- はじめに
- 🏆2006年の奇跡—ハリケーンズ優勝の軌跡とその後(前編)
- Glen Wesley(No.2)—安定のブルーライン
- Aaron Ward(No.4)—体を張る守備の仕事人
- Frantisek Kaberle(No.5)—パワープレーの司令塔
- Bret Hedican(No.6)—現代にも合うスムーズなスケーター
- Niclas Wallin(No.7)—不動のゴール前ディフェンダー
- Matt Cullen(No.8)—俊足の3rdラインセンター⚡
- Justin Williams(No.11)—“大舞台に強い男”
- Eric Staal(No.12)—新時代のスコアラー🔥
- Ray Whitney(No.13)—“魔法の手”を持つプレーメーカー✨
- Kevyn Adams(No.14)—影の立役者👊
- Andrew Ladd(No.16)—新人から頼れる存在へ💪
- 🏒Rod Brind’Amour(No.17)—2005-06シーズン優勝の象徴的リーダー✨
- Mark Recchi(No.18)—優勝の鍵を握った職人スナイパー✨
- Mike Commodore(No.22)—個性派だけど頼れるディフェンダー🧔🏻♂️🛡️
- Andrew Hutchinson(No.24)—必要とあらば頼れる深みのあるディフェンダー🧊
- Erik Cole(No.26)—右ウイングの猛者、速攻と得点力で魅せる🔥
- Craig Adams(No.27)—第4ラインのハッスル王💥
- まとめ
はじめに
カロライナ・ハリケーンズが2006年にスタンレーカップを制した瞬間から20年。伝説のチームを支えた選手たちの活躍と、その後の人生を振り返ります。
守備の要から得点力のあるフォワードまで、個性豊かなスターたちの現役時代の貢献や引退後の活動をまとめ、ファン必見のエピソードを紹介します。✨
※今回はメンバー全員を紹介できていません。後半はまた後日…。
参照記事:The News & Observer1「Where are the 2005-06 Stanley Cup champion Carolina Hurricanes now?」
🏆2006年の奇跡—ハリケーンズ優勝の軌跡とその後(前編)
20年前(2006年)、カロライナ・ハリケーンズがスタンレーカップを手にした瞬間🏆は、ノースカロライナのトライアングル地域2にホッケー熱を巻き起こしました。このチームに在籍した選手やコーチたちは、いまや世界各地でそれぞれの道を歩んでいます。
ほとんどの選手とコーチは今もホッケーに関わっています。多くは指導者となり、一部は今もローリーに住んでいて、残念ながら1人は亡くなっています。
ここでは、2005–06シーズンのハリケーンズの中心メンバーが優勝チームにどのように貢献したのか、その後ホッケー界で何をしたのか、現在どこで何をしているのかを紹介します。✨
Glen Wesley(No.2)—安定のブルーライン
ベテランのディフェンダー、グレン・ウェズリーはハートフォードからチームと共に移り、いつも通り守備の支柱としてブルーラインを支えました。現役は20シーズン(うち10シーズンをハリケーンズで)プレーし、2008年に引退。
その後はチームのディフェンス育成部門のディレクターを務め、2009年2月には背番号が永久欠番に。現在はセントルイス・ブルースで育成コーチとして選手育成に携わっています。
Aaron Ward(No.4)—体を張る守備の仕事人
主にブレット・ヘディカンと組んでプレーしたアーロン・ワードは、守備を重視しフィジカルを厭わない選手(ディフェンス)でした。レンジャーズやブルーインズでのプレーを経て2009–10シーズンにカロライナへ戻り、その後アナハイムへトレード。
引退後はトライアングル地域に住み、NHLやハリケーンズのOB活動3に積極的に関わっています。
Frantisek Kaberle(No.5)—パワープレーの司令塔
フランティシェク・カベレ(ディフェンス)は素早い判断と巧みなパスで、カロライナのパワープレーをコントロールする司令塔としてすぐに頭角を現しました。チームでさらに3シーズンプレーした後、母国チェコに戻りチェコ・エクストラリーガでプレー。
