家族の支えに感謝!フォーク1,000試合達成の偉業💪

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はじめに

 ジャスティン・フォークが通算1,000試合出場を達成!🎉ブルースでの活躍に加え、母・ゲイルや兄の支え、恩師の助言があったからこそ成し遂げた偉業です。フィジカルで泥臭いプレースタイルながら、仲間やチームのために全力を尽くす姿勢が光ります。

 デビュー戦の苦い経験から学んだリラックスのコツや、先輩たちの背中を見て培った精神力も、この節目に大きな意味を持ちます🏒✨。

参照記事:The Hockey News「Faulk Yeah: Blues Defenseman To Play in 1,000th NHL Game Tuesday

ジャスティン・フォーク、1,000試合到達!🏒

 ジャスティン・フォークがついに通算1,000試合出場を達成しました🎉。トロント・メープルリーフス戦での快挙は、NHL史上414人目の記録で、ブルースの選手としても注目の節目です。

 フォークはこの記録について、「複数の仕事を掛け持ちしながら僕たちを支えてくれた母、ゲイルのおかげだ」と語っています。母の支えがあってこそ、今の自分があると強く感じているようです。

 近年、ブルースでは1,000試合達成者1が増えてきました。昨季はライアン・スーターが1,500試合の大台に到達しており、そんな中、フォーク(33歳)は、スコシアバンク・アリーナで行われる火曜日(11月18日)のメープルリーフス戦でその仲間入りを果たします。

 同チームで1,000試合の節目を迎えた選手には、ブレイデン・シェン、ニック・レディ、キャム・ファウラーがいます。

 「正直、まだ実感は湧いてないよ」とフォークは月曜日に語りました。「ここ数年でレディ、ファウラー、シェンの節目を一緒に経験してきたけど、今回は自分の番だ。仲間たちとその瞬間を共有できるのは本当に特別なことだね✨。

 キャリアの早い段階では、チームメートが1,000試合を迎えるなんて経験したことがなかったんだ。スティーナー2の時が最初だったかな。でもこの数年で何人も達成していて、こうして仲間たちと喜びを分かち合えるのは素晴らしい経験だと思う」。

 フォークは2019年9月24日にカロライナ・ハリケーンズからブルースに移籍。トレードで2020年ドラフト5巡目指名権とともにブルースに加入し、ジョエル・エドモンドソン、ドミニク・ボック、2021年の7巡目指名権がハリケーンズに移りました。

 2010年ドラフト2巡目(全体37位)でハリケーンズから指名されたフォークにとって、この15年間は長い旅路だったようです。カロライナで8シーズン、ブルースで7シーズンを過ごしており、NHL入りは19歳と早く、若い頃から経験を積んできました。

 「19歳でリーグに入ることができて本当に恵まれていたと思う」とフォークは言います。「今の若い選手たちとは少し状況が違うけどね」。

ブルースvs.メープルリーフス戦のハイライト映像。オーバータイムで決勝点を決められ、無念の敗北…。でも、フォークはいつも通り頑張った!

長くプレーするための努力と先輩からの学び💪

 フォークは、長くNHLでプレーすることの難しさについても語っています。「デトロイト・レッドウィングス時代を思い返すと、あの組織では全員が数年間はマイナーで経験を積まなきゃいけなかったように思う。時間がかかるし、選手も少し年上だった」と振り返ります。

 「まだ自分がそんなに歳を取ったとは思ってないけどね。でも、ここまで長くプレーするには、多くのことがうまく運ばないといけない。ケガが積み重なることもあるし、ロックアウトやCOVIDみたいな予期せぬ出来事もある。長くリーグに居続ける上で不利になることはいくらでもあるんだ」。

 自分は歳を取っていないと笑いながらも、長くプレーするには多くの運や努力が必要だと実感しているようです。

 「だからこそ、自分が少し誇りに思っているのは、健康でいること、できるだけ多くの試合に出られる状態でいること、チームのためにベストを尽くせる状態でいられるよう努力してきたこと。そうして長くプレーし続けることなんだ」とフォークは語ります。

 また、節目を迎えた先輩たちの姿も大きな学びになりました。ライアン・スーターなど、1,500試合を達成した選手たちの自己管理や日々の準備の姿勢3を目の当たりにし、「スーターが昨年1,500試合を達成したけど、ああいう選手たちがどう自分をケアしているか、どれだけ努力しているかを見てきた。簡単なことじゃない。

 浮き沈みはあるけれど、彼らは毎日の準備のルーティンを崩さない。その姿を見ることで、どうあるべきか、自分の道しるべになった。そういう人たちと同じ時間を共有できたのは本当に光栄だった」と感じています。その経験が、自分自身の節目にもつながったのです✨。

