40歳オベチキンが達成する1,500試合出場と偉大な記録

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はじめに

 NHLの歴史に名を刻むワシントン・キャピタルズのアレックス・オベチキンが、1,500試合出場という大記録に挑みます✨通算最多ゴール保持者として知られる40歳のレジェンドは、今も変わらぬ情熱でリンクに立ち、チームを引っ張り続けています😊。

 本記事では、オベチキンの偉大なキャリアと記録、そして日々の努力に迫ります🏒

参照記事:NHL公式サイト「Ovechkin’s 1,500th NHL game with Capitals ‘testament to how bad he wants it’

🏒アレックス・オベチキン、1,500試合出場へ!ワシントンの英雄が刻む新たな伝説

 ワシントン・キャピタルズのアレックス・オベチキンが、また一つ大きな節目を迎えようとしています✨

 現地時間の10月25日・土曜日(日本時間:10月26日・日曜日、午前9時)、キャピタル・ワン・アリーナで行われるオタワ・セネターズ戦で、彼はNHL通算1,500試合出場を果たす予定です。しかもそのすべてをキャピタルズ一筋で積み重ねてきたのです🏒。

 オベチキンは現在、NHL史上初の900ゴールという前人未到の大記録に挑戦する旅の途中。前日のコロンバス・ブルージャケッツ戦で通算899ゴール目を決め、チームを5-1の勝利へ導いたばかりです🔥

 40歳を迎えた左ウイングのオベチキンは、昨シーズン、すでにウェイン・グレツキー(通算894ゴール)を抜き、NHL通算最多ゴール記録保持者となっています😊。そんな彼が今回、1チームで1,500試合出場を達成するのは、リーグ史上わずか8人目の偉業となります😊。

 「とてもクールだよ。僕や家族にとって本当に特別な瞬間だね」とオベチキンは笑顔で語りました。「同じチームでこれだけ多くの試合をプレーできるなんて、とても幸運なことだと思う」。

 彼の名前は、デトロイト・レッドウィングスのゴーディ・ハウ(1,687試合)や、サンノゼ・シャークスのパトリック・マルロー(1,607試合)、デトロイトのニクラス・リドストロム(1,564試合)、同じくアレックス・デルヴェッキオ(1,550試合)など、伝説の選手たち1と並ぶことになります。

 ウィニペグ・ジェッツ/フェニックス、アリゾナ・コヨーテズのシェーン・ドーン(1,540試合)、ボストン・ブルーインズのレイ・ボーク(1,518試合)、デトロイトのスティーブ・アイザーマン(1,514試合)に次ぐ、同一チームで1,500試合に到達する選手となります。

 2004年ドラフトで全体1位指名を受けてから20年以上、オベチキンはキャピタルズ一筋でプレーしてきたことを誇りに思っています。

 オベチキンはキャピタルズの象徴として、ワシントンの街にホッケー文化を根づかせた存在です。そして彼は、MLBのワシントン・セネターズで1907年から1927年までプレーした名投手ウォルター・ジョンソン2と並び、ワシントンのスポーツチームで21シーズン目を迎える唯一の選手でもあります。

1500試合出場に向けて、チームによるオベチキン・トリビュート映像です。ドラフトで指名された時、懐かしい。

💬「1,500試合は特別な数字」キャリア終盤に見せる変わらぬ情熱

 「本当に特別だよ😊」とオベチキンは語ります。「リーグに入った時は、できるだけ多くの試合に出たいと思っていた。でも1,500試合というのは本当に大きな数字だね💬」。

 現在、5年総額4,750万ドル(約72億6千万円)の契約の最終年を迎えているオベチキン。このシーズンが現役最後になるかどうかは、まだ決めていません。「今シーズンがどうなるか見てから決める」と話しており、どこまでプレーを続けるのかは未知数です。

 それでも彼は、2005年10月5日にブルージャケッツ戦でNHLデビューを果たし、その試合で2ゴールを決めたあの日から変わらず、同じ情熱と笑顔でリンクに立ち続けています😊。

 キャピタルズのスペンサー・カーベリー監督は、そんな彼をこう称えます。

 「彼は毎日、ゲームへの愛情と情熱、そしてチームメイトへの思いやりを抱きながら目を覚ますんだ。チームメイトと一緒にリンクへ行き、ロッカールームで過ごす時間を楽しんでいる。20年という長い時間、毎日それを続けている。その姿勢がまったく変わらないんだ。‘今日は気分が乗らない’なんて日は彼にはないんだよ」。

