はじめに
USA Hockeyが発表した2022年のHall Of Fameに、米国出身のどのゴールキーパーよりも多くの勝利を収めている、元NHL選手ライアン・ミラーを含む5名が選出されました。
ミラーのざっと経歴を振り返ってみましょう。
- 在籍チーム:NHL18シーズンで、バッファロー・セイバーズ、セントルイス・ブルース、バンクーバー・カナックス、アナハイム・ダックスに在籍しました。
- レギュラー・シーズン記録:796試合(772先発)で391勝289敗87分け、平均失点2.64、防御率.914、44シャットアウト。
- スタンレーカップ・プレーオフ記録:57試合(55先発)で28勝27敗、平均失点2.52、防御率.913、3シャットアウト。
なかなか日本では話題にならない、米国ホッケー界の「殿堂入り」。どんな方々が選ばれているか、興味ありませんか?
※本記事は、NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」などを参照して、編集・作成したものです。
ライアン・ミラーはどんな選手?
まずは喜びの声から
ミラーはインタビューで次のように答えています。
「これは非常に特別で幸せな瞬間です。子供の頃、1994年のリレハンメル・オリンピックの試合を見ていたことを思い出しました。アメリカの選手たちに刺激を受け、自分はアメリカ人であり、ホッケーをプレーして最高の選手になることが自分の目標であると強く認識しました。
USA Hockeyは常に私の側にあり、存在感があり、代表チームで過ごせたことを嬉しく思いますし、その瞬間を大切にしています。さまざまな形でホッケーをプレーすることで、子供の頃に感じた喜びを感じられるのです」
NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」より
ミラーの選手歴
では、ミラーの経歴を検証してみましょう。出身はミシガン州イーストランジング生まれで、現在42歳。
NHLでの選手歴
NHL通算勝利数391は全体ランキング歴代14位で、米国出身ゴールキーパー勝利数ランキング歴代2位の選手に17勝差をつけています。ちなみに、現役の米国出身ゴールキーパーでトップはロサンゼルス・キングスのジョナサン・クイックの359勝で、歴代4位となっています。
1999年のNHLドラフト5巡目(138位)という、あまり高くない順位でセイバーズに指名されたミラーですが、このチームに11シーズン在籍し、284勝186敗1分けの成績を残しています。さらに彼はチーム歴代勝利数トップであり、シャットアウト勝利28は第2位なのですから、ドラフトは大成功だったと言えるでしょう。
2009-10年のシーズンにはNHLのトップゴールキーパーに選ばれ、69試合(68先発)41勝18敗8分、平均失点2.22(1試合フルに出場した場合)、セーブ率.929、5シャットアウトでベジナ・トロフィー(最優秀GK)を受賞しました。
- 2014年2月28日にブルースにトレードされ、19試合10勝8敗1分、平均失点2.47、セーブ率.903、シャットアウト1を記録。
- その後、カナックスで3シーズンプレーし、2014年から17年まで150試合64勝68敗16分、平均失点2.69、セーブ率.914、10シャットアウトを記録。
- 2017年7月1日、フリーエージェントとしてダックスと契約。
こうしてみると、平均失点が徐々に増えており、セイバーズ時代がいかにイケイケだったのかが分かります。
そんなゴール前の番人も、2021年4月29日、ホッケー界からの引退を発表しました。セイバーズは、2023年1月19日、ミラーの30番を永久欠番にする予定です。チームの心遣いが熱いです😭。
アメリカ代表での選手歴
2010年のバンクーバー・オリンピックで米国代表として出場し、銀メダルを獲得しました。6試合中5試合で勝利を収め、平均失点1.35、セーブ率.946、1シャットアウトを記録し、大会MVPに選出されています。試合数が少ないとはいえ、失点率が1点台なのはやはり凄いですね。
ミラー以外に表彰される方々の紹介
パラリンピックで3度金メダルを獲得したスティーブ・キャッシュ、双子の姉妹で米国女子ナショナルチームの金メダルを獲得したジョセリン・ラムルー・デビッドソンとモニーク・ラムルー・モランド、そして元USAホッケー・オリンピック選手であり、長年にわたり経営者を務めた故ジム・ヨハンセンの4名です。
また、米国ホッケー界への優れた貢献に対して、毎年贈られるレスター・パトリック・トロフィーも、当日に授与される予定です。
※レスター・パトリック・トロフィー…1966年以来、NHLとUSAホッケーによって、米国のアイスホッケーへの貢献を称えて贈られてきた賞です。NHL以外の選手、コーチ、役員、およびその他の職員に授与される可能性があるため、NHL以外のトロフィーと考えられています。
トロフィーの名前は、アイスホッケーの開発者であり、ニューヨーク・レンジャーズの選手で長年コーチを務めたレスター パトリック(1883~1960) にちなんで付けられたものです。
では、詳しく表彰される方々を紹介していきましょう。
スティーブ・キャッシュ
ミズーリ州オーバーランド出身。骨肉腫(骨のがん)のため、3歳の時に右足を切断しました。
