はじめに
NHLの歴史に名を刻むコロラド・アバランチとカロライナ・ハリケーンズが、今シーズン特別なビンテージユニフォームで対戦します🏒✨アバランチはかつてのケベック・ノルディクス、ハリケーンズはハートフォード・ホエーラーズのユニフォームを着用😊。
過去の名選手たちの活躍や移転の歴史を振り返りながら、両チームが誇る伝統と文化を体感できる試合です❄️
🏒第1章:ケベックから始まったアバランチの物語
参照記事:NHL公式サイト「Avalanche History Filled with Quebec Roots」
コロラド・アバランチの歴史を語るとき、欠かせないのがその原点となるケベック・ノルディクスの存在です🏒。チームのルーツはかつての本拠地カナダ・ケベック州にあり、そこに生まれた数多くの柱たちの存在を抜きにすることはできません✨。
ノルディクス時代からフロントオフィス、そして氷上の選手たちまで、このフランチャイズの「ケベックの血」は今もはっきりと流れています😊。
アバランチは創設30周年を迎える今シーズン、かつてのルーツを称えて、青いケベック・ノルディクスのユニフォームを7試合で着用することを発表しました😊。これは、チームがどれほどケベックを大切にしているかを示す象徴的な取り組みです✨。
ノルディクスの最初の7シーズンは、1972-73から1978-79までの間、ワールド・ホッケー・アソシエーション(WHA)で参加しました。1977年にはウィニペグ・ジェッツとの7試合シリーズを制し、初のWHA優勝トロフィー「アヴコ・カップ1」を手にしました。
そこからチームは確実に成長を重ね、1979-80シーズン、ノルディクスはNHL参入初年度を迎えています😊。
🏆第2章:ミシェル・グーレとピエール・ラクロワの登場
その最初のNHLドラフトで、チームはフランチャイズ史に残る名選手を指名します。1979年のドラフト全体20位で、地元ケベック出身のミシェル・グーレ2を獲得したのです。
彼は後にチーム史に名を刻むスーパースターとなり🏆、アバランチ/ノルディクスの通算記録では、得点数で2位(456ゴール)、アシスト数で5位(490)、総得点では4位(946ポイント)という驚異的な成績を残しました。彼の名は今でもファンの記憶に強く刻まれています。
そしてノルディクスのNHL初年度、グーレのチームメイトには後にコロラドで王朝を築く人物がいました。ケベック出身のピエール・ラクロワ3です。彼は現役引退後、チームを黄金時代へと導く“建築士”となる人物でした😊。
選手としてノルディクスでプレーした後、1994-95シーズンを前にGMに就任。ここから、コロラド・アバランチの歴史が大きく動き出し、彼はチームの運命を大きく変える存在となりました🔥
🥅第3章:未来を担った若き才能たち
ラクロワがGMとして率いた最初のドラフトでは、ノルディクスは将来のチームの柱となる2人の選手を指名しました。3巡目で1999年カルダー記念賞(新人王)を受賞するクリス・ドゥルーリー4と、4巡目で2003年にモーリス“ロケット”リシャール賞(最多得点者賞)を獲得するミラン・ヘイドゥク5を指名。
二人は1998-99シーズンにチームに加わり、わずか数年後の2001年、スタンレーカップ制覇で重要な役割を果たすことになります✨。
✈️第4章:ケベックからデンバーへ
その翌年、チームは大きな決断を下しました。ノルディクスはケベックを離れ、アメリカ・デンバーへと移転。新たに「コロラド・アバランチ」として再出発したのです😊。