母・ゲイルと兄の支えがあったから❤️

 フォークは、今回の1,000試合という節目を母ゲイル・キングと分かち合うことになります。フォークがまだ若い頃、父親デールは心臓発作で37歳の若さで亡くなり、ゲイルはフォークと兄のデイビッドを女手一つで育てました。

 その影響は今もフォークの人生や考え方に大きく反映されています。今回の記念試合のため、ゲイルはトロントに駆けつけます。

 「母と兄には本当に支えられてきた」とフォークは話します。「兄はいつも僕の旅路を一緒に歩んでくれた存在だ。彼は本物の仕事をしているんだ。送電線の建設などの大変な仕事をして、嵐の後も全国を駆け回って、停電した地域に電力を復旧させるために働いている。

 僕はこうやってホッケーをしているけど、実際に大変な仕事をしているのは彼の方だよ。母と兄の支えは本当に大きかった」。

 南セントポール高校4でプレーしていた2007-08シーズンから、米国ナショナルチーム開発プログラム5(NTDP)へ進み、ホッケーの道を歩んできたフォーク。その中で、自分がここまで来られた最大の理由は母の存在だと語ります。

 「結局のところ、すべては母のおかげなんだ。父が亡くなった後、母は僕と兄を育てるために複数の仕事を掛け持ちしながら支えてくれた。あの状況を乗り越えるのは、正直、僕たちより母の方が大変だったと思う。でもその経験から、困難を乗り越える力、粘り強さ、努力する姿勢を学んだ。

 つらい日もある。どんなに悪い日でもリンクに立ち、前に進むことを教えてくれたのは母だ。人生だって同じだ。母はそのすべての支えだったし、今の自分の考え方や姿勢は彼女が教えてくれたものだ」と振り返ります。

 この家族の支えがあったからこそ、フォークは今日まで成長し、1,000試合という大記録に到達することができたのです🌟。

讃岐猫
讃岐猫

身体を張るプレースタイルとチームでの存在感🏒💥

 フォークは通算468ポイント(134ゴール、334アシスト)を記録しており、そのうちブルースでの440試合では49ゴール、161アシストを挙げています。そのスタイルは、体を張り、泥臭く、フィジカルでタフなホッケー。

 こんなハードなプレーで1,000試合に到達するのは簡単ではありません。それでもフォークは137人目のディフェンスマンとしてこの記録を成し遂げました。

 ブルースのジム・モンゴメリー監督は、フォークを「パワーと運動能力を兼ね備えたフィジカルの塊」と評価しています。「スケートもシュートも素晴らしいし、1対1のバトルに非常に強い。19歳でNHLに入って以来、ずっとチームに大きな影響を与えてきた。カロライナでも中心選手だったし、ブルースでも成功の大きな要因の一つになってくれている」。✨

 フォークのプレースタイル6は体への負担が大きく、ウィンガーよりタフさが求められるため、プレーを続けるのは簡単ではないのです。

 「右ウィングや左ウィングよりもずっとハードなんだ。何百試合も連続で出場できる選手はいるけれど、このタイプのプレーをしながら続けるのは本当に難しい」とモンゴメリー監督は話します。

 フォークは、ブルースの中で“気取らず、気にしない、マイペース”なリーダーとして知られています。オフシーズンには湖で釣りや狩りをして過ごす、質素で自然体の生活を好む。月曜日の練習後のロッカールームでも、仲間たちが彼に向けてダックコール7(カモ呼び笛)を鳴らしてからかっていました。

 チームメートのジェイク・ネイバーズも、フォークをこう評価します。「最高の人だよ。チームに来た初日から、フォークはNHLでどう振る舞うべきか、ブルースの選手としてプロとしてどうあるべきかを見せてくれた。仲間のために全力で戦うし、リーグでも尊敬されている選手だ。

 こんな大きな節目に立ち会えるのは本当に光栄だよ。彼はシンプルな人で、自分の好きなことを楽しんで、他人がどう思うかを全然気にしない。それが僕がフォークを好きな理由の一つなんだ。自分に正直で、周りの意見なんて気にせず、いつも同じ姿勢でリンクに来て、高いレベルでプレーする」と語っています🌟。