現在はチェコのマリアーンスケー・ラーズニェ4で、元NHLディフェンダーである兄トーマス・カベレとともに「ホッケーキャンプ・カベレ」を運営・活動しています。
Bret Hedican(No.6)—現代にも合うスムーズなスケーター
滑らかなスケーティングとパックのトランジション能力が光ったヘディカン(ディフェンス)は、試合でも屈指のスムーズなスケーターで、その能力によって、現代のホッケーでも間違いなく活躍できるタイプの選手でした。
ハリケーンズでさらに2シーズンプレーし、2008–09シーズンにアナハイムで最後のNHLシーズンを送り引退。現在はフィギュアスケーターのクリスティ・ヤマグチ5と結婚し、NBCスポーツ・カリフォルニアでホッケーアナリストを務めるほか、アナハイムのAHLアフィリエイトであるサンディエゴ・ガルズで選手育成にも携わっています。🎙️
Niclas Wallin(No.7)—不動のゴール前ディフェンダー
チームメイトから愛された大型スウェーデン人で、ゴール前では動じない存在でした(ディフェンス)。延長戦での得点力を秘めている一方、通常時間(60分)ではそれほど目立たない面もありました。
2006年以降はカロライナでさらに4シーズンプレーし、その後サンノゼで部分的に2シーズン過ごし、2011–12シーズンにスウェーデンで最後のプロシーズンを送って引退しました。現在はスウェーデンに住み、ユースホッケーのコーチをしています。
Matt Cullen(No.8)—俊足の3rdラインセンター⚡
2005–06シーズンでは、爆発力・スピードのある3rdラインの中心として活躍し、新設ルールのシュートアウト6では強力な武器(フォワード)でした。
2006年以降はレンジャーズで1年プレーし、その後カロライナに戻って3シーズン所属。さらにその後は4つのNHLチームでプレーし、2016年と2017年にはピッツバーグでスタンレー杯を獲得しました。
現在はUSホッケーの殿堂入りメンバーとして故郷ミネソタに住んでいます。2025年には母校Moorhead高校を州AAタイトルに導く手助けをし、ノースダコタ州ファーゴに自らの運営するCullen Force Hockey Academyを運営しています。
Justin Williams(No.11)—“大舞台に強い男”
2005–06シーズンのウィリアムズは、多才な両翼フォワードで、ここぞという時に決めてくれる選手でした。その後2009年にロサンゼルス・キングスにトレードされ、2012年と2014年にスタンレーカップを獲得。
さらにワシントン・キャピタルズで2年戦った後、2017年にカロライナへ戻り、さらに3シーズンの一部でプレー。キャプテンも務めました。
現在はハリケーンズGMの特別アドバイザーであり、Sportsnetのスタジオアナリストでも活躍。X(旧Twitter)プロフィールには「still a little kid at heart(心はまだ子ども)」と書かれています😄
Eric Staal(No.12)—新時代のスコアラー🔥
ステール(フォワード)は、NHL2年目にして圧倒的な得点力を発揮しました。スピードと長いリーチを使い、開放的になった新ルール7のゲームで大暴れ。まさに新しい時代のホッケーに最適な存在でした。
その後は2016年にレンジャーズへ移籍し、さらにワイルド、セイバーズ、カナディアンズ、パンサーズと渡り歩きました。2021年にモントリオール、2023年にフロリダで2度スタンレーカップ決勝に進出。そして2024年8月、18シーズンの現役生活に終止符を打ちました。
現在は地元で子どもたちのホッケーを指導しながら、バッファロー・セイバーズGMケヴィン・アダムズ(2006年の優勝メンバー)を支える特別アシスタントとして働いています。
Ray Whitney(No.13)—“魔法の手”を持つプレーメーカー✨
ホイットニーは、決して大柄ではないのに卓越したハンドリング技術で相手を翻弄し、パワープレーの威力を倍加させ、チームに多くのチャンスを作り出した存在でした(フォワード)。いつでも得点の匂いを漂わせる「魔術師(The Wizard)」として有名でした。
その後もハリケーンズで3シーズンプレーし、さらにコヨーテズ、スターズと渡り歩いて2015年1月に引退。引退後はカロライナでスカウトを務め、その経験を基に2022–23シーズンにはチームカナダのアシスタントGMに就任。
