はじめに
パット・ファルーンの折れたスティックが、モーガン・ギーキーの手に渡ったことから物語は始まります🏒。幼少期の木製スティックでの練習、父クレイグの厳しい指導、そして努力の積み重ねが、NHLでゴール数トップクラスに躍進する原動力に✨。
目立たない町の少年が、世界屈指の舞台で才能を花開かせる軌跡を追います。
参照記事:NHL公式サイト「Geekie emerges as unlikely offensive force for Bruins」
🏒ファルーンのスティックが生んだ奇跡
パット・ファルーン1は、自分の折れたスティックがどこへ行くのかを知っていました🔶。そして、クレイグ・ギーキー2がゴミ箱からそのスティックをこっそり取り出していることも知っていたのです。ファルーンは、捨てられたスティックに新しい持ち主が現れ、新しい目的を持ち、第二の人生を歩むことを理解していました✨。
しかし、ファルーンはそのスティックがモーガン・ギーキーにとってどんな意味を持つかまでは知りませんでした。なんと、そのスティックが生み出すショットが後にNHLでゴール数トップを争うほどになるとは、知るよしもなかったのです。
それは2000年代前半、2003年か2004年、サンノゼ・シャークス、フィラデルフィア・フライヤーズ、オタワ・セネターズ、エドモントン・オイラーズ、ピッツバーグ・ペンギンズでNHL通算575試合に出場したベテラン、ファルーンはマニトバ州のノース・セントラル・ホッケーリーグに所属するフォックスウォーレン・ファルコンズ3で、クレイグ・ギーキーと同じシニアチームに参加しました。
クレイグには2人(のちに3人)の幼い息子がおり、彼はレフティ、長男のモーガンは右利きだったため、お下がりのスティックは使えませんでした。しかしファルーンは右利きで、「節約家の父親だった」クレイグは、スティックを再利用して幼稚園児のモーガン用に短く切ることを思いつきました。
「彼はスティックをもらえる機会があれば必ず持っていったよ」とファルーンは語ります。当時、彼が使っていたのはSherwood 7000 FeatherLite(フレックス80、ライ角4.5)4でした。ファルーン自身は気にしませんでした。
彼とクレイグは幼い頃からの仲で、マニトバの小さな町でホッケーや野球を競い合って育ったのです🏒。
ファルーンのNHLキャリアが終わった後、再び一緒のチームになったのです――そこでクレイグはチャンスを見つけました。「パティ(ファルーン)のスティックはカーブも良くて、ライ角もモーガンに合ってた。たまたま相性が良かったんだ。でも木製だったんだよね」とクレイグは振り返ります。
「私は本当にゴミ箱から取り出して、切って、『ほら、新しいスティックだ』って渡してた」。
モーガン・ギーキーは木製スティックをすでに卒業しています――同年代の子よりもずっと長く使っていたが――しかし今でも、その“木のパドル”の名残は彼のプレーに残っています。
長年まっすぐなカーブを使い続けたことで身についたシュートの形は、現在のボストン・ブルーインズでも随所に見られ、それはファルーンのスティックが彼にもたらしたものです。
🌟モーガン・ギーキーの急成長と驚きのゴール数
「これは本当にいろいろ学ばせてくれました」と語るモーガン・ギーキー🔶。ブルーインズがニューヨーク・レンジャーズを迎えるNHLサンクスギビング・ショーダウン5(東部時間午後1時=日本時間:11月29日(土)午前3時)で、彼は金曜日に全国中継の舞台に立ちます📺✨。
「あれをやっていなかったら、今のような良いショットは身につかなかったと思います」
モーガン・ギーキーにとって、いまだに実感が追いつかないほど驚くべき数字があります。2024年11月27日以降の1年間で、NHLのゴール数トップ3は以下の通りです。
1位:レオン・ドライザイトル(エドモントン・オイラーズ)50ゴール
2位:モーガン・ギーキー 49ゴール
3位:デイビッド・パストルナク(ブルーインズ)46ゴール