1994-95シーズンのノルディクスからは、ジョー・サキック、ピーター・フォースバーグ、アダム・フット、ヴァレリ・カメンスキー、カーティス・レシシンら、中心選手たちもそのまま新天地へ渡り、チームの骨格を引き継ぎました。
そして記念すべきアバランチ初戦の3日前、チームは驚きのトレードを実行します。ケベック出身で前年のコン・スマイス賞(プレーオフMVP)受賞者だったクロード・ルミュー6を、ニュージャージー・デビルズからニューヨーク・アイランダーズを経由して獲得したのです。
ルミューはアバランチ初代チームに欠かせない存在となり、レギュラーシーズン79試合で71ポイント(39ゴール、32アシスト)、さらにプレーオフ19試合で12ポイント(5ゴール、7アシスト)を記録しました🔥
🧤第5章:伝説のゴーリー、パトリック・ロワの到来
デンバーへ移転したばかりの1995-96シーズン、アバランチは好調なスタートを切りました😊。開幕から27試合を終えた時点で、チームは16勝7敗4分という好成績を残していました。そして12月5日、サンノゼ・シャークスに12対2で大勝した翌日、チームは運命を変えるトレードを敢行します。
ラクロワGMがモントリオール・カナディアンズから獲得したのは、ケベック出身の名ゴーリー、パトリック・ロワ🧤。当時のロワはすでに3度のヴェジナ賞(最優秀ゴーリー賞)、2度のスタンリーカップ優勝、そして2度のコン・スマイス賞を受賞していたスーパースターでした✨
🏆第6章:スタンリーカップとケベックの絆
ロワの加入はチームに自信と安定をもたらし、同じくケベック出身のクロード・ルミューとともに、アバランチを一気にリーグ屈指の強豪へと押し上げました😊。そして1996年、アバランチは見事に創設初のスタンレーカップを獲得🎉。コロラド州史上初となるメジャースポーツ優勝7という快挙を成し遂げます🏆
🌟伝説の継承、そして新たな時代へ
それから5年後の2001年、アバランチは再びスタンレーカップ・ファイナルへ進出しました。そこには、もう一人のケベック出身レジェンドが加わっていました。
2000年3月6日、アバランチはボストン・ブルーインズとのトレードで、ノリス賞(最優秀ディフェンスマン賞)を5度受賞した名選手、レイ・ボークを獲得したのです。
2001年の決戦の第7戦では、ケベック出身のアレックス・タンギーが2ゴールを決め、アバランチがニュージャージー・デビルズを4対1で撃破✨!
試合後、キャプテンのジョー・サキックがスタンレーカップを手にすると、すぐにボークにスタンレーカップを手渡した瞬間8は、今でもNHL史に残る名場面として語り継がれています✨
この年のプレーオフでロワはセーブ率.934という驚異的な数字を記録し、史上初となる3度目のコン・スマイス賞を受賞。この偉業はいまも彼だけの記録で、彼の名はまさに伝説となりました。
🇨🇦第7章:そして今も続くケベックの魂
時は流れ、2022年。アバランチは再びスタンレーカップを奪還しました。そのチームには、ケベック出身のサミュエル・ジラール9とニコラ・オーブ=クベルの2人がプレーオフで出場。
とくに2017-18シーズンからジラールは、アバランチ/ノルディクス史上、ディフェンスマンとして5番目に多い545試合出場(5位)を誇る存在です。
そして今シーズン、チーム創設30周年を迎えたアバランチは、あらためて自らのルーツ――ケベックの誇り――に敬意を表しています。青いノルディクスのユニフォームに込められた想い💙は、過去と現在をつなぐ絆。
その“ケベックの魂”💙は、これからもアバランチの歴史とともに生き続けていくのです❄️
チーム創設30周年記念ジャージの宣伝ムービー。アップされてホヤホヤですぞ!