 そして監督は、「リーグに入ったばかりの頃と同じくらい、今でも彼はゲームを愛している」と語りました。

 その情熱ゆえに、対戦相手ですらオベチキンの現役続行を願い、敬意を抱いています。ミネソタ・ワイルドのフォワード、キリル・カプリゾフは次のようにコメントしました。

 「もし彼が健康で、毎日リンクでプレーすることを楽しんでいるなら、まだまだ続けられると思う。決めるのは本人だけど、僕たちはできるだけ長く彼を見ていたいね」。

 一方で、オベチキン自身も21シーズンの年月が体に与えた影響を感じていると明かしています。年齢を重ねる中で、プレースタイルやトレーニング方法にも少しずつ変化を加えてきたそうです。

💪年齢を重ねても進化するフィジカルと自己管理

 オベチキンはNHLの通算最多ゴール記録保持者であるだけでなく、キャピタルズのキャプテンとして通算3,760回のヒットを記録し、リーグ歴代3位3に名を連ねています😊(2005年以降の記録開始以来)。

 しかし近年は以前よりフィジカルプレーを抑える傾向にあり、選択的に当たりに行くスタイルに変化しています💪。昨シーズンの「60分あたりのヒット数」は5.72で、キャリア2番目に低い数字でした(最も少なかったのは2017-18シーズンの5.04)。

 オベチキンはまた、周囲の若い選手たちに合わせて、トレーニング方法も見直してきたといいます。昨シーズンは左足の骨折で16試合を欠場4したものの、それでも44ゴールでリーグ3位タイという驚異的な成績を残しました。

 「時には少し調整が必要になんだ。特に夏のトレーニングではね。でも長い間、健康を保ちつつ高いレベルでプレーできたのは本当に幸運だと思うよ😊」。

 オベチキンがこれほど長期間、ほとんどケガなくプレーできたことは驚異的で、まさに彼の代名詞です。キャリアを通じて、ケガで欠場した試合はわずか51試合、通算で休んだ試合数を含めても76試合にとどまります。

 過去に1,500試合以上出場した23人の選手のうち、オベチキンより欠場が少なかったのはわずか7人だけ5

 NHLの統計によると、その顔ぶれはラリー・マーフィー(29試合欠場)、パトリック・マルロー(31試合)、ニクラス・リドストロム(32試合)、ライアン・スーター(41試合)、ゴーディ・ハウ(42試合)、ジャローム・イギンラ(43試合)、スコット・スティーブンス(74試合)です。

 チームメイトのトム・ウィルソンは、オベチキンをこう称えています。

 「彼はまるで“マシーン”だね。新人の頃からプレースタイルの基礎が全く変わっていない。彼は信じられないほど強靭で、毎日その力を維持しているんだ。昨季、脚を骨折しても44ゴールを決めたなんて、誰も予想していなかった。それだけ、彼がどれほど強い意志でホッケーに取り組んでいるかを物語っているよ」。

讃岐猫
讃岐猫

🏆キャリアの集大成──戦い続けるキャプテンOvi

 昨季、オベチキンがケガで欠場した16試合は、キャリアで最も長い離脱期間でした。それまでは、6試合以上連続で欠場したことが一度もなかったのです。ただし、それは必ずしも常に万全の状態だったという意味ではありません。

 しかし、1,500試合出場もの大記録に到達するには、痛みや違和感を抱えながらもプレーを続ける覚悟が必要です。

 キャピタルズで17シーズンともに戦ってきたジョン・カールソンは、こう語ります。

 「長いシーズンを重ねれば、誰だって痛みを抱えるようになる。それでもこれだけ多くの試合をこなしたら、どこかで体がボロボロになってるのは当然さ。でも、戦うしかない。彼は戦士だよ。チームのために何年も体を張ってきた。それこそが、俺たちのキャプテンの証なんだ🏆」。

 そしてその姿勢こそが、オベチキンが引退を決めるその日まで語り継がれる「遺産」の一部になるでしょう。彼はすでに数々の記録を打ち立てています😊。

 彼は通算パワープレーゴール(326)、決勝ゴール(137)、延長戦ゴール(27)でいずれもNHL歴代1位。さらに通算得点1,630ポイントで、あと12ポイントでジョー・サキック(1,641)を抜き、歴代トップ10入りが見えてきました😊。

