくれた。このゲームに対する興奮を取り戻せた」と語ったテーブズ。

 「キャリアの中で、慣れてしまって、ある意味で麻痺してしまう瞬間がある。でもこれは、まるで再びドラフトされるような、新鮮な感覚を思い出させてくれる瞬間だ」。その表情からは、長年の戦いの中で見失いかけていた“ホッケーへの情熱”が再び燃え始めていることが伝わってきました🔥

苦難を乗り越えたカムバック💪

 テーブズがリンクを離れていた理由は、2年前、慢性免疫反応症候群(Chronic Immune Response Syndrome)とロングCOVID-19の影響によるものです。彼の離脱は、シカゴがスター選手パトリック・ケイン2をトレードし、チームが本格的な再建期に入るタイミングと重なりました。

 この2年間、彼は体調回復に専念しており、引退も囁かれていたくらいです。そんな中での復帰は、多くのファンにとって希望そのもの。しかも、シカゴ・ブラックホークス時代に長年キャプテンを務め、15シーズンを共にした名門を離れ、地元ウィニペグで再スタートを切るというドラマチックな展開です🌟

 NHL創設100周年の際には「歴代トップ100選手」にも選ばれたテーブズ。ブラックホークスで15シーズンを過ごし、フランチャイズの顔の一人として知られていました。オリンピックでは2010年と2014年にカナダ代表として金メダルも獲得しており、まさに“実績十分”のベテラン選手です。

 そんな彼が新たに加わるウィニペグ・ジェッツは、昨シーズンのレギュラーシーズンでNHL最高成績を記録し、プレジデンツ・トロフィーを獲得したチーム。しかし今週初め、チームは攻撃の要であるウィンガーのニコライ・イーラーズ3がカロライナ・ハリケーンズへ移籍しており(6年契約)、チームには新たなリーダーが必要なタイミングでもあります。

讃岐猫
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 そんな状況でのテーブズ加入。ジェッツのゼネラルマネージャー、ケビン・チェベルデイオフも「ウィニペグにとって非常にエキサイティングな日だ。長年の夢が叶った」と感慨深げに語っていました。

 チェベルデイオフは、2010年にテーブズとブラックホークスがスタンリーカップを獲得した際、シカゴでアシスタントGMを務めていたのです。翌年にウィニペグ・ジェッツに加わった際には、チーム共同オーナーのマーク・チップマンと共に、「いつかテーブズがジェッツのユニフォームを着る日が来るかもしれない」と夢見ていたと言います。

 「当時は、ただの夢や構想にすぎませんでした」とチェベルデイオフは語ります。その夢が現実となった今、彼はマークに「テーブズがジェットになった」という短いメッセージを送った瞬間、胸が熱くなったと語っています📩💙「マニトバ州のホッケー史で最も輝かしい選手の一人が、ついに帰ってきたのです」。

記者会見の時の映像です。表情もずいぶん柔らかくなりました。

『心の中で』ジェッツがNHL復帰のチームだと感じていた

参照記事:NHL公式サイト「Toews ‘knew in my heart’ Jets were team for return to NHL

🏒ジョナサン・テーブス、16シーズン目の復活へ!

 長年シカゴ・ブラックホークスで活躍してきたジョナサン・テーブスは、自身がNHLに戻れるかどうか、あるいは戻るべきなのかどうか、確信が持てないまま、丸2年間アイスホッケーから離れていました。その期間中、彼の人生観、健康観、そしてホッケーへの向き合い方が大きく変わりました。

 慢性的な健康問題と5年間にわたって向き合う中で、彼は自らの直感とホッケーへの愛に従い、最終的に16シーズン目となるNHL復帰を決断しました。しかも、彼が選んだのは故郷・ウィニペグ4のチーム「ジェッツ」✈️

 「他のユニフォームを着る自分なんて想像できなかった」と地元ウィニペグでの会見で語ったテーブス。これは、ジェッツと1年契約を結んで以降、初めての公の場でした。その言葉通り、復帰は理屈ではなく、直感で決めたそうです。