「なんだか変な感じなんだよ」とモーガンは語ります😳。
だが、それも徐々に現実味を帯びてきています。昨シーズンは健康ながら数試合でラインナップから外されるなど厳しいスタートでしたが、最終的には33ゴールを記録。前年(2023–24)の自己最多17ゴールをほぼ倍増させました。
それでも一時は「偶然の一発屋」と片づけられかけましたが、今季25試合で17ゴールを挙げ、リーグ2位に立つ現状では、もう偶然とは言えません。
ギーキーは本来の強烈なショットに加え、十分な出場時間と信頼、輝けるラインメイトに恵まれ、一気に実力を開花させました✨。
「ドライザイトルやパストルナクは僕よりずっと上の存在です。そこに自分の名前があるのが不思議で……」。昨季終盤から今季序盤にかけて、彼らと同じラインでプレーした経験もあるモーガン。
「後で振り返って、“あの時はすごかったな”と思える瞬間なんだろうけど……でも、うーん。彼らは誰もが知るスター。自分は場違いな気がしちゃうよ」。
この成長は、ギーキー自身の意識改革と、新しいアプローチを身につけることも必要でした。過去にシアトル・クラーケンからクオリファイングオファーを提示されず、NHLでの将来が揺らいだことから約3年。
彼はカロライナ・ハリケーンズでも居場所を掴み損ねた経験6を経て、彼はホッケー界での自分の立ち位置を見直すことになったのです。
ボストン・ブルーインズvs.ニューヨーク・レンジャーズのハイライト映像。ブルーインズ、第2ピリオドまで良いところなく完敗…。
🚀ブルーインズでの飛躍と信頼
ギーキーはまだNHLでの足場を固めていませんでしたが、ボストン・ブルーインズのGM、ドン・スウィーニーは2023年夏、フリーエージェントとなっていたギーキーの中に“まだ伸びしろがある7”と見出しました👀。
スウィーニーは2023年7月1日、契約直後にこう語っています🔶。「もっと高い位置で起用しても結果を出せるのか?5対5でもハイレベルな得点力を発揮できるのか?パワープレーでは“バンパー”としてプレーできるし、右利きの選手として非常に優れたリリース(ショット)を持っている」。
その読み通り、ギーキーはブルーインズが期待する以上の活躍を見せ、さらにその先をも超えました。2022–23年に61ゴールを記録し、50ゴール超えの経験を持つパストルナクも「彼には50ゴールを決めるためのすべてが揃っている」と太鼓判を押すほどです✨。
クラーケン時代にも指導し、ブルーインズのアシスタントコーチ、ジェイ・リーチはこう語ります。「こういった大きな契約――たとえばギーキーが6月29日に結んだ6年・3300万ドル(約51.5億円。年平均550万ドル)の契約――を得た選手にありがちなことを知っている。
多くの場合、どこかで気が緩み、ギアが一段落ちてしまうのだ。モーガンは本当に“正反対”のタイプなんだ。努力を続け、自分のプレーを磨き続けている。トレーニングキャンプに戻ってきたときなんて、スカウトもコーチも“彼は速くなっている”って口を揃えていたほどさ」。
「それが彼のすべてを物語っている。長期契約を勝ち取って、そこで満足してしまうのか?それとも、“自分はこの価値があるんだ”と証明し続けようとするのか?ギーキーは後者を選んだんだ」。
リーチには、ギーキーの変化を語る上で特別な視点があります。ギーキーは2021–22シーズンのクラーケン創設初年度、73試合で22ポイント(7ゴール、15アシスト)という成績でした🔶。当時は第4ラインでプレーし、スケーティングには改善が必要でした。
「正直、あれはチーム全体にとって“災難”のようなシーズンだった」とリーチは回想します。それでも、リーチは彼の努力と信念を高く評価しています💪。
「彼には本当に敬意を払っている。確かに彼に“強烈なショット”があることは誰もが知っていたが……もし当時の私たちが『彼は将来、40ゴール以上を決める選手になる』なんて言っていたら、誰も信用しなかっただろう。
確かに当時は第3〜4ラインのウイングとしてチェッカー扱いされるタイプだ――そんな評価が一般的だったが、彼がその後に積み上げたものは、彼の成長は努力と自己信念の証だ」。