さらに現在はNHLプレイヤーセーフティ部門で働き、時にはBarstool Sports8のポッドキャストの共同ホストも務めて活動しています。
Kevyn Adams(No.14)—影の立役者👊
アダムズは究極のロールプレイヤーであり、得点だけでなくフェイスオフの職人としてチームを支えました。第4ラインにいながら攻守に気の利くプレーを見せ、まさに「縁の下の力持ち」的存在でした(フォワード)。
2006年以降はもう1シーズンだけカロライナでプレーし、その後当時のコヨーテス(現:ユタ・マンモス)とブラックホークスでプレー。2007–08シーズンで現役を引退しました。
そして現在は、2020年6月からバッファロー・セイバーズのGMを務めています。それ以前はビジネス部門の上級副社長としてチームに関わっており、フロント業務にも精通した人物です。
ハリケーンズ優勝までの軌跡を追ったテレビ映像。現ハリケーンズ監督も出てきます。
Andrew Ladd(No.16)—新人から頼れる存在へ💪
2005–06シーズンのラッドはルーキーとしてAHLからスタートしながらも、要所で存在感を見せ、プレーオフではラインナップ入りの常連として、しっかり戦力となりました(フォワード)。
その後はカロライナでさらに2シーズンプレーし、2010年にはブラックホークスで再びスタンレーカップを獲得。さらにスラッシャーズ、ジェッツ、アイランダーズ、コヨーテズと渡り歩き、2023年9月に引退しました。
現在は自身の名を冠したLadd Foundation(ラッド財団)9を運営し、2020年から「1616」プロジェクトを立ち上げ、若いホッケー選手のメンタルサポートを行っています。
🏒Rod Brind’Amour(No.17)—2005-06シーズン優勝の象徴的リーダー✨
攻守ともにリーグ最高レベルのプレーを持ち、このシーズンのハリケーンズを精神面で支えたセンター兼キャプテンでした(フォワード)。彼の存在感は、単なるスコア以上にチームの雰囲気や方向性を決める重要な役割を果たしていました。
プレーについては、フォワードとして守備面もしっかりこなせる「二面性」が大きな武器で、リンクの両端で輝きました。さらにリーダーシップグループの中心としてチームをまとめ上げ、優勝への流れを作り出していきます。
その後もハリケーンズで4シーズン戦い続け、2010年6月に現役を引退しました。引退後は、チームにとって新しい立場で力を注ぐことになります。
現在は2018年からハリケーンズのヘッドコーチを務めており、現代のチームにもその精神を受け継がせています。引退後もなお、チームの象徴として存在感を放ち続けている人物です。

Rod Brind’Amourが2006年の優勝メンバーとして、今度は監督として再びカップを狙う訳だにゃ!🔥そのリーダーシップと戦術眼に期待大なんだけど、現代NHLの激戦を勝ち抜けるかどうか。…今シーズンは冬季五輪を控えているせいか、どのチームもそれまでに貯金しておきたい感じ。ハリケーンズファンのワクワクとハラハラが止まらない!⚡
Mark Recchi(No.18)—優勝の鍵を握った職人スナイパー✨
トレードデッドラインで加入したベテラン、マーク・レッキはチームに“違い”をもたらした存在でした(フォワード)。まるで昔のセス・ジャービスのようにゴール前で粘り強く、荒削りながら得点力のあるピンボールみたいに跳ね返りながら得点を重ねる“タフなスコアラー”。その加入が2005-06シーズンのカロライナを一気に勢いづかせました✨
その後もホッケー殿堂入りのレッキのキャリアは輝き続け、ペンギンズ、スラッシャーズ、ライトニング、ブルーインズでプレーし引退。ハリケーンズだけでなく、1991年のペンギンズ、2011年のブルーインズと、3つのチームでスタンレーカップを獲得。勝てるチームにはこの人がいる、そんな“勝利請負人”でした。
引退後はペンギンズで選手育成部門のディレクター、さらにアシスタントコーチも務め、今はWHL(ウェスタンホッケーリーグ)カムループス・ブレイザーズの共同オーナーとしてチーム運営に携わっています。現役時代も、引退後も、深くホッケーに関わり続ける職人肌の人物です。
Mike Commodore(No.22)—個性派だけど頼れるディフェンダー🧔🏻♂️🛡️