各チームの復刻ジャージ、欲しいにゃあ。日本じゃ、トレーディングカードもままならないからなぁ。復刻したら買いたいなジャージ・個人的第1位は、今も昔もアトランタ・スラッシャーズなんだけど、その次がホエーラーズかな。できれば、1930年代のジャージを復刻希望。しかも、1シーズンで消えたチームとかね。
🏒ノルディクスとホエーラーズが再び対決
参照記事:The Hockey News「Avalanche, Hurricanes Announce Nordiques Vs. Whalers Matchups」
今シーズン、コロラド・アバランチとカロライナ・ハリケーンズは、特別なユニフォームで対戦します😊。それぞれケベック・ノルディクスとハートフォード・ホエーラーズのユニフォームを着用し😊、まるで両チームが2025年に復活したかのような演出です✨
ハートフォード・ホエーラーズについては、こちらをどうぞ。
アバランチは今シーズン、7試合でノルディクスのユニフォームを着用予定です🏒。チーム公式サイトのコビー・マイヤーはこう書いています。「創設30周年を迎えるアバランチは、フランチャイズに不滅の影響を与えたケベックのルーツを称えます」と紹介されています✨。
今シーズン、最初にノルディクスユニフォームが登場するのは、カロライナ・ハリケーンズ戦です。カロライナも同時に、白・緑・青のホエーラーズユニフォームをビジター用として着用します。さらに1月3日には両チームが再びビンテージユニフォームで対戦予定です。
この対戦は、かつて同じディビジョンで15年間戦った2つのNHLフランチャイズのブランドを復活させる機会でもあります。ノルディクスとホエーラーズはかつてWHAに所属していました。
ニューイングランド・ホエーラーズは1972-73シーズンにアヴコ・カップを、ケベックは1976-77シーズンに同カップを制しました。1979-80シーズン前にWHAはNHLと合併し、ノルディクス、ホエーラーズ、ウィニペグ・ジェッツ、エドモントン・オイラーズがNHLに吸収され、シンシナティ・スティンガーズとヒューストン・エアロズは消滅しました🏆
シンシナティ・スティンガーズについては、こちらをどうぞ。
ヒューストン・エアロズについては、こちらをどうぞ。
🌟移転後のアバランチとハリケーンズ
ノルディクスのトップ選手には、ピーター・スタストニーやアントン・スタストニー兄弟、ミシェル・グーレ、ジョー・サキックといったスター選手がいました😊。一方、ホエーラーズにはロン・フランシス、パット・ヴァービーク、ケビン・ディーン、レイ・フェラロが在籍していました🌟。
1995年5月、ノルディクスはチャーリー・ライオンズ率いるコムサット社10に買収され、デンバーへ移転😊。新たに「コロラド・アバランチ」として生まれ変わり、移転初年度にチームは見事スタンリーカップを獲得しています🏆
ホエーラーズも1994年に起業家ピーター・カルマノス氏11が買収し、1997-98シーズン前にノースカロライナへ移転。新アリーナ完成までの間、グリーンズボロを本拠地としてプレーしました。1999年からローリーを本拠地としています🏒。
🎨復刻ユニフォームで歴史を称える
新しい都市に移転しても、両フランチャイズはノルディクスとホエーラーズのブランドを特別な場で復活させてきました🎨。
2021年、アバランチはNHLのリバースレトロジャージキャンペーンで、ノルディクスのイグルーロゴとフルール・ド・リス12を、コロラドカラーのバーガンディで使用しました。今回はさらに踏み込み、オリジナルの青・赤・白の配色を復活させ、フランス系カナダ人の文化的ルーツを象徴しています🇨🇦
一方、ハリケーンズも2018年以降、ホエーラーズのユニフォームを時折着用しています。今シーズンは白バージョンを3試合で使用予定で、アバランチのノルディクスユニフォームとの対戦1月3日や、1月29日のユタ・マンモス戦でも着用されます。
アバランチはさらに、モントリオール・カナディアンズ戦(11月29日)、トロント・メープルリーフズ戦(1月12日)、ピッツバーグ・ペンギンズ戦(3月16日)、バンクーバー・カナックス戦(4月1日)、ラスベガス・ゴールデンナイツ戦(4月11日)でもノルディクスユニフォームを着用予定です❄️
昨日、アップされてたのかな?ゲーム「NHL22」でノルディクスvs.ホエーラーズをシミュレーションした映像です。
まとめ
コロラド・アバランチとカロライナ・ハリケーンズによるビンテージユニフォーム対決は、単なる試合以上の意味を持ちます🏒過去のノルディクスやホエーラーズの栄光を称え、選手やフランチャイズの歩みを感じられる機会です😊。
現代の舞台で復活する伝統のデザインは、ファンに歴史と文化をつなぐ特別な体験を届けてくれます❄️

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!