しかし、彼の不屈の闘志が実り、16シーズンにわたり、米国そりホッケーチームの一員として150試合に出場し、103勝と驚異的な勝ち星を記録しました。平均失点1.22、セーブ率.898も見事です。国際試合も15試合に出場し、4つのメダルを獲得しています。
2005-06シーズンに、16歳でソリホッケーのナショナルチームに所属して以降、2006年パラリンピック米国代表選手団の一員となり、イタリアのトリノ大会で3位入賞に貢献しました。
特に2010年冬季パラリンピックでは、5回のシャットアウトでパラリンピック記録を樹立し、バンクーバーでは無失点を達成しました。同年、アメリカ・スポーツ界のアカデミー賞とも言われるESPYアワードで、最優秀障害者アスリート賞を受賞しています。
その前年、米国オリンピック・パラリンピック委員会からパラリンピック・スポーツマン・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。
スティーブとライアンは一度顔を合わせており、スティーブはそれについてコメントしています。
「私の最も好きな思い出の一つは、セントルイス・ブルースの試合でパックをドロップすること(プロ野球で言えば、始球式)ができ、実際に事前にライアン(ミラー)と拳と拳を突き合わせる、フィスト・バンプをしてもらったことです。
その尊敬の念から、彼が多くのシーズンを戦い、米国を代表するプレイを見られたことは、私の残りの人生にとって、とても身近で大切なことだと思っています」
NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」より
同じポジションを守る者同士、相通じるものがあったんですね。
男と男の絆、友情を感じて、
オイラ、涙が出そうだにゃ〜😹。
ジョセリン・ラムルー・デビッドソン
ノースダコタ州グランドフォークス出身。ミネソタ大学(2008~09年)、ノースダコタ大学(2010~13年)でプレーし、大学4シーズンで285ポイント(125ゴール)を記録。
2018年平昌オリンピック決勝でカナダに3-2で勝利した際、シュートアウト(サッカーで言えばPK戦に近いか)でゴールを決め、アメリカ女子代表チームの20年ぶりの金メダル獲得に貢献しました。
2010年バンクーバーオリンピックと2014年ソチオリンピックでも銀メダルを獲得し、オリンピック全15試合で6ゴール、10アシストを記録しています。
また、彼女は国際アイスホッケー連盟・女子世界選手権7大会に出場し、アメリカの6つの金メダル獲得(2009、2011、2013、2015、2016、2017)と1つの銀メダル獲得(2012)に貢献しました。世界選手権全34試合で42ポイント(19ゴール、23アシスト)を記録しています。
アメリカ女子代表で14シーズン、ミネソタホワイトキャップスで2シーズン(2015~17)プレーしました。
インタビュー中、ラムルー・デビッドソンは「長野冬季五輪」について語ってくれています。
「振り返り、何からインスピレーションを受けたか考えると、1998年の長野オリンピック女子代表チームでした。モニークと私は、小学1年生の時、彼女達が金メダルを獲得するのを見たのですが、それが私達のオリンピックへの夢とチームUSAへの憧れに火をつけたのです。
私達は幸運にも、長年にわたって赤と白と青のユニフォームを身につけることができました。誰もがシュートアウトのゴールについて語ってくれますが、それはおそらくほとんどの人にとって、私のキャリアを決定づける瞬間でしょう」
NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」より
日本に住む猫としても、
嬉しい言葉だにゃ!
モニーク・ラムルー・モランド
ノースダコタ州グランドフォークス出身。ミネソタ大学(2008~09年)、ノースダコタ大学(2010~13年)でプレーし、大学4シーズンで265ポイント(113ゴール)を記録。
大学時代からフォワードとディフェンスとして活躍していて、NCAA史上唯一、ディフェンスとして2回、フォワードとして1回と、異なる2つのポジションでオール・アメリカ(大学・高校スポーツの最高の栄誉)を獲得した選手でもあります。
2018年平昌オリンピック決勝、第3ピリオド終盤に同点ゴールを決めたのが、彼女なのです。
彼女も2010年・2014年のオリンピックでアメリカの準優勝に貢献し、オリンピック全15試合9ゴールと7アシストを記録しています。ラムルー=モランドもラムルー・デビッドソン同様、国際アイスホッケー連盟・女子世界選手権に7大会出場し、米国の6つの金メダル獲得と1つの銀メダル獲得に貢献しました。世界選手権33試合で50ポイント(19ゴール、31アシスト)を記録しています。
アメリカ女子代表で14シーズン、ボストン・ブレイドで1シーズン(2014〜-15年)、ミネソタ・ホワイトキャップスで2シーズン(2015〜17年)、プレーしています。
「私はもっとディフェンスをするのが好きだった。後ろにいることで、展開や起こっていることすべてを見渡すことができるから。もちろん、ジョセリンとフォワードでプレーするのも好きですから、文句は言えませんけどね」
NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」より
ここにも二刀流がいたんだにゃ!