ギーキーがここまで成長するとは思っていなかった、とリーチは認めます。だが、ギーキー自身は――ひそかに、深い部分で――自分の才能を信じていたのだろう、とも語ります。リーチは、シアトル時代に彼と一緒に“余りメンバー”として滑った練習を思い出しながら言いました。
「過去の練習でも、心の底では“自分は40ゴールクラスの選手になれる”と信じていた。彼のショットへの自信は本物だった」。

今シーズンの驚きはたくさんあるけど、モーガン・ギーキーの成長も圧巻だにゃ💪。第4ラインの選手から、努力と自己信念でNHL屈指のゴールスコアラーへと飛躍。長期契約後も手を抜かず技術を磨き続ける姿は、本当に尊敬に値する✨。大抵の若手選手は気分的にダウン方向に行っちゃって、適当にプレーしちゃうものなのに。
🪵幼少期の木製スティックが育んだ技術
モーガン・ギーキーの成長には、幼少期の“木製スティック体験”が大きく影響しています。ちょうど1週間ほど前のこと。ブルーインズがカリフォルニアでアナハイム・ダックスと対戦した頃、ギーキーの父クレイグとパット・ファルーンはメッセージでやり取りし、息子の今季の活躍やスティックの話題で盛り上がっていました📱✨。
「彼を見るのが本当に楽しい。スティックのおかげだけじゃない。彼は本当に素晴らしい選手になった。手と目の協調性、ボード際でのパック奪取、全てが素晴らしい」とファルーンは語ります。
「もちろん、兄弟との競争や父の育て方の影響も大きいだろうね。でも、あのスティックを持って走り回っていた“ギークス(ギーキー)”の姿は、今でも覚えているよ」。
モーガンは幼い頃、ファルーンのスティックを切り縮めたものや店で買った木製スティックを使い続けました。11〜12歳の頃には、人口約150人のマニトバ州ストラスクレアの田舎町から「ブリック・インビテーショナル・ホッケートーナメント(エドモントン開催の名門大会)8」に出場。
周囲の都市部の子どもたちはテレビで見るような最新のスティックを持つ中、モーガンは“曲がりのない棒みたいな木製スティック5本”をテーピングして戦いました。
「田舎町から来た“ちびっ子”の俺と友達だけ、スティックが全部“木製”だったんだよ。親から大会参加の祝いにコンポジットスティック9をもらったけど、『大会が終わるまで使っちゃダメ』って言われてたんだ」とモーガンは振り返ります。
クレイグは息子のこの思い出話を聞きながら大笑いし、そして事実であることも認めつつ、こう付け加えました。「大会で最後の木製スティックが折れた時、予備を買うためにウェスト・エドモントン・モールまで走ったんですよ。値段も高くて大変でした」と語ります🏒。
「ブリックの大会で、まだ木製スティックを使っていた時のモーガンの“ふてくされた顔”を、今でもはっきり覚えています」とクレイグ・ギーキーは笑いながら語る。
「その時使っていたのはファルーンのスティックじゃなかったけど、それでも“木製”。あの大会で木のスティックを使っているのは、ほぼ彼だけでした。……さすがに“この子を一生ずっと木製スティックでやらせ続けるわけにはいかないな”って思いましたね」。
クレイグは、木製スティックの使用がモーガンのシュート技術に大きな影響を与えたと考えています🔶。
木製スティックでは、手首の強さ、筋力、そして丁寧なコントロールが求められ、ギーキーが手首ショットを完璧にコントロールできるようになるまで、スラップショットを禁止されていたことも、その精度を育む要素となりました。
許可が出たのは、なんとU-18カテゴリーになってからでした。この地道な訓練の積み重ねが、今季17ゴールに繋がる精密なシュートを生んだのです✨。
このシュートも木製スティックで鍛えられた賜物か。
🏅NHLでの躍進と家族の誇り
モーガンは、今になってこうして“復讐”できたことを笑って話す。「シュートのコツなんて、全然わからなかった。僕にシュートを教えたのは父なんだけど……父は元ディフェンスマンで、“自分もシュートが上手い”と思ってるんだよ。でも実際は……全然上手くない(笑)」。