【註釈】
- このトロフィーは、かつて存在したプロアイスホッケーリーグ World Hockey Association(WHA:1972〜1979年)のプレーオフ優勝クラブに授与されたもので、1973年から1979年の7シーズンにわたって運用された。
名称「アヴコ」は、当初「Aviation Company(航空会社)」を由来とする防衛関連企業Avco Corporationが命名権を獲得したことに由来。企業名を冠したこのトロフィーは、いわばプロスポーツにおける“初”の企業スポンサー付き優勝杯とも言える存在だった。
一方で、その商業的背景から、同じ北米アイスホッケー界の王者マスクStanley Cupほどの伝統やファンの熱狂を築きあげるには至らなかった。デザインは、クリスタルガラスの地球儀を浮遊させたステム部を特徴とし、ボイジーのデザイナー、フランク・ボナークフによる作品だと紹介されている。
WHA解散後の1979年をもってトロフィーとしての歴史は幕を閉じ、現在、展示用を含む3体が制作されており、うち1体はHockey Hall of Fameに収蔵されている。
↩︎ - 1960年4月21日、ケベック州ペリボンカ生まれのカナダ出身元プロアイスホッケー選手(左ウィング)で、WHA所属のBirmingham Bullsからプロキャリアをスタートした。その後、1979年のNHLドラフトで全体20位指名を受けてQuebec Nordiquesに入団。
NHLでのキャリアでは1980年代を代表する得点王のひとりとして活躍し、4年連続で50ゴール以上を記録するなど圧倒的な攻撃力を発揮した。しかし、1994年3月16日にモントリオール・フォーラムで末梢衝撃による重傷を負ったのを受け、1995年1月26日に現役引退を発表。
引退後の1995年3月16日には、ノルディクス時代の背番号16が同チーム(およびその後継のColorado Avalanche)で永久欠番となり、1998年にはホッケー殿堂入りを果たした。NHL通算1,089試合で548ゴール、604アシスト、1,152ポイントを記録。
プレイヤーとしてはスタンレーカップを経験しなかったが、部門ディレクターとしては1996年・2001年に優勝を達成。彼の圧倒的なスコアリング能力とケベック出身選手としての象徴的な存在は、フランチャイズの歴史に刻まれたと言っても過言ではない。
↩︎ - モントリオール出身のカナダ人アイスホッケー幹部。1994年にQuebec Nordiquesのゼネラルマネージャーに就任し、翌年には同チームの移転によって誕生したColorado Avalancheの設立責任者として新たな一歩を刻んだ。
彼は1996年および2001年にアバランチをスタンレーカップ優勝へ導くなど、歴史的な成功を築いた人物。トレードや人材発掘に優れた能力を発揮し、例えば伝説のゴーリーPatrick Royの獲得や、ベテラン守備の要Ray Bourque、Rob Blakeの大型トレードを成功させ、チームの黄金期を実現した。
2006年にGM職を退き、2013年まで会長として在籍。2023年には殿堂入り(ビルダー部門)を果たし、その功績は改めて称えられている。彼の指導下でアバランチは11シーズン連続プレーオフ進出、9連続地区優勝など前例のない強さを誇った。2020年12月13日、COVID-19合併症によりラスベガスで逝去。
↩︎ - アメリカ・コネチカット州トランブル出身、1976年8月20日生まれ。現在はNew York Rangersの社長兼ゼネラルマネージャー。大学時代にはBoston University Terriersで活躍し、NCAAの最優秀選手に贈られるホビー・ベーカー賞を受賞した。
1994年にドラフト72位でQuebec Nordiquesに指名され、NHLではColorado Avalancheでルーキー・オブ・ザ・イヤー(カルダー賞)を獲得し、2000-01シーズンにスタンリー・カップ優勝も達成。アメリカ代表としては冬季オリンピックに出場し、銀メダルを2回獲得。