2005-06シーズン、マイク・コモドアはその“キャラの濃さ”でも話題になりました。その髪型とバスローブ姿が印象的10で、サイズがあり、タフで、信頼のおけるディフェンスマンでしたが、もちろんそれだけじゃありません。
AHLでのロックアウト時代からスタールと一緒にプレーした経験もあり、プレーオフでもしっかり守備の役割を果たしました💪
ハリケーンズで2シーズンの一部をプレーした後、オタワへトレード。その後ブルージャケッツ、レッドウィングス、ライトニングでプレーし、NHLで存在感を残して引退しています。
引退後は“余生を満喫してる人”という感じで、SNS(X/Twitter)のフォロワー数は15万人以上!投稿もぶっちゃけ自由で、ユーモアと辛口コメントでファンを楽しませています🤣さらに、現在はAxon Canada11のコンサルタントも務め、ホッケー以外の分野でも活躍しています。
スタンレーカップ決勝・第7戦ハイライト映像。対戦相手はエドモントン・オイラーズです。
Andrew Hutchinson(No.24)—必要とあらば頼れる深みのあるディフェンダー🧊
アンドリュー・ハッチンソンはパワープレー強化のために獲得されました(ディフェンス)。派手さはないものの、必要な場面で確実に穴を埋められる、頼れるディフェンダーでした。
その後はハリケーンズでさらに1シーズンプレー。スタースでプレーしたり、ライトニングやペンギンズでも短期的に出場し、経験を積みました。その後はロシアのKHLやスイスリーグでも活躍し、国際的なキャリアを築きました。
現在はアメリカ・ミシガン州アナーバーに拠点を置き、ジュニア世代のホッケー育成に取り組んでいます。Biggby Coffee 15U AAAチームのコーチとして、次世代選手の技術と精神面をサポートしている、影の立役者です。
Erik Cole(No.26)—右ウイングの猛者、速攻と得点力で魅せる🔥
2005-06シーズン、エリック・コールはリーグで最も恐れられたスコアラーの一人で、右ウイングとして活躍しました(フォワード)。スピードでディフェンスを翻弄し、リンクを縦横無尽に駆け回るプレーで相手を圧倒。
しかし3月にはブルックス・オルピックとの接触で首を負傷するというアクシデント12に見舞われます。それでもプレーオフには復帰し、チームに貢献しました。
その後もハリケーンズで2シーズン戦った後、エドモントンにトレード。その後カロライナに戻り、さらに3シーズンのプレーを重ねます。カナディアンズ、スターズでプレーし、2014–15シーズンにレッドウィングスで最後のシーズンを送り、現役を終えました。
2017年にはカロライナと1日契約を結び、引退セレモニーと共にチームアンバサダーに就任しました。
現在は、ペンシルベニア州のEHL所属チーム「Pennsylvania Huntsmen」の特別アドバイザーとして活動し、ジュニアチームのホッケー運営にも関わっています。現役時代の経験を生かして、次世代選手育成に力を注ぐ存在です。
Craig Adams(No.27)—第4ラインのハッスル王💥
2005-06シーズン、クレイグ・アダムズは第4ラインの右ウイングとして、ケヴィン・アダムズやチャド・ラローズとのコンビで果敢にリンクを駆け回りました。地味ながらもチームに必要な“泥臭い仕事”をこなす、信頼できる選手です(フォワード)。
その後はハリケーンズでさらに2シーズンプレー。ブラックホークス、ペンギンズでもプレーし、2009年にはペンギンズで2度目のスタンレーカップを獲得。2014-15シーズンにペンギンズで現役を終えました。
引退後は、ボストンでメリルリンチのファイナンシャルアドバイザー13としてホッケー選手の資産管理を担当。また、同社のウェルスマネジメント部門でも活躍し、現役時代と同じく“縁の下の力持ち”として、選手をサポートする存在です。
まとめ
2006年のハリケーンズ優勝メンバーは、その後もホッケー界や育成、経営の分野で活躍を続けています。選手としての実績はもちろん、コーチやチーム運営、ジュニア育成に携わる姿から、リンク外でも彼らの情熱と影響力が色あせないことがわかります。
まさに一人ひとりの物語が、チームの栄光を今に伝えています。

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!