父の理不尽なルールも、ファルーンのストレートな木製スティックも、田舎町での兄弟との競争も。その全てが今のギーキーの“武器”になりました。
どんな理由であれ――どんな苦労や遠回りがあったにせよ――どんな努力や遠回りがあったにせよ、モーガン・ギーキーはカロライナ時代やシアトル時代には想像できなかったほどの成功を手にしています🌟。
NHLのゴールランキングのトップに自分の名前があることは、彼自身もまだ完全には信じられない様子です。
「こんなの、本当に現実なのかって感じ」とクレイグ・ギーキーは語ります。「ドライザイトルもマクデイビッドも唯一無二の存在。その中にモーガンが名前を連ねているなんて……家族みんなで“マジかよ”って思ってる😂」。
まとめ
家族のサポート、幼少期の木製スティック体験、父からの厳しい指導、兄弟との競争――その全てが、モーガンをトップレベルのゴールスコアラーへと押し上げました。彼の技術、手と目の協調性、ボード際のパック奪取能力は、まさに幼少期から積み重ねた努力の結晶です✨。
今では、モーガンの名はNHLでも一目置かれる存在となり、パックを持てばゴールを生み出す選手として認められています。かつては場違いに感じたスター選手たちと肩を並べ、家族と共にその現実を実感しつつあるモーガン・ギーキーの物語は、夢のような成功の軌跡と言えるでしょう🏒💫。

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!
【註釈】
- 1972年9月22日にカナダ・マニトバ州フォックスウォーレンで生まれた右ウィングのアイスホッケー選手。1991年のNHLドラフトで全体2位という高順位で指名され、San Jose Sharksの球団史上初のドラフト選手となった。
ドラフト前、彼はSpokane Chiefs(WHL)でジュニアキャリアを築き、なんと2年連続の60ゴール超えという圧倒的な成績を残し、1991年にはMemorial CupのMVPにも輝いている。これはまさに「将来を嘱望される若手ストライカー」の象徴。
プロ入り後は1991年〜2000年のあいだにNHLで9シーズンを過ごし、サンノゼのほか、Philadelphia Flyers、Ottawa Senators、Edmonton Oilers、Pittsburgh Penguinsと渡り歩いた。NHL通算575試合に出場し、143ゴール・179アシスト、合計322ポイントを記録。
ただし、期待されたようなスターターレベルでの長期活躍とはならず、「ドラフト当時の評価ほどには伸びなかった選手(俗に“ドラフト・バスト”)」と見る向きが多いのも事実。特に、同じ1991年ドラフトで選ばれた将来の殿堂入り選手たちとの比較が、その背景にある。
NHL引退後、ファルーンはヨーロッパ(スイスのHC Davos)でプレーを経験したのち、故郷マニトバに戻り家族の農場で穀物農業に従事。シニアホッケーリーグに参加し、地元チームで長くプレーを続けた。
このように、ファルーンは「かつて大きな期待を集めたが、思うようなキャリアを築けなかった」元スター候補──一方で「優秀なジュニア時代の実績」と「プロ経験を経て地元に戻った慎ましい生活」を併せ持つ、どこか切なさを感じさせる選手像を体現している。
↩︎ - Craig Geekieは、カナダ・マニトバ州ストラスクレア出身の元ジュニアホッケー選手/コーチ/指導者であり、現在は複数の息子をホッケー選手として育てた“ホッケー一家の父”としても知られている。
若い頃はBrandon Wheat KingsやSpokane ChiefsでWHL(ウェスタンジュニアホッケーリーグ)に所属し、1990年代初頭から中盤にかけてプレーしていた。当時のCraigは「勝負への貪欲さ」「チームワーク」「メンタリティ」を重視し、ただの選手というより、“チームの柱となる若手を育てる役割”を自らに課すような選手だった。