 「どれだけ多くの理由を並べても……心の中で“これがやりたいことだ”って確信があった。だから、一歩一歩がすごくしっくりきたし、ワクワクしている」と、復帰を語る彼の表情はとても晴れやか。

 ジェッツのGMケビン・チェベルデイオフ5も、「テーブスが健康を取り戻したと聞いたときに球団としての関心が芽生え、地元出身の彼がウィニペグでのプレーに興味を示したことでその関心が確信に変わった。多くのチームが彼の獲得に動いていた、でも、我々は彼がうちのチームを選んでくれると自信を持っていた。

 こういうタイプの選手がチームにフィットするのか?補完的な要素は何か?を見極めながら、こういう大きなピースを埋められると、チームとしての方向性もはっきりしてくる」とコメント。ウィニペグ出身のテーブスが故郷のチームでプレーするなんて、地元ファンにとっても夢のような展開ですよね✨

😷病との闘い、そして復活の一歩

 37歳のテーブスがリンクから姿を消したのは、シカゴ・ブラックホークスでの最後の数シーズンにおいて、慢性免疫反応症候群(Chronic Immune Response Syndrome6)という病気と戦い続けたからです。2020–21シーズンをまるまる欠場し、その後もロングCOVID7の影響で満足にプレーできない日々が続きました。

 2021–22シーズンには71試合に出場しましたが、2022–23シーズンはわずか53試合の出場。2月21日から3月末までの間はロングCOVIDの影響で欠場し、テーブスは2023年4月1日に復帰以降、シカゴで7試合に出場。

 最後の試合は、2023年4月13日。ブラックホークスのGMカイル・デイビッドソン8が「シーズン終了後にテーブスと再契約しない」と発表したあとでした(正式な引退発表はしていない)。

 「“なぜこんなことが自分に起きたのか”とか、“もっと違う未来があったのではないか”と考えてしまう瞬間は今でもある」って思う瞬間もあったそう。でも、「でも結局は、“これが現実なんだ”と受け入れて、そこから学んで、人間としてもプレーヤーとしても成長するしかない」と語る姿には、長年キャプテンとしてチームを引っ張ってきた彼らしさがにじみ出ています💪

 そしてこう続けます。「またホッケーができるチャンスをもらえただけで嬉しい。あの情熱が、また戻ってきたことに、ただ感謝しているんだ」。

🏆輝かしいキャリアと数々の栄光

 テーブスといえば、シカゴ・ブラックホークス一筋で15シーズンを戦い抜いたレジェンド✨2006年のドラフトで全体3位指名され、2008年にはなんとキャプテンに就任。そして彼は、2010年、2013年、2015年と、チームを3度もスタンレーカップ優勝に導きました🏆🏆🏆

 通算成績は1,067試合で883ポイント(372ゴール・511アシスト)!プレーオフでも137試合で119ポイント(45ゴール、74アシスト)を記録するなど、まさに大舞台に強い選手なんです。

 受賞歴もすごいんですよ。2010年のスタンレーカップ・プレーオフMVP(コーン・スマイス賞)、2013年のリーグ最優秀守備的フォワード賞(フランク・J・セルキー賞)、2015年のマーク・メッシア・リーダーシップ賞、そしてカナダ代表としてのオリンピック金メダル2個(2010年・2014年)が含まれます🥇🥇カナダ代表としても輝かしい活躍を見せました。

🧡原点に戻って、もう一度ホッケーを楽しむ

 復帰に向けて前向きになったのは2024年5月29日。テーブスの代理人であるパット・ブリッソンはNHL.comに対し、「彼は復帰に向かって動き出している」と明かし、そして6月20日、ウィニペグ・ジェッツがSNSで、ウィニペグ出身の彼が「COMING HOME」と発表。地元出身のスター選手が戻ってくる――ファンの胸は一気に熱くなりました🔥