【註釈】
- アメリカ・ノースカロライナ州ローリーを本拠とする地域日刊紙で、現在ではウェブ版“newsobserver.com”を通じて地元ニュースや調査報道、生活情報などを幅広く発信するメディア。起源は1865年に遡る古い新聞にあり、のちに複数紙の合併を経て1880年代に現在の体制へと発展した。
N&Oが全国的に高く評価されるきっかけのひとつが、1996年に受賞したプルツァー賞ゴールドメダル—東ノースカロライナの商業養豚業が環境と地域経済に与える影響を調査したスクープシリーズで、公衆の福祉に資する報道の名誉を得た。このような調査報道や監視ジャーナリズムへの取り組みで、N&Oはただの地元紙を越えた“社会のチェック機関”としての役割を果たしてきた。
デジタルメディアへの先駆けとしても知られ、1994年には早期にインターネットサービスプロバイダ(ISP)を併設する形で“Nando.net”を立ち上げ、同年にオンライン新聞「Nando Times」を発行。これは米国でも最初期の新聞系インターネットニュースサイトのひとつで、のちに現行のnewsobserver.comへと進化。
今日では、N&Oはノースカロライナ州・特にローリー/ダラム/チャペルヒルを含む「リサーチ・トライアングル地域(The Triangle)」における主要な情報源であり、地域の政治、社会、スポーツ、文化、事件、天気など多様なニュースをカバー。紙媒体だけでなく、ウェブ記事、電子版(e‑Edition)、モバイルアプリといった複数プラットフォームで発信し、地元住民のみならず州内外からもアクセスされている。
ただし、近年は印刷版の購読離れや新聞業界全体の収益構造の変化に伴い、編集部や印刷所の縮小なども経験。それでもデジタル版を通じて調査報道を続け、コミュニティの情報基盤としての重要性を維持している。
↩︎ - アメリカ・ノースカロライナ州の州都Raleigh、学園都市Durham、そしてもうひとつの大学都市Chapel Hillを含む地域一帯を指す。この呼び名は、地域中央にある巨大研究都市Research Triangle Park(RTP)と、3つの名門大学が三角形のように位置していることから1950年代に生まれた。
この地域は、三大学(Duke University/デューク大学、University of North Carolina at Chapel Hill/ノースカロライナ大学チャペルヒル校、North Carolina State University/ノースカロライナ州立大学)を核に、世界水準の研究・教育拠点となっており、バイオテック、IT、ライフサイエンス、クリーンテックなど多様な産業が集積。研究者や技術者、留学生など高度人材を惹きつけ、アメリカ南東部を代表する知的・産業クラスターとして知られている。
また、文化・教育・生活環境も豊かで、芸術施設や医療、飲食、エンタメが充実。「住みやすさ」も評価されており、近年では多くの人々が仕事や学業、移住を目的にこの地を選んでいる。生活コストも、同規模の他都市と比べれば比較的抑えられているという評価がある。
このように、トライアングルは単なる「都市圏」ではなく、学術・ビジネス・暮らしのすべてが融合した、多面的に機能する地域。
↩︎ - 引退した選手たちや元コーチがチームや地域社会とつながり続ける仕組みとして運営されている。例えばAaron Wardのような元選手は、引退後もノースカロライナのトライアングル地域に住み、アルムナイ・プログラムを通じて活動。
具体的には、毎年開催されるHurricanes Alumni Gameで再びリンクに立ち、大学チームとのエキシビションマッチを行ったり、署名会や写真撮影を通してファンとの交流を深めたりしている。また、Carolina Hurricanes Foundationを通じた地域支援活動にも参加し、災害時の救援物資提供などで地域貢献を行うこともある。