その後、プロの道で大成とはならず、WHL卒業後はプロ入りのチャンスが限られたものの、シニアホッケーリーグやCHL所属クラブでプレー経験を持ちつつ、地元に戻ってコーチや育成に携わる道を選んだ。
地元農場での仕事と両立しながら、自分の時間のほとんどを子どもたちの育成に注ぎ、「勝つこと以上に、人としての成長、チームワーク、努力の継続」を教える指導方針を貫いてきたようである。
Craigのこうした信念と経験が、息子たち――特に本記事で取り上げたMorgan Geekieや末弟Conor Geekie――に受け継がれている。Morganの場合、Craigは幼少期からシュートやスティック扱いを丁寧に教え、無名の田舎町で育った少年に対し、根気強く「継続は力なり」の価値を伝えてきた。これは、ただ技術的な指導にとどまらず、メンタリティや生活態度、チームや家族の大切さまでも含んだ“ホッケー人としての基礎”である。
また最近では、Craigは単に自分の子どもたちを育てる父親だけでなく、地域全体、次世代の若手ホッケー選手育成にも熱心で、プログラムの運営や指導に携わっている。たとえば、彼はUMH 68 Manitoba Showcaseのマニトバ地区ディレクターを務め、単なるスキルだけでなく「メンタルの強さ」「人としての成長」を重視した若手育成の重要性を語っている。彼は少年たちにとって「単なるコーチ」ではなく、「人生の師匠」のような存在。
↩︎ - カナダ・マニトバ州の小さな田舎町Foxwarren, Manitobaを本拠地とする地域リーグ、それがNorth Central Hockey League(NCHL)である。NCHLは、その名の通りマニトバ州西部〜中西部の小さなコミュニティを繋ぐシニア/アマチュアホッケーリーグで、いわゆる地域密着型の“草の根”リーグ。その中で、Foxwarren Falconsは長年にわたり地域を代表する強豪チームとして知られてきた。
Falconsのホームリンクは、1949年建設という古くからのリンクで、かつては週末の試合で地域の住民がリンクに詰めかけ、まるで地元の“イベント”のように盛り上がったと伝えられている。地元紙やラジオで報じられ、試合はたちまち人々の話題になった――“小さな町のNHL”と形容されるような存在だったようである。
実績としても、FalconsはNCHLで圧倒的な強さを誇ってきた。公式記録によれば、彼らは11回のNCHLチャンピオンシップを獲得しており、地域リーグの王者として長く君臨してきたチーム。さらに、NCHLだけでなく、州レベルの大会や“Manitoba Senior A / Bチャンピオンシップ”などにも挑戦経験があり、地域の“シニア/アマチュアホッケー界”における存在感は決して小さくない。
また、FoxwarrenのリンクとFalconsの存在は、単に勝敗だけでなく、コミュニティの“誇り”や“集い”として機能してきた。ある元選手は、「子どもの頃、テレビのNHL選手と同じくらい憧れの存在だった」と振り返っており、地域のアイドル・チームとして多くの子どもの夢や思い出を育んだ場所だと語っている。
しかし、2024年夏の嵐でその歴史あるリンクの屋根が破壊され、大きなダメージを受けたという報道もある。1950年代から何世代にもわたって地域を支えてきたリンクだけに、地域住民はその将来に懸念を示しており、Foxwarrenのホッケー文化の維持が問われている状態。
↩︎ - かつて多くの選手に愛用されたクラシックなホッケースティックで、軽量ながらもしっかりとした剛性を保つ設計が特徴の一本である。当時表記されていた「80 flex」は、スティックの中央を1インチたわませるのに約80ポンド(約36kg)の力が必要という硬さの目安で、この数字が示すとおり、FeatherLiteは中程度のしなりで、手首を使った素早いリリースや正確なスナップショットが打ちやすい仕様とされていた。