こちらが「COMING HOME」の映像。地元ファンをいい意味で煽りますねぇ。

 「しばらくの間は、ホッケーのことをあまり考えたくなくて、頭の中から追い出そうとしていた時期もあった」と話すテーブス。「でも、プレーできるかもしれないと思い始めてからは……どうなんだろう。やっぱり他のユニフォームを着ている自分を本気で想像するのは難しかった。

 日々の中で、少しずつ現実味を帯びてきたし、シーズンが近づくにつれてそれはもっと強くなる。すごく楽しみにしているし、新たなチャンスにワクワクしてる」と語るその目には、少年のような輝きがありました✨

【追記】ドラフト指名前の経歴は以下の通り。
 テーブスは2003年のWHLバンタムドラフトでトライシティ・アメリカンズから全体1位指名を受けたが、NCAA出場資格を保持するために指名を辞退し、2003–04および2004–05シーズンにはミネソタ州フェアボルトにある寄宿制のシャタック=セント・メアリーズ校でミジェットAAAホッケーをプレーする道を選んだ。

 シャタック=セント・メアリーズ2年目のシーズンには64試合で110ポイントを記録し、その後大学アイスホッケーへ進んだ。

 テーブスはノースダコタ大学で2シーズンをプレーし、通算76試合で85ポイント(40ゴール・45アシスト)、プラスマイナス+38、フェイスオフ勝率56.7%を記録した。2006年と2007年にはNCAAフローズン・フォーにチームを導き、2年目には副キャプテンも務めた。

 1年目のシーズンでは39ポイントを挙げ、週間最優秀新人賞を2回受賞している。また、チームをWCHA(ウェスタン大学ホッケー協会)のチャンピオンに導き、ブロードモア・トロフィーを獲得。さらに西部地区トーナメントでは5ポイントを挙げ、MVPに選ばれた。

 「彼は自分に正直な男だ」と、チェベルデイオフGMは言います。「彼は“復帰する”と発表したわけではなく、“復帰に挑戦する”と早い段階で明かした。そこが彼らしい」。

 テーブスの決断は、彼がウィニペグでマイナーホッケーをプレーしていた頃の体験にも通じるものでした。そこが、彼のホッケーに対する情熱の原点だったのです。「子供の頃の記憶が一気に押し寄せてきた」とテーブスは語ります。「ホッケーを初めて好きになったときのこと、なぜ夢中になったのか、全部がよみがえってきた」。

 そしてこう締めくくりました。

 「今の自分にとっては、このユニフォームを着て、チームの一員になって、NHL選手であることの良い面も悪い面も全部味わえることが本当にありがたい。そして、誰にとってもプレーできる時間は限られているという現実を知っているからこそ

 ――あの頃の子供のような情熱を、また自分の中に感じられることが何よりも大切なんだ」と語る姿には、成熟した選手としての覚悟と喜びがにじんでいます😊

まとめ

 ジョナサン・テーブスの復帰は、ただのカムバックではありません。病と向き合い、自らの心と真剣に向き合った末の決断でした。今、彼は原点であるウィニペグで、ホッケーの本当の楽しさを再び見つけようとしています。その姿勢こそ、多くのファンの胸を打つのでしょう。

讃岐猫
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【註釈】

  1. アメリカの大手メディアNBCUniversalのスポーツ専門部門であり、NFLやオリンピック、NASCAR、プレミアリーグなど多彩なスポーツ中継をテレビやストリーミングで提供している。特に2025–26シーズンからはNBA放送を再開予定である。デジタル配信も強化しており、NBC SportsアプリやPeacockでの視聴が可能である。
    ↩︎
  2. アメリカ・ニューヨーク州出身のプロアイスホッケー選手であり、NHLシカゴ・ブラックホークスに長年所属した右ウィングである。2007年のNHLドラフトで全体1位指名を受けて入団後、速攻と高い得点力でチームの攻撃を牽引した。