 キャピタルズ史上でも、試合数・ゴール数・ポイント数すべてでチームで最多記録保持者。アシスト数でも731で、ニクラス・バックストロム(762)に次ぐ2位です。

 もちろん、彼は2018年にチームを悲願の初スタンレーカップ優勝へ導き、プレーオフ24試合で15ゴールを挙げて大会最多得点者となりました✨

 チームメイトのトム・ウィルソンは、オベチキンの存在、偉大さについてこう語ります。

 「彼がこのチームにもたらした影響は、言葉では言い表せないよ。彼の存在は、これからも永遠にここに残り続けると思う。彼と同じユニフォームを着て戦えるのは本当に光栄だ。どんな夜も僕らを引っ張ってくれる彼の姿に、いつも驚かされ、尊敬しているんだ✨🎉」。

本日、10月26日に行われたセネターズ戦のハイライト映像。オビーは記録達成!でも、「どうしたの、キャピタルズ?」って言いたくなる試合内容。

まとめ

 オベチキンは、記録と実績だけでなく、20年以上にわたり毎日全力でプレーし続ける姿勢でもファンやチームメイトを魅了しています💪

 ケガや年齢を乗り越え、1,500試合出場やスタンレーカップ制覇、数々の得点記録を達成した彼の努力と情熱は、ホッケー界に永遠に刻まれるでしょう🏆これからも彼の挑戦から目が離せません😊。

讃岐猫
讃岐猫

【註釈】

  1. Gordie Howe(ゴーディ・ハウ)
     「ミスター・ホッケー」として知られるゴーディ・ハウは、NHLのレジェンドであり、デトロイト・レッドウィングス一筋で1,687試合に出場。彼のキャリアは、23度のオールスター選出、4度のスタンレーカップ制覇、そして1,767試合という長寿命を誇る。ハウは、NHL史上最も偉大な選手の一人として、今なお多くのファンに愛されている。

    Patrick Marleau(パトリック・マルロー)
     カナダ出身のパトリック・マルローは、1,607試合という出場試合数を誇る。1997年のドラフトでサンノゼ・シャークスに2位指名され、以降そのほとんどのキャリアを同チームで過ごした。マルローは、シャークスの歴代最多得点、アシスト、出場試合数を記録し、チームの象徴的存在となった。

    Nicklas Lidström(ニクラス・リンドストロム)
     スウェーデン出身のディフェンスマン、ニクラス・リンドストロムは、デトロイト・レッドウィングスで20シーズンを過ごし、1,564試合に出場。彼は、8度の最優秀ディフェンスマン賞を受賞し、4度のスタンレーカップ制覇に貢献。リンドストロムは、冷静なプレースタイルと卓越した守備力で知られている。

    Alex Delvecchio(アレックス・デルヴェッキオ)
     アレックス・デルヴェッキオは、デトロイト・レッドウィングスで24シーズンを過ごし、1,550試合に出場した。彼は、1950年代の「プロダクションライン」の一員として知られ、3度のスタンレーカップ制覇に貢献。デルヴェッキオは、13度のオールスター選出を果たし、12シーズンにわたりキャプテンを務めた。

    Shane Doan(シェーン・ドーン)
     カナダ出身のシェーン・ドーンは、ウィニペグ・ジェッツおよびフェニックス・コヨーテズで20シーズンを過ごし、1,540試合に出場。彼は、コヨーテズのフランチャイズ最多得点、アシスト、出場試合数を記録し、チームの顔として長年活躍した。ドーンは、リーダーシップと献身的なプレースタイルで知られている。

    Ray Bourque(レイ・ボーク)
     カナダ出身のディフェンスマン、レイ・ボークは、ボストン・ブルーインズおよびコロラド・アバランチで21シーズンを過ごし、1,612試合に出場(ブルーインズでは1,518試合)。彼は、1,579ポイントというディフェンスマンとしては最多の通算ポイントを記録し、スタンレーカップを1度制覇した。ボークは、攻守にわたるバランスの取れたプレースタイルで知られている。

    Steve Yzerman(スティーブ・アイザーマン)
     カナダ出身のスティーブ・アイザーマンは、デトロイト・レッドウィングスで20シーズンを過ごし、1,514試合に出場。彼は、19シーズンにわたりキャプテンを務め、3度のスタンレーカップ制覇に貢献した。アイザーマンは、リーダーシップと勝負強さで知られ、引退後はチームのゼネラルマネージャーとしても成功を収めている。
    ↩︎
  2. Walter Perry Johnsonは、1887年11月6日にカンザス州ハンボルトで生まれ、1946年12月10日にワシントンD.C.で亡くなったアメリカのプロ野球選手であり、メジャーリーグベースボール(MLB)のワシントン・セネターズで1907年から1927年までプレーした。