場内からの歓声に、ひょいと片手を挙げて応えるフォーク。ちなみに、チームで記念のTシャツを作成して、ベンチ入りメンバーが着用したそうです。

デビュー戦の苦い経験と恩師の支え🌟

 フォークのNHLデビューは、2011年10月7日、タンパベイ・ライトニング戦でした。プレータイムは19分43秒、結果はマイナス2の評価。「最初の試合は本当にひどかった」と振り返るフォーク。「最初の3試合は全部ひどくて、すぐに下部リーグに送られたんだ」と語ります。

 そんな経験から、これからプロとして歩み始める若い選手たちには「楽しむことが大切」と伝えたいそうです。

 「今思えば、あの頃の自分はちょっと固くなりすぎていて、すごく緊張していたと思う。みんなそうだろうけど、僕は本当にひどいプレーをしてしまった。でも振り返ると、それで良かったんだ。リラックスする方法を学べたからね。数試合経験したあとで、ようやく落ち着くきっかけになった」とフォークは笑います。

 この時、大きな助けになったのが当時のハリケーンズ監督ポール・モーリス(現フロリダ・パンサーズ監督)でした。「下に降格されて戻ったとき、モーリスは“力を抜け、心配しなくていい。ただプレーしろ”と言ってくれたんだ。あの言葉は本当に大きかった。うまくいかない時があっても大丈夫だって学んだし、それは今でも変わらない」と語ります。

 さらに、ここまでキャリアを築く上で影響を与えた人物として、カロライナ時代の恩師であるアシスタントコーチ/ディフェンスコーチ、デイブ・ルイス8の名前を挙げています。

 「誰か一人を挙げるなら、若い頃にお世話になったデイブ・ルイスだ。彼は僕の最初のディフェンスコーチで、正しいポジションやプレーの見方を教えてくれた。時には厳しく、時には自由にプレーさせてくれたおかげで成長できた。

 調子に乗りすぎたとき、初心に戻すことで、短期的にプレーするだけじゃなく、長く影響力のある選手になるための自信を与えてくれた」と感謝を述べています。

 ブルースは今後ホームゲームで、フォークの1,000試合達成を祝うセレモニーを行う予定です。恒例の「シルバースティック9」が贈られるほか、チームメートからの記念品も準備されている模様です。

 「仲間たちが何を用意しているかは分からないよ。きっと変わったものになるんじゃないかな」とフォークは笑顔で語りました🎉。

まとめ

 1,000試合到達はフォークにとって特別な節目。家族の支えや恩師の指導を胸に、ハードなディフェンスを続けてきた努力の証です💪。ブルースでのリーダーとしての存在感や、自然体でプレーする姿勢も、チームに良い影響を与えています。

 挑戦と成長を重ねた彼のキャリアは、NHLでの長期活躍の模範と言えるでしょう🏒✨。

讃岐猫
讃岐猫

【註釈】

  1. ライアン・スーターの節目の舞台は、2025年2月8日(現地時間)に行われたシカゴ・ブラックホークス戦で、ブルースはこの機会に記念イベントや特製Tシャツで祝福した。ブレイデン・シェンの通算1,000試合到達は2025年2月27日、ワシントン・キャピタルズ相手の試合で実現しており、その試合での勝利と合わせてクラブが節目を祝っている。

     ニック・レディは2024年3月23日に1,000試合目を迎え、この節目はホームのXcel Energy Centerでのミネソタ・ワイルド戦での出場として記録されている。キャム・ファウラーの1,000試合目は屋外開催のウィンタークラシック(2024年12月31日)で、相手はシカゴ・ブラックホークス。ファウラーはこの日に2得点を挙げる活躍を見せ、チームとファンが大きく盛り上がった。
    ↩︎
  2. 「Steener」とはアレクサンダー・スティーン(Alexander Steen)の愛称。彼はNHLで通算1,000試合以上出場したベテラン選手で、ブルースでも長く活躍した。

     スティーンは2020年2月2日に出身地ウィニペグで通算1,000試合目を迎え、地元ファンから温かい拍手で迎えられた。彼はスキルとリーダーシップを兼ね備えた選手として知られ、ブルースのアイコニックな存在の一人。
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  3. スーターはNCAA出身(ウィスコンシン大学)で、大学時代からフィジカルと持久力を維持するためのトレーニングを積み重ねてきたとされ、これがプロ移行後も安定した出場機会を支える土台になっている。

     また、USA Hockeyのガイドには、スーターが国内ジュニア代表やU-18代表にも選ばれた経験が記されており、若い頃から高い自己管理能力と献身性が評価されてきたことがうかがわれる。
    ↩︎
  4. South St. Paul High Schoolは、ミネソタ州サウス・セントポールにある公立高校で、カレッジホッケー選手を輩出する伝統あるアイスホッケー強豪校の一つである。🏒