さらに、「4.5 lie」というライ角の設定は、スケート時に体を低く構えて滑るような選手、あるいは身長や姿勢が低めの選手に適応しやすく、ブレードが氷としっかり接地することでパックのコントロールとショット精度を補助するもの。このような柔軟性と扱いやすさのバランスが、モーガン・ギーキーのような若手が「木製スティック感覚」でスティックさばきとシュート感覚を磨くには理想的な条件となった。
木や古典的なスティックの感触を残しつつ、操作性とコントロール性を両立するSherwood 7000 FeatherLite。現代の複合素材スティックとは違った“生身の感覚”でパックを扱う経験を支えてくれる、まさに時代をつなぐ一本だったのである。
↩︎ - 「NHL Thanksgiving Showdown」とは、アメリカの感謝祭の翌日に行われるNHLの定例試合で、特に全国的な注目を集めるカードとして放送される。2011–12シーズンから始まり、ブラックフライデーの午後に開催されることが多く、テレビ視聴者やファンにとって毎年の恒例行事となっている。
この試合では、伝統的に強豪同士やライバルチームの対戦が組まれ、特にボストン・ブルーインズ対ニューヨーク・レンジャースのカードは定番として人気。単なる試合にとどまらず、NHLが感謝祭週末にも注目されるように設けた特別なイベントとして位置づけられている。
↩︎ - Morgan Geekieは2017年ドラフトでハリケーンズから全体67番目で指名された。その後、2018年にエントリー・レベル契約を交わし、まずはマイナーリーグ(Charlotte Checkers)でプロキャリアを始めた。
2019–20シーズン終盤にNHL初昇格を果たすと、デビュー戦で2ゴール1アシストの鮮烈な活躍を見せた。そして続く2020–21シーズン、Geekieはハリケーンズで36試合に出場し、3ゴール・6アシスト、合計9ポイントを記録。
とはいえ、その出場機会や役割は限定的だった。記事でも指摘されているように、彼は主に第4ライン、特に守備やペナルティキル、ロースコアリング重視の下位フォワードとして起用され、オフェンス面での本来の期待には応えきれていなかった。
また、マイナーで安定した活躍をしていたとはいえ、NHLにおける出場時間(TOI)が少なかったこと、パワープレーや得点機会を得づらかったことが、彼の持ち味を伸ばすには厳しい環境だった。
さらに、2021年のNHL拡張ドラフトでは、ハリケーンズはGeekieを保護せず、Seattle Krakenへの移籍を許した。このことは、チーム側が彼を将来のコア選手と見なしていなかった、もしくは即戦力という評価ではなかった裏返しとも言える。
このように、ハリケーンズ時代のGeekieは「素材としての才能は認められていたが、チーム構成や起用方法、試合環境の都合で、オフェンス能力を十分に発揮できなかった」。つまり、“居場所を与えられず”、本来のポテンシャルを開花させる機会を掴めなかった──それが彼のハリケーンズ時代の実情だった。
結果として、NHLでの地位を確立するには至らず、拡張ドラフトによって新天地を模索せざるをえなかった。この経験が、後のキャリアでの意識改革と“居場所探し”の原点ともなっている。
↩︎ - 2023年夏、ギーキーは前所属のSeattle Krakenからクオリファイング・オファーが提示されず、制限付きFAとなっていた。クラーケン時代は主に第3〜第4ライン、あるいはボトム6(ロースコアリングやチェック重視のライン)での起用が主で、アイス時間(TOI)は抑えられ、得点や目立った活躍の機会も限られていた。
しかしそんな中でも、彼は比較的大きな体躯(6フィート3インチ、約191 cm/208ポンド)と、右利きながら重くて速いシュートを持つフォワードであり、潜在的なオフェンス能力――特に“ロースコアリングエリアでのゴール掘り起こし力”や“ショットの威力”に注目するスカウトはいた。
