いぶし銀の魅力!2000年代NHLの隠れたスターたちを振り返ろう!

アイスホッケー名選手

はじめに

 ウェイン・グレツキーの引退から始まった2000年代は、NHLにとって厳しい時代でした。守備的な戦術の影響もあって得点が減少し、ロックアウトでシーズンが失われるなど、NHLは困難に直面してしまいます。ロックアウトの時、日本でも結構ニュースとかで取り上げられていましたね。

 しかし、この時代にも輝きを放った選手たちがいたのです。彼らは表舞台に立つことは少なかったものの、2000年代のNHLを彩った忘れられがちなスターたちです。縁の下の力持ち的な存在で現役時代を全うした選手もいれば、真夏の花火のように1シーズン、バーンと活躍した選手もいます。

 個人的には、こういういぶし銀的存在の選手大好きなんで、他のサイトでもドンドンやってほしいものです。トレーディング・カードで出ないかな、「いぶし銀選手名鑑」みたいな感じで(^_^;)。

讃岐猫
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引用元:yardbarker.com(YARDBARKER)「Forgotten NHL players of the 2000s

2000年代の忘れられたNHL選手たち

 ウェイン・グレツキーは1998-99シーズンの終わりに引退しました。それは何かの前兆だったのかもしれません。2000年代はNHLにとって最も厳しい10年間でした。

 ニュートラルゾーン・トラップ1クラッチ&グラブ・テクニック2がNHLの最前線に立ち、このスポーツから得点と楽しさを奪い取りました。その後、ロックアウトで1シーズンが失われました。

 しかし、そのロックアウトから回復したNHLは灰の中から立ち上がり、アレクス・オベチキンとシドニー・クロスビーがデビューしました。新たなスターが生まれ、より多くの得点を生み出すリーグが誕生しました。

 そんな中でも、2000年代にかなり活躍した選手たちもいます。彼らはチームの重要な部分を担いながらも、オビやシド・ザ・キッド(上記2人の愛称)のようなフランチャイズ・アイコンにはなりませんでした。

 ここでは、やや忘れられがちな時もありますが、2000年代の最も記憶に残る選手たちを紹介します。

1,000試合以上、出てるんですけどね…

こういうスルスルっと抜けていく選手、好きなんだなぁ↓。

1. マイク・クヌーブル(右ウィング、ワシントン・キャピタルズなど3チームに在籍)

 ミシガン大学でプレーした後、25歳のルーキーだったヌーブルは、1997-98シーズンにレッドウィングスで第4ラインでプレーし、2連覇を果たしました。この時点で目立たない平凡なキャリアを歩むことになるかと思われましたが、結局、クヌーブルは遅咲きの選手だったのです。

 2002-03〜2010-11シーズンまで、クヌーブルは毎年20ゴール以上を記録しました。30ゴールを達成したのは2回、ボストンとフィラデルフィアでそれぞれ1回ずつです。

 初めは目立たなかったクヌーブルは、1,000試合以上に出場し、そのほとんどが2000年代で、500ポイント以上を記録したキャリアを築いてきました。

2. アレックス・コヴァレフ(右ウィング、ピッツバーグ・ペンギンズなど5チームに在籍)

 クヌーブルと同様に、コヴァレフもNHLでチームを転々としました。

 しかし、それ以外に、2人の共通点はほとんどありませんでした。クヌーブルは遅咲きで努力家のプレイヤーでしたが、コヴァレフは1巡目指名(1991、全体15位)で、10代の頃にレンジャーズでデビューを飾った選手でした。

 彼はその世代でトップ5に入る最高のスティックハンドラーの1人で、氷上では非常に滑らかな動きをしていました。

 一方で、—コバレフはロシア人であることもあり、そのことが彼を不当に評価している可能性もありますが—全力を尽くさないという評判があり、些細なことで不満を漏らすことがありました(2007年、カナディアンズ在籍時)

AHL史上、最も給料の高かった男

3.ジョナサン・チーチュー(センター、サンノゼ・シャークスなど5チームに在籍)

 1998-99シーズンから得点王(最多ゴール)に贈られるモーリス・リチャード賞は、エリートゴールスコアラーの紳士たちによって受賞されてきました。アレックス・オベチキン、オースティン・マシューズ、ジャローム・イギンラなど、数え上げればきりがありません。

 そんな中、チーチューがいます。2005-06シーズン、ロックアウト後の最初のシーズンにジョー・ソーントン3がシャークスにトレードでやってきて、アート・ロス・トロフィー(最多ポイント獲得選手賞)を獲得し、ハート・トロフィー(シーズンMVP)にもノミネートされました。

 彼が来てくれたことで、その最大の恩恵を受けたのがチーチューで、56ゴールを決めてNHL得点王になりました。

 その後、数シーズンは良い成績を収めましたが、それを維持することができず、30歳を迎えた頃にはAHLでプレーし(2009〜13まで、4チーム)、KHLでキャリアを終えました(2013〜2017まで、3チーム)。