ジム・ヨハンソン
ミネソタ州ロチェスター出身。2018年1月21日、心臓病のため53歳で死去。未亡人のアビー・ヨハンソンが式典中に表彰される予定です。亡くなった時、USAホッケーのホッケーオペレーション部門のアシスタント・エグゼクティブ・ディレクターを務めていました。
ヨハンソンの功績は、主要な国際大会で64個のメダル(金34、銀19、銅11)をアメリカにもたらしたこと、高い評価を得ている「American Development Model」(ユース・アスリート育成システム)の発足と実施、ミシガン州プリマスのUSAホッケーアリーナを全てのアメリカ代表チームの本拠地として確保すること等があります。
2000年、USAホッケーに国際活動および米国オリンピック委員会関係のマネージャーとして身を投じて以来、USAホッケーの幹部として、ヨハンソンは、米国がソルトレイクシティで準優勝した2002年以降、すべてのオリンピックで運営チームの一員として活躍しました。
ヨハンソンは、世界ジュニア選手権の9大会でアメリカ代表ジュニアチームのゼネラルマネージャーを務め、16の世界ジュニアチームのスタッフとしても活躍しました。米国はヨハンソンの指揮の下、3つの金メダルを獲得(2010年、2013年、2017年)しています。
世界選手権レベルでは、ヨハンソンは1999年から18チーム連続でスタッフとして活躍。チームリーダー(1999~2004年)、アシスタントGM(2005~06年)、ホッケーオペレーションズ・シニアディレクター(2007年)、ホッケーオペレーションズ・アシスタント・エグゼクティブディレクター(2008~17年)を歴任しました。
選手としても、ウィスコンシン大学で4シーズンセンターを務め、1983年にはNCAAチャンピオンに輝き、1988年と1992年にはアメリカ代表としてオリンピックに出場。1987年〜94年まで、インターナショナルホッケーリーグ(ソルトレイクシティ、インディアナポリス、ミルウォーキー)でプレーもしています。
「私は〈JJ〉をとても誇りに思っており、彼が米国ホッケーの殿堂入りをとても光栄に思っていると確信しています。私はまた、彼が選手として、チームメイトとして、そして管理者として、氷の上と外で何をしたかというよりも、彼の優しさと他者に対する寛容さに対して、彼が与えた影響を信じられないほど誇りに思っています。
JJが一番喜んだのは、選手達の存在でした。彼は、チームをまとめることが本当に好きでした。それは、必ずしも瞬間的なものではありません。選手達が彼にとってどれほど大切な存在であったか、また、そうした関係を築くことがどれほど重要であったかを、私は知っています。彼は少しはコーチの道も志したと思うのですが、コーチと選手の関係よりも、マネジャーと選手の人間関係が好きだから、マネジメントの道に進んだのだと話してくれました」
NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」より
まさに「縁の下の力持ち」だにゃ。
まとめ
USAホッケー会長のマイク・チンボリ氏は、以下のような声明を出しています。
「この5人は、アメリカのホッケー界に多大なるポジティブな影響を与えてきた方々です。彼らは皆、その素晴らしいキャリアを通じて、ホッケーに数え切れないほどの貢献をしており、その影響は今後何年にもわたって感じられることでしょう。我々は、11月に彼ら米国ホッケー殿堂第50期生を称えることを楽しみにしています」
NHL.com「Miller among five elected to U.S. Hockey Hall of Fame」より
第50回殿堂入りの夕食会と式典は、11月30日、ミネソタ州セントポールのリバーセンターで開催されます。どんな感じの式典になるのか、映像がNHL公式HPで見られることを期待してます。
今もアイスホッケー発展のために、多くの優れた方々が頑張っています。皆様に栄光と幸多からんことを!
オイラもアイスホッケー愛を伝えていくにゃ!
ここまで読んでくれて、
サンキュー、じゃあね!