そのため、ブルーインズのGM Don Sweeneyは、2023年7月1日にギーキーと契約した際、「彼はもっと上のポジションで起用されれば、生産性を上げられる」「5対5でも高いレベルの得点力を示せるかもしれない」「パワープレーで“バンパー(ゴール前でのフィニッシャー)”として起用できる上に、右利きでリリースが速く良いショットを持っている」と、公に評価を述べている。
つまり当時のチームとしての見立ては、「今はまだNHLで名を轟かせるスターとは言えないが、十分にそれを目指せる“素材”がある」というものだった。「適切な環境+十分な出場時間+信頼を与えれば、化ける可能性あり」という期待を込めた契約だったわけである。
実際、ブルーインズ加入後のギーキーには明確な“機会と条件の変化”が与えられた。従来よりもアイス時間やパワープレーの出場機会が増え、彼の長所であるシュートを活かせるポジション――特にロースコアリングエリアでの仕事――を任されるようになった。
こうした状況と、ギーキー自身のメンタリティ(拾われた感、証明したい思い、持ち味のシュートへの信頼)がかみ合ったことで、チームも本人も「この投資は成功する」と判断できるようになった。
↩︎ - 「Brick Invitational」は、カナダ・アルバータ州エドモントンにある大型ショッピングモールWestEdmonton Mall のアイスパレスを舞台に、毎年夏(6月末〜7月頭)に開催される、北米屈指のユース(主に9〜10歳)ホッケー大会。
1990年に創設され、当時こうした年齢層(U10)の大規模かつ国際的な大会としては前例が少なく、「10歳前後の才能ある若手選手たちの登竜門」を目指してスタートした。
大会にはカナダ各州およびアメリカの複数州から、選抜またはクラブチームとして集まった若手が参加。予選リーグ(ラウンドロビン)を経て、上位チームがセミファイナル、ファイナルへ進む形式が取られ、最終的に「Brick Cup」をかけて争われる。近年では14チーム(カナダ7、アメリカ7)程度が参加する規模にまで拡大。
この大会の特徴は、単なる競技の場に留まらず、参加者とその家族にとって「ホッケー+夏の思い出」というユニークな体験を提供すること。選手たちは大会期間中、試合だけでなく、ショッピングモールのアミューズメント施設(ショッピング、娯楽施設、水族館など)を楽しむことで、アイスホッケーを離れた交流や友人づくりの機会も得る。運営側は、この「ホッケーと夏休みの融合」をコンセプトとし、大会を単なる「競争」ではなく「体験の場」として位置づけている。
そして、この大会を特徴づけるもうひとつの重要な点は、参加選手の“その後”の進路における実績である。1990年の創設以来、数百人規模の参加者が、ジュニアリーグ、大学ホッケー、果ては最高峰のNHLに進んでおり、2023年時点でNHLでプレー経験のある出身者が300人を超えると報告されています。つまり、Brick Invitationalは多くのトップ選手の若き日の登場舞台となってきた「才能発掘&育成の温床」と言える。
ただし、その構造には批判もある。特に一部の関係者や元参加者の声として、この大会は「招待制」「高額な遠征費」などにより、裕福な家庭やホッケー環境に恵まれた子どもたちに有利という指摘がある。redditなどのコミュニティでは、「最高の10歳児を集める大会である反面、スポーツの“エリート化”や子どもたちへのプレッシャー、大会運営のコスト負担の重さを危惧する声」も少なくない。
↩︎ - カーボンファイバーやグラスファイバーを多層構造にした軽量で高剛性のスティック。従来の木製スティックよりも操作が速く、シュートのリリース速度や精度を高められる。また、フレックスやライ角の統一が可能で、プレースタイルに合わせた調整ができるのも特徴。
一方で、硬く振動が伝わりにくいためパックフィールは木製より劣り、破損は突然起きやすい点に注意が必要。現代ホッケーではプロからジュニアまで広く使われている。
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