4.ウェイド・レッデン(ディフェンス、オタワ・セネタースなど5チームに在籍)

 1999-2000シーズン、ノリス・トロフィーの投票で11位に入りました。これは、彼が6シーズン連続でトップ12に入った初めてのシーズンでした(81試合出場、10ゴール・26アシスト。しかし、このシーズン、セネタースはプレーオフ不出場)。

 彼は非常に優れたディフェンスマンでしたが、彼のキャリアにはレッデンがおそらく忘れ去りたいと思う要素もあります。

 セネタースでのプレーが低迷していたにもかかわらず、レンジャーズは彼に6年、3900万ドルの契約を結びましたが、これはすぐにNHLで最悪の契約の一つと見なされました。

 2シーズン後にはウェイバーにかけられ(2008〜2010の2シーズンで156試合出場、5ゴール・35アシスト)、AHLの歴史の中で最も高給の選手4となりました。

オタワ・セネタース時代、6番の選手です↓。

讃岐猫
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3度、スタンレーカップを掲げたんですけどね…

5. ブライアン・ラファルスキー(ディフェンス、デトロイト・レッドウィングスなど3チームに在籍)

 まあ、2000年代全体にわたってキャリアを過ごし、デビルズとレッドウィングスでプレーすれば、成功に恵まれることでしょう。実際、ラファルスキーは3度、カップ優勝チームでプレーしました(2003、2008、2010)。

 ノリス・トロフィー(最優秀ディフェンスマン賞)とレディ・ビング・トロフィー(最もフェアプレーとスポーツマンシップを示した選手に授与される賞)の両方の投票でトップ10に入った珍しいディフェンスマンで、ラファルスキーはまた堅実なポイント製造機でもありました。

 彼はシーズン中に50ポイントを超えたことが4回あります。

6.マーティ・ターチョ(ゴールテンダー、ダラス・スターズなど3チームに在籍)

 ラファルスキーはミシガン州出身で、ウィスコンシン大学でホッケーをプレーしましたが、ターチョはオンタリオ出身ですが、ミシガン大学でプレーしました。彼はスターズでエリートなバックアップゴーリーとしてNHLに登場しました。

 ルーキーシーズン(2000-01)には26試合に出場し、NHLでセーブ率とGAA(平均失点)で1位になりました。

 2シーズン後には55試合で再び同じ成績を収め(2002-03、平均失点1.72とセーブ率.927)、その結果、彼はベジーナ・トロフィー(リーグ最優秀ゴーリー賞)の投票で2位となり、3シーズン連続でトップ5に入った最初のシーズンとなりました。

 2000年代にはダラスのスター選手の一人でしたが、それ以外の場所で、彼は実際に記憶に残っているほどではないかもしれません。

足技もすごいんです!↓

幻の「スラッシャーズのスター選手」

7.サイモン・ガニエ(左ウィング、フィラデルフィア・フライヤーズなど5チームに在籍)

 怪我がなければ、ガニエは…まあ、彼はおそらくまだこのようなリストに載っていたでしょうが、キャリアの数字はもっと豊富なものだったでしょう。65試合以上プレーしたシーズンでは、すべて20ゴール以上を記録しました。

 30ゴールを4回達成し、2005-06シーズンと2006-07シーズンの2回、40ゴールを超えました。

 特に、47ゴールを決めた際(2005-06)、NHLで33のイーブンストレングス・ゴール(試合中に両チームが同じ数の選手でプレーしている状態で決められたゴール)でトップとなり、単にパワープレーの得点を積み重ねていたわけではありません。

 健康な時期には、2000年代のフライヤーズの強力な選手でした。

8.マーク・サヴァード(センター、アトランタ・スラッシャーズなど4チームに在籍)

 サヴァードはディフェンスの堅実さで知られるセンターではありませんでしたが、スコアリングの腕前で補いました。

 彼の2000年代を語る際に面白いのは、アトランタ・スラッシャーズの歴史の中で最も素晴らしいシーズンの一つを過ごし、97ポイントを記録したことです(2005-2006)。

 翌シーズンにはブルーインズで96ポイントを達成しました。サヴァードは実際、ボストンで2010年代まで重要な役割を果たすことを期待されていましたが、2010-11シーズンに脳震盪を起こし、33歳でキャリアを終えました。

OT、サヴァードのゴールでスラッシャーズ勝利!それにしても、スラッシャーズのジャージはカッコいい。

スラップショットの達人も、なかなか覚えてもらえません

9.スコット・ゴメス(センター、ニュージャージー・デビルズなど7チームに在籍)

 えーと、デビューして、カルダー賞(最優秀新人賞)を獲得して、同じシーズンにスタンレーカップで優勝ってできるのでしょうか?そう、ゴメスはデビルズで素晴らしいルーキー・シーズンを送りました(1999-2000)。