このように、OB活動は単なる過去の栄光の象徴にとどまらず、チームの歴史や伝統を次世代に伝え、地域社会との関係を強化する役割を果たしており、元選手たちはホッケー人気の拡大や若手育成に向けて貢献している。
↩︎ - チェコ西部、森と丘に囲まれた谷あいにあるマリアーンスケー・ラーズニェは、19世紀初頭からヨーロッパ屈指の温泉地として発展してきたスパタウン。元は湿地帯だった土地に、多数の鉱泉と豊かな自然を活かして、壮麗なネオクラシック様式やアールヌーヴォー様式の療養館、コロネード(回廊)、パビリオン、公園が次々と建てられた。
この町には自然湧出する鉱泉が街の中心部だけで40以上あり、周辺地域も含めれば100以上にのぼると言われている。水質や効能の異なる多様な温泉が密集する点が特徴で、古くから「飲泉」「泥浴」「炭酸ガス浴」などを利用した自然治療や保養が行われてきた。
また、かつてはヨーロッパ各地の王族や貴族、著名な芸術家・知識人たちもこの地を訪れ、療養や社交を兼ねて滞在。例えば詩人や作曲家、王侯がこの町の鉱泉を訪れ、文化と癒やしを求める貴族的スパ文化を育んできた歴史がある。
2021年には、マリアーンスケー・ラーズニェはその他ヨーロッパの歴史あるスパタウンとともに、UNESCOの世界遺産「Great Spa Towns of Europe(ヨーロッパの偉大なスパ都市群)」に登録。これにより、単なる温泉地としてだけでなく、歴史的建造物、都市景観、文化遺産としての価値も国際的に認められている。
現在も古い療養館や回廊、広大な公園、木々に囲まれた散策路、自然豊かな丘陵地帯などが保存され、訪れる人々に「過去と現在が交錯する静かな癒やしの街」の雰囲気を伝えている。紅茶のような炭酸泉に浸かりながら街歩きを楽しむ――そんな体験が味わえる独特の空間が、今なおマリアーンスケー・ラーズニェにはある。
↩︎ - 1992年アルベールビル冬季五輪で女子シングル金メダルを獲得し、1991年および1992年には世界選手権も制したアメリカの伝説的フィギュアスケーター。彼女はペアスケートで競技を始めたが、後にシングルに転向し、その技術と表現力で頂点に立った。
現役引退後も、ヤマグチはアイスショーで活躍を続けただけでなく、社会活動や文化的な影響力でも注目を浴びている。1996年には子どもたちの教育支援などを目的とした慈善団体Always Dream Foundationを設立し、読み書き支援やアフタースクール活動を通じて、恵まれない子どもたちの夢を後押ししてきた。また、子ども向けの絵本を執筆するなど、アスリートの枠を超えた活躍も見せている。
さらに、ヤマグチは人種や文化の多様性の象徴でもある。日系アメリカ人として冬季五輪女子シングルで金メダルを獲得した初の女性であり、アジア系アメリカ人アスリートのロールモデルとして、多くの若い世代に希望と誇りを与え続けている。
↩︎ - 2005‑06シーズンからNHLは通常の引き分け(タイ)を廃止し、レギュラーシーズンの試合で勝敗を決める“シュートアウト制度”を導入。具体的には、通常のピリオド(3ピリオド+延長5分)で勝敗が決まらなければ、各チームがあらかじめ選んだ3人のシューターがゴール前で1対1の形でシュートを行い、合計3本ずつの対決で勝者を決める。もし3本ずつ打っても決着がつかない場合は“サドンデス方式”に移行し、どちらかがゴールを決めるまで続けられる。
この導入は、2004–05シーズンのロックアウト後、得点の減少や防御重視のゲームが続いていたNHLが「よりエキサイティングで決着のある試合」を求めた結果の大きなルール変更の一環。シュートアウトの導入により、ファンは試合終了後も勝敗の行方に期待でき、ゴールデンタイムにひときわ盛り上がるドラマ性が生まれた。
しかし賛否はあって、支持者からは「緊張感」「娯楽性」「勝敗の明確さ」を評価される一方で、「ホッケーはチームスポーツなのに、勝敗を個人技1対1の勝負で決めるのはフェアじゃない」「65分にわたるチーム戦を無視している」「運の要素が強すぎる」という批判もある。