引退後はフロント職へ転身し、2015年にラングラーズの選手育成部門に加わったのち、アシスタントGM、AHLの傘下クラブGMを経て、2021年5月にラングラーズの社長兼GMに就任した。ドゥルーリーはプレーヤーとしても「勝負どころに強い選手」として知られ、チームや組織を引っ張るリーダーとしても高く評価されている。
↩︎ - チェコスロバキア(現チェコ共和国)出身、1976年2月14日生まれの元プロアイスホッケー右ウィング。1994年のNHLドラフトで全体87位(4回目)でQuebec Nordiquesに指名された。その後、NHLの舞台では移転後のColorado Avalanche一筋で14シーズンにわたり活躍し、フランチャイズ史上最多出場ゲーム(1,020試合)を記録。
2002-03シーズンには50ゴール・98ポイントをマークしてNHL得点王(モーリス“ロケット”リシャール賞)を獲得し、2001年にはスタンリーカップ制覇にも貢献した。引退後の2018年1月6日には、アバランチが背番号23を永久欠番とし、彼の功績が改めて称えられている。
↩︎ - カナダ・ケベック州バックナム生まれ。1983年のドラフト第2ラウンド26番目でMontreal Canadiensに加入し、以後21シーズンにわたり複数のNHLチームで活躍した右ウィング。彼のキャリアはまさに“ポストシーズンの鬼”と称され、プレーオフ通算80ゴールというNHL史上9番目の記録を残している。
1995年にはNew Jersey Devilsで優勝を果たし、プレーオフMVPに当たるConn Smythe Trophyを受賞。同チ年末にトレードでColorado Avalancheへ移籍し、1996年にもスタンリーカップ優勝を遂げる。
さらに2000年には再びデビルズで優勝し、3つの異なるチームでカップを勝ち取った数少ない選手の一人。その激しいプレースタイルと数々の逸話でも知られ、デトロイト・レッドウィングスとの激戦を生んだ因子としても語られている。
↩︎ - 1996年にコロラド・アバランチがスタンリーカップを獲得したことは、デンバー(およびコロラド州)にとって初めての「四大プロスポーツ(NHL/NBA/MLB/NFL)における頂点」到達だった。これはチームが移転初年度に成し遂げた歴史的快挙として地元でも大きく報じられている。
それまで州内の主要プロチームでは優勝が出ておらず、例えばNFLのデンバー・ブロンコスはスーパーボウル優勝を1997シーズン(1998年開催の第32回大会)まで果たしていなかった(それ以前は準優勝・出場はあるものの優勝なし)。NBAのデンバー・ナゲッツも長年優勝に手が届かず、初のNBA王座は2023年まで持ち越された。
MLBのコロラド・ロッキーズは2007年に初のワールドシリーズ出場を果たしたものの優勝はなし、MLSのコロラド・ラピッズが初めて主要タイトルを州にもたらすのは2010年まで待つ必要があった。
↩︎ - 2001年6月9日、Colorado Avalancheが第7戦を制してJoe Sakicが優勝トロフィーを受け取った直後、通常キャプテンが「まず杯を掲げる」慣例を破って、Sakicはそのままトロフィーを当時40歳・22年目のベテラン、Ray Bourqueに手渡した。これはBourqueにとって、キャリア初めての優勝であり、NHL歴史上最も待ち望まれた瞬間のひとつとされている。
Bourqueはボストン・ブルーインズで長年活躍しながらスタンリー・カップだけが届かない選手として知られており、最終年に移籍したColoradoで悲願を達成。Sakicのジェスチャーは、チームが「Bourqueのために勝つ」という意思を明確に示したもので、トロフィーを掲げた後もBourqueが一周の勝利ラップを取ることを優先させる演出が行われた。
この瞬間は、単なる優勝セレモニーを超えて、長年優勝を夢見続けたキャリアへの敬意が込められており、アイスホッケー界だけでなくスポーツ界においても語り草となる「伝説的ワンシーン」として位置づけられている。