 あまり得点力に定評のないニュージャージーにいたころは、彼は60点から70点を稼ぐのが常でした。

 その後、ロックアウト後のフリーエージェントで、レンジャーズの大物補強の一部となりました。そこでの最初のシーズンは70ポイントを記録しましたが、その後の結果は芳しくありませんでした。

 レンジャーズで2シーズンを過ごした後、カナディアンズに移り、その後は急速に成績が低下し、これほど優れた選手が忘れ去られてしまうようになりました。

10.シェルドン・スーリー(ディフェンス、エドモントン・オイラーズなど6チームに在籍)

 ズデノ・チャラ5と同じ時代にプレーしたことが、ある意味でスーリーの足を引っ張りました(1997〜2000まで3シーズン)。彼の驚異的なスラップショットは、チェコの同胞の活躍の影に隠れてしまったからです。

 しかし、少なくともニュージャージーを脱出してからは、スーリーはスラッパーをうまく使っていました。

 カナディアンズに入団してからも、数シーズンかかりましたが、次第に貢献を始めました。

 その後、3シーズン連続で2桁ゴールを記録し、2000年代にはモントリオールとエドモントンでそれぞれ20ゴールを達成しました(エドモントンでは最も強烈なスラップショットの「非公式」記録を樹立したこともあります)。

画質悪くてすいません。スーリーだけではないのですが、06-07シーズンのオイラーズはスラップ撃ちまくりです!

まとめ

 2000年代のNHLには、ウェイン・グレツキーの影響を受けつつも独自の道を切り開いた選手たちがいました。マイク・クヌーブルやアレックス・コヴァレフ、ジョナサン・チーチューなど、それぞれの選手が個性的なキャリアを築き、チームに重要な役割を果たしました。

 彼らの努力と才能は、NHLの歴史に名を刻みながらも、時に忘れられることもありますが(^_^;)、その功績は確かです。たとえホッケーの殿堂入りしていなくても、きっとアイスホッケーを、NHLを心底愛しているファンの記憶には永遠に残り続けるはずです。

 今回の記事を作成していて、「あー、まだまだNHLは奥深いなぁ、勉強・研究していかないといけないなぁ」と思った次第です。

讃岐猫
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【註釈】

  1. 2人のフォワードと1人のディフェンスマンが、ニュートラルゾーンの中央部分に整然と配置され、相手の攻撃を防ぐための障害物となる。

     相手がニュートラルゾーンに入ってくると、自チームの選手たちは、進行方向に対して横に広がる形でブロックをかける。この戦術により、相手の攻撃が進行しにくくなり、パックの動きを制限することが可能。

     相手がトラップに引っかかると、ミスを犯しやすく、自チームはカウンターアタックのチャンスを得やすくなったり、相手の速攻のペースを遅らせることもできる。これに対抗するため、チームはより速い攻撃やクリエイティブなパスプレーを用いるようになり、現在の攻撃的なリーグへと変化していったのである。
    ↩︎
  2. クラッチとは、ディフェンスマンが攻撃する選手に対して身体を接触させること。攻撃する選手に対して体を密着させたり、スティックで押さえ込むことで、攻撃を制限。これにより、攻撃する選手の動きを遅らせたり、パックを見失わせたりできる。

     グラブとは、手やスティックを使って攻撃する選手のユニフォームやスティックをつかむこと。これにより、相手選手の動きを制限し、プレーの流れを遮断。

     しかし、NHLのルール委員会はこのプレースタイルが試合の流れを遅くし、得点機会を減らしていると認識したため、2005年に大規模なルール改正が行われ、クラッチ&グラブに対するペナルティが厳格化された。この改正により、選手たちはよりスピーディなプレースタイルを求められるようになったのである。
    ↩︎
  3. ブルーインズからトレードで、2005-06シーズンに新加入。ポジションはセンター。2005〜17年まで在籍し、キャプテンを務め、チームの攻撃の中心として長年活躍し、クラブの記録を多く保持している。

     2010年のバンクーバーオリンピックでカナダ代表として金メダルを獲得。
    ↩︎
  4. 2010〜11シーズンはHartford Wolf Pack、11〜12シーズンはConnecticut Whaleでプレー。レンジャーズは残り4年の契約をバイアウト、つまり買い取ったため、レッデンにはサラリー支給があったことをいう。

     2012-13のロックアウト前に彼のサラリーを巡るトラブルがあったが、ロックアウト後の契約条項改定により、選手側に有利な状況となったのも、レッデンにとってラッキーだったのである。記事中に出てくるスコット・ゴメスも同様だった。
    ↩︎
  5. ブルーインズのキャプテンとして、2011年のスタンレーカップ獲得に大きく貢献。NHL史上最も身長が高い選手の一人で、大きな体を生かしてパックを効果的にブロックし、相手の攻撃を防ぐ能力は抜群。強力なスラップショットでも知られる。 ↩︎
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