↩︎ - 2005–06シーズンに導入された一連のルール変更を指す。これらの改正は、ロックアウト後のNHLが試合をよりスピーディーかつ得点の多いものにすることを目的に行われた。
具体的には、オフサイドやアイシングの判定がより厳格化され、攻撃側チームに有利な判定が増えたこと、ペナルティ後のパワープレーにおいて守備側が制約を受ける「パワープレーの簡略化」が行われたこと、そしてゴールを守るゴーリーの装備規制が緩和され、シュートチャンスが増えたことなどがある。また、試合中のクリアリングやチェックに関する制限も調整され、選手間のスペースが広がるようになった。
これらの改正により、試合は従来よりも速い展開になり、スピードとテクニックを生かせる選手が活躍しやすい環境が整った。エリック・ステールのような俊敏でリーチの長い選手は、この新ルール下で広いスペースを使って攻撃でき、得点力を最大限に発揮することができたわけである。
↩︎ - 2003年にデイヴィッド・ポートノーによって創設された米国発のデジタルメディア企業で、主にスポーツ関連のニュース、分析、コメンタリー、ユーモアコンテンツを提供。もともとは印刷物のニュースレターとして始まったが、インターネットとソーシャルメディアの普及に伴い、ウェブサイトやポッドキャスト、動画配信など多様なプラットフォームへと拡大。
特徴として、従来のスポーツメディアが重視する分析や統計情報に加え、ユーモアやライフスタイル、ファン目線の鋭い切り口を取り入れている点が挙げられる。特にポッドキャストは人気で、「Pardon My Take」をはじめとする番組は米国内で高いリスナー数を誇り、スポーツファンの間で文化的影響力も大きくなっている。また、SNSでの発信力も強く、TwitterやInstagramを通じてニュース速報やユーモア記事を拡散する戦略を取っている。
経済面では、広告収入と有料コンテンツ、スポンサーシップを組み合わせるビジネスモデルを採用しており、2016年に米大手メディア企業が株式の一部を取得するなど資本面でも注目された。スポーツの枠に留まらず、文化やエンターテインメントの情報発信基地としても機能しており、若年層を中心に幅広いファン層を獲得。
↩︎ - 元NHL選手のAndrew Laddが2020年に設立した非営利団体で、主に若年層のアイスホッケー選手のメンタルヘルスやウェルビーイング(心身の健康)を支援することを目的とする。団体の活動は、選手やその家族が抱えるストレスやプレッシャーに対する理解を深め、心理的なサポートを提供することに重点を置く。
特に注目される取り組みが「1616イニシアティブ」と呼ばれるプログラムで、若いホッケー選手たちが試合や練習での失敗や成功に過剰に悩まされず、健全な心で競技に取り組めるよう支援する内容になっている。このイニシアティブでは、心理教育やメンタルコーチング、オンラインや現地でのワークショップを通じて、選手の自己肯定感やチームワークの向上を促進。
また、Ladd Foundationは地域社会やホッケーコミュニティとの連携も重視しており、地元クラブや学校との協力で、子どもたちやティーンエイジャーにメンタルヘルスの重要性を伝える活動も展開。これにより、単なるスポーツ支援に留まらず、心身の健全な成長を包括的にサポートする仕組みを構築している。
↩︎ - Mike Commodoreは、NHLでプレーしていた頃から“ユニークな風貌と独特の振る舞い”で注目を集めた選手だった。特に2006年のプレーオフ中、彼は赤く膨らんだアフロヘアや前髪なしの坊主頭、そしてリンクの試合前ウォームアップや練習前に真っ白なバスローブを羽織ってリンクに入る姿を見せ、大きな話題に。
このヘアスタイルとバスローブ姿は、プレーの荒々しさやフィジカルなタフネスとは対照的な“キャラの濃さ”としてファンの記憶に残り、試合後や引退後でも彼のアイコン的なイメージとなった。実際、当時のファンは「白いローブを着た大男」として彼を覚えており、バスローブ姿の真似をするファンもいたほどだったという。