     ブラックホークスでは3度のスタンレーカップ優勝(2010年、2013年、2015年)に貢献し、2013年にはプレーオフMVP(コンクス賞)を受賞した。また、NHLオールスターゲームに複数回選出されるなど、リーグ屈指のスター選手として活躍した。個人タイトルとしては2008-09シーズンの得点王(アート・ロス賞)や最優秀選手(ハート記念賞)に輝いている。

     プレースタイルは卓越したスティックハンドリングと冷静な得点力に特徴があり、チームの攻撃の中心として長く活躍した。シカゴでの活躍は同チームの黄金期を支え、NHLを代表するスター選手の一人として知られている。
    ↩︎
  3. 2025年7月3日にカロライナ・ハリケーンズと6年総額5100万ドル(年平均850万ドル)の契約を結び、ウィニペグ・ジェッツから移籍した。

     29歳のデンマーク出身のウィンガーは、ウィニペグでの10シーズンを経て、昨季は69試合で24ゴール・39アシストの63ポイントを記録し、プレーオフでは8試合で5ゴール・2アシストの7ポイントを挙げた。

     イーラーズは、カロライナの速いプレースタイルと自らのスピードが相性良く、チームに貢献できると考え、移籍を決断した。また、カロライナのゴールテンダー、フレデリク・アンダーセンとは親しい関係にあり、再び同じチームでプレーすることを楽しみにしていると述べている。
    ↩︎
  4. カナダ・マニトバ州の州都であり、同州最大の都市である。レッド川とアシニボイン川の合流点に位置し、先住民の交易拠点として古くから重要な役割を果たしてきた。現在では、経済、文化、交通の中心地として知られており、多様な民族構成と芸術活動の盛んな都市でもある。

     気候は大陸性で、冬は非常に寒く、夏は短く暑くなる傾向がある。観光名所としては、カナダ人権博物館、フォークス市場、アッシニボイン公園などがある。また、ウィニペグ交響楽団やバレエ団などの文化機関も充実している。

     ウィニペグは、中央カナダの物流拠点としても戦略的な位置にあり、鉄道や道路網が発達している。経済的には農業、製造業、金融サービスなど多岐にわたる産業が支えている。
    ↩︎
  5. カナダ出身の元アイスホッケー選手で、現在はNHL・ウィニペグ・ジェッツのGMを務める。選手としては膝の負傷により短命に終わったが、GMとしてはIHL・AHLで4度の優勝を経験し、2011年からウィニペグのGMに就任。

     以降、複数のプレーオフ進出や球団記録の更新など安定した実績を積んでいる。2025年にはジム・グレゴリーGM賞の候補にも名を連ねた。過去のスキャンダル(2010年ブラックホークス性虐待問題〈ブラッド・オルドリッチ事件〉では関与が限定的とされ、処分は受けていない。
    ↩︎
  6. CIRSは、カビや環境毒素への長期曝露によって免疫系が過剰反応を起こし、全身に慢性炎症を引き起こす症候群である。疲労、記憶障害、関節痛など多様な症状を呈し、特定の遺伝的素因を持つ人に多い。診断や治療はリッチー・シューメーカー医師の提唱するプロトコルが用いられるが、医学的な評価は分かれている。
    ↩︎
  7. Long COVID-19とは、新型コロナ感染後も疲労や呼吸困難、記憶障害などの症状が数週間から数か月以上続く状態である。軽症者にも起こり得る点が特徴で、原因は免疫異常や慢性炎症などが指摘されているが未解明である。確立された治療法はなく、対症療法が中心である。
    ↩︎
  8. カナダ出身のNHLエグゼクティブで、2022年よりシカゴ・ブラックホークスのGMを務める。2010年に同チームへインターンとして加入後、運営部門で経験を積み、2度のスタンレーカップ優勝に関与。GM就任後は大胆なリビルド戦略を推進し、ドラフト戦略や若手育成に注力している。

     幼少期に心臓疾患の手術を受けた経験を持ち、現在は妻と2人の娘と暮らす。 ↩︎
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