↩︎ - 1998年5月12日、カナダ・ケベック州ロベラル生まれ。ジュニア時代にShawinigan Cataractesで活躍し、2016年のNHLドラフトで47位指名を受けてNashville Predators加入。
その後2017年にColorado Avalancheにトレードされると、若手ディフェンスとして頭角を現し、2019-20シーズンには22歳未満のディフェンスマン2人が30ポイントを超えた史上初のチームの一人となった。2022年にはアバランチでスタンレー・カップを獲得し、ケベック出身選手としてフランチャイズの歴史に名を刻んでいる。
↩︎ - COMSAT(Communications Satellite Corporation)は、1962年の「通信衛星法」に基づき設立され、1963年に法人化された米国の通信企業。同社の主な目的は、商業的かつ国際的な衛星通信システムの開発と運営であり、米国政府の監督下で、主要な通信企業や独立系投資家によって所有されていた。
1964年には、国際衛星通信組織であるインテルサット(Intelsat)の設立に関与し、1965年には初の商業通信衛星「アーリーバード(Early Bird)」を打ち上げた。
その後、COMSATは、海上通信を提供するマリサット(Marisat)や、国内通信を担うコムスター(Comstar)などの衛星システムを展開し、1982年には国際海上通信機構INMARSATの初期運用システムの一部を形成。1998年にはロッキード・マーチンと合併し、2000年には同社の子会社として統合された。
その後、COMSATの衛星通信ユニットはノルウェーのテレノールに売却され、2002年に取引が完了。現在、COMSATは米国の地上局を中心に、商業および政府機関向けに衛星通信サービスを提供している。
↩︎ - Peter Karmanos Jr.(1943年3月11日生まれ)は、アメリカの実業家であり、アイスホッケー界の発展に多大な貢献をした人物。デトロイトでギリシャ系移民の家庭に生まれ育ち、ウェイン州立大学を卒業後、1973年にThomas ThewesおよびAllen Cuttingとともにソフトウェア会社「Compuware」を創業した。
ホッケーへの情熱から、1970年代後半にデトロイト・コンピュウェア・ホッケー組織を共同設立し、ジュニアAまでの各レベルのホッケーを支援。その後、1990年にオンタリオ・ホッケーリーグ(OHL)の「デトロイト・コンピュウェア・アンバサダーズ」を設立し、後に「デトロイト・ジュニア・レッドウィングス」や「デトロイト・ホエラーズ」と名前を変えた。
1994年には、コネチカット州ハートフォードのNHLチーム「ハートフォード・ホエラーズ」を購入し、1997年にノースカロライナ州ローリーに移転して「カロライナ・ハリケーンズ」と改名。このチームは2006年にスタンレーカップを制覇し、Karmanos氏はその成功を祝った。
Karmanos氏は、2015年にホッケー殿堂のビルダー部門に殿堂入りし、2010年にはミシガン・スポーツ殿堂にも選出。また、2018年にはカロライナ・ハリケーンズの大部分の株式をトーマス・ダンドン氏に売却し、2021年には残りの株式も譲渡した。
現在は「Mad Dog Technology」の会長を務める傍ら、ミシガン州の青少年ホッケー支援や慈善活動にも積極的に関与。
↩︎ - ノルディクスのイグルーロゴは、フランス国旗にインスパイアされたデザインで、イグルーとフルール・ド・リス(ユリの花)が組み合わさっている。イグルーは北部の寒冷な気候を象徴し、フルール・ド・リスはケベック州のフランス系カナダ人のアイデンティティを表している。
コロラド・アバランチのバーガンディ色はチームのアイデンティティの一部として、ファンや選手に親しまれている。
ケベック州のフランス系カナダ人の文化的ルーツは、ノルディクスのロゴやユニフォームに色濃く反映されている。チーム名「ノルディクス」は「北の人々」を意味し、フランス語の名前であることからも、地域のフランス系文化への深い敬意が表れている。また、試合中にフランス語で国歌を歌うなど、言語や文化の面でもフランス系カナダ人のアイデンティティを強調していた。 ↩︎