また、コモドアは髪の毛やルックスを自身のアイデンティティとして受け入れており、一時はチャリティ目的で頭を坊主にするイベントを自ら企画するほどだった。2006年のホワイトハウス訪問時、当時の大統領から「スタンレーカップとお前の髪、どっちがきれいか分からない」というジョークが飛ぶほど、その見た目は注目の的だった。
↩︎ - グローバルな公共安全テクノロジー企業Axonのカナダ法人で、警察や公共安全機関に対して「ボディカメラ」「クラウド証拠管理ソフト」「非致死性エネルギー兵器」「ドローン/リアルタイム状況把握システム」など、安全確保と証拠保全を目的とした総合ソリューションを提供。
近年では、カナダ全土で導入が進んでおり、たとえば2021年にはオンタリオ州の州警察や複数の市警察がAxonのクラウド型証拠管理システム「Axon Evidence」を採用するなど、捜査の透明性と効率化を目指した取り組みが実施されている。
さらに2024年には、カナダの国家警察機関であるRoyal Canadian Mounted Police(RCMP)向けに、最新のボディカメラ「Axon Body 4」と証拠管理システムを提供する契約を獲得。これにより、同国の広範な地域で同社のソリューションが標準化される見込み。
Axon Canadaの事業は単なる機器の提供にとどまらず、「身体装着カメラ+クラウド管理+証拠共有」のエコシステムを通じて、警察活動の透明性・効率性・安全性の向上を目指す先端公共安全インフラを構築すること。このため、法執行機関だけでなく司法、救急、消防、地方自治体など幅広い分野で導入が進んでおり、社会の安全・信頼を支えるバックボーンとして機能。
↩︎ - 2006年3月4日、ハリケーンズ対ペンギンズ戦で、エリック・コールは相手ディフェンダー、ブルックス・オーピックとの接触で首の椎骨を骨折する重傷を負った。ボード際での激しいヒットによって頭部が強くぶつかり、脊髄損傷のリスクも懸念されるほど深刻な状況。
コールは麻痺の兆候も経験したが、医療陣の慎重な対応のもと、約11週間後にはプレーオフに復帰。この復帰はチームに精神的な大きな後押しとなり、優勝へのムードを高めた。しかし、この首の負傷はその後もコールのキャリアに影を落とし、慎重なプレースタイルを余儀なくされる一因となる。
この事故と復帰劇は、2006年の優勝に至る過程における重要なドラマとして位置づけられる。
↩︎ - Merrill Lynchはもともとアメリカを代表する投資銀行のひとつだったが、現在はBank of America傘下で、主に富裕層への資産運用・管理サービス(ウェルスマネジメント)を提供する大手金融機関として機能。
アドバイザーは、家族構成、収入、将来設計など顧客ごとに異なる“資産と人生設計”を総合的に把握し、投資戦略・貯蓄・税務・相続などを含めた「オーダーメイドの資産管理プラン」を設計・提供するのが主な役割。
近年、同社はスポーツ選手やエンターテインメント関係者など、収入が不定でキャリア期間が短くなりがちな顧客に特化した「Sports & Entertainmentグループ」を設置。このチームは、選手の収入性向、不安定な契約形態、キャリア後の生活設計など、一般の顧客とは異なる複雑な事情を理解し、個別対応を行うための専門家集団である。
こうした背景のため、元NHL選手のように「プロスポーツ選手→引退→財産・将来設計」というライフステージの移行期にある人にとって、Merrillのアドバイザー制度は自然な受け皿となる。アドバイザーは単純な投資助言だけでなく、収入の変動、年金・退職後の収入設計、税金や家族の保障、資産運用・管理、相続・引退後のライフプラン調整など包括的に支援するわけである。
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