     サウス・セントポールの街には歴史的なホッケー文化が根付いており、地元のダグ・ウーグ・アリーナ(Doug Woog Arena)は地域の若手に練習場を提供している。この高校出身の著名な選手には、長年NHLで活躍したフィル・ハスリー(Phil Housley)などもいます。
    ↩︎
  5. USA Hockey NTDPは、1996年にUSA Hockeyが設立した育成機関で、U-17とU-18の2チーム編成で運営されている。

     選手は国内リーグ(USHL)や大学チーム、国際大会などで高水準の対戦経験を積みながら、オンアイスだけでなくオフアイスでも強化を受ける。プログラムの目的は勝利ではなく、長期的な成長。フィジカルなトレーニング、メンタルスキル、学業など総合的な人間形成を重視。
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  6. キャリア初期から「フィジカルかつオールラウンドなディフェンスマン」として評価されてきた。若い頃、カロライナ・ハリケーンズ時代には19歳でNHLに参戦し、そのスケーティング、パック扱い、そして攻守両面でのパフォーマンスの高さが注目されていた。

     NBCスポーツの報道によれば、彼は冷静な判断力と卓越したパスセンス、ポイントからのシュート能力を兼ね備えており、攻撃面でも大きな貢献が期待されていた。

     現在はブルースの中心ディフェンスとして、経験を積んだ今もその「強さ(グリット)」が代名詞。NHL公式の特集では、フォーク自身が「フィジカルな部分は負荷が大きいが、そこに価値を見いだしている」と語っており、身体的なタフさを厭わず毎試合出場し続ける姿勢が強みとされている。

     また、CBS Sports等によると、プレー中には積極的なボディチェックやヒットを仕掛け、対戦相手との1対1にも強さを発揮。ヒット数やブロックショットといった成績にも反映されており、守備の核として安定感も提供。

     こうして見ると、若手時代はスピードと技術を武器に攻守に顔を出すオフェンシブなディフェンスだったのが、現在は身体能力と経験を融合させた強靭な「守備型+攻撃兼任型」のディフェンスマンに成長していると言える。
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  7. 実際にはアヒルの鳴き声を真似するための道具のこと。水鳥猟で使われるこの小さな笛(またはウッド/プラスチック製の管)は、アヒルの「クァック」などの音を再現して、野鳥を誘引するために使われる。

     フォークのロッカールームで仲間が彼に“duck calls”を渡して鳴らしていたのは、文字通り狩猟用具としての意味ではなく、「アヒル笛を吹いてふざける」「いたずらや冗談」という感覚で使われていたのである。これは、彼の自然体で泥くさいキャラクターを象徴する一幕として、チームメートとの親密さやユーモアのある雰囲気を演出していると解釈できる。
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  8. 本名David Rodney Lewis、1953年生まれ。元NHLディフェンスマンであり、引退後はコーチとして著名なキャリアを築いた人物。選手時代にはニューヨーク・アイランダースやロサンゼルス、デトロイトなどでプレーし、1,008試合以上に出場した。

     引退後は1987年からデトロイト・レッドウィングスのアシスタントコーチを務め、スコッティ・ボウマンらの下で1997年、1998年、2002年のスタンレー・カップ優勝を経験。2002年にはヘッドコーチに就任し、レギュラーシーズンで48勝を2度記録、プレジデンツ・トロフィーの獲得も果たしたが、プレーオフでは思うような成績を残せず契約満了となった。

     その後、2006年にはボストン・ブルーインズのヘッドコーチも務めたが、1シーズンで退任。その後はロサンゼルス・キングスのアシスタントコーチを経て、カロライナ・ハリケーンズやベラルーシ代表チームの指導に携わった。

     彼のコーチとしての特徴は、長年のNHL経験を活かした選手育成力と守備戦術への理解の深さ。フォークがキャリア初期に学んだ「ポジション取り」「リラックスしてプレーする心構え」などの指導は、ルイスが培ってきたコーチ哲学の反映とも言える。
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  9. NHLで通算1,000試合出場を記念する伝統的な贈り物。各チームはその選手を称えてセレモニーを行い、銀製のスティックをプレゼントする。たとえば、ミネソタ・ワイルドはマーカス・ヨハンソンの1,000試合達成時にGMからシルバースティックを贈呈。

     また、フィラデルフィア・フライヤーズがクロード・ジルーに手渡したスティックは、彼の実際に使っていたパターンを刻んだ特注品だった。伝統としてチームやリーグからの敬意を表す象徴的なアイテムであり、選手のキャリアを祝う重要な儀式の一部。 ↩︎
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