     彼の投球スタイルは、強力な速球で知られ、ニックネーム「ビッグ・トレイン(Big Train)」で親しまれました。ジョンソンは、通算417勝、3,508奪三振、2.17の防御率を記録し、特に110回の完封勝利はMLB記録として長らく保持されていた。

     また、1913年、1918年、1924年にはアメリカンリーグの三冠王に輝き、1924年にはワールドシリーズ制覇にも貢献。

     1936年には最初の殿堂入り選手として野球殿堂に選出され、その後もワシントン・セネターズの監督やクリーブランド・インディアンスの監督を務めた。彼の21年間にわたるセネターズ一筋のプレーは、アレックス・オベチキンがワシントン・キャピタルズで21シーズン目を迎える際の歴史的な背景としても言及されている。
    ↩︎
  3. オベチキンより上位の選手は、カル・クラターバックとマット・マーティンである。クラターバックは、1,064試合に出場し、4,029回のヒットを記録しており、NHL史上最多のヒット数を誇る。マーティンは、987試合で3,936回のヒットを記録し、2位。

     クラターバックは、2006年のNHLドラフトでミネソタ・ワイルドから3巡目で指名され、2007年から2013年まで同チームでプレー。その後、2013年のNHLドラフトでワイルドからアイランダーズにトレードされ、2025年4月に引退するまでアイランダーズでプレーした。

     マット・マーティンは、2008年のNHLドラフトでアイランダーズから5巡目で指名され、2009年にNHLデビュー。2016年から2018年までトロント・メープルリーフスでプレーした後、再びアイランダーズに戻り、2025年6月に引退を発表。引退後はアイランダーズのフロントオフィスで特別補佐として活動している。

     両選手は、アイランダーズの「アイデンティティ・ライン」として知られるラインで共にプレーし、チームのアイデンティティとスタイルを体現した。
    ↩︎
  4. オベチキンは、2024年10月18日のユタ・ホッケークラブ戦で左腓骨を骨折し、約6週間の離脱を余儀なくされた。このケガは、NHLキャリアで最も長い欠場となった。

     それでも、オベチキンは復帰後も変わらぬ情熱とエネルギーでプレーを続け、2024-25シーズンには44ゴールを記録し、通算ゴール数でウェイン・グレツキーを上回る895ゴールを達成した。

     オベチキンのケガ歴は、長いキャリアの中で数回の大きな負傷を含むが、全体としては非常に少ない欠場日数で済んでいる。これまでのキャリアで欠場した試合数は通算61試合(集計方法の違いで51試合、76試合と報道している場合もあり)であり、そのうち37試合がケガによるもの。

     また、2020-21シーズンには新型コロナウイルスの影響で11試合を欠場したが、それ以外のシーズンでは比較的健康を維持している。
    ↩︎
  5. Larry Murphy(ラリー・マーフィー)
     カナダ・オンタリオ州スカーバラ出身のマーフィーは、1980年のNHLドラフトでロサンゼルス・キングスから1巡目4位で指名され、21シーズンにわたり6チームでプレーしたディフェンスマン。通算1,615試合に出場し、288ゴール、929アシストを記録。

     特に、ルーキーシーズンには76ポイント(60アシスト)を記録し、ディフェンスマンとしてのルーキーポイント記録を樹立した。また、ピッツバーグ・ペンギンズとデトロイト・レッドウィングスで2度ずつ、計4度のスタンレーカップ優勝。2004年にはホッケー殿堂入り。

    Ryan Suter(ライアン・スーター)
     アメリカ・ウィスコンシン州マディソン出身のスーターは、2003年のNHLドラフトでナッシュビル・プレデターズから1巡目7位で指名され、ディフェンスマンとして活躍。2025年時点で、通算1,500試合以上の出場を果たし、107ゴール、589アシスト、696ポイントを記録している。

     また、4度のNHLオールスターゲームに出場し、アメリカ人選手としては3人目となる1,500試合出場を達成。2025年にはセントルイス・ブルースに所属していたが、現在はフリー。

    Jarome Iginla(ジャローム・イギンラ)
     カナダ・アルバータ州エドモントン出身のイギンラは、1995年のNHLドラフトでダラス・スターズから11位で指名され、カナダ代表としても活躍した右ウィング。カルガリー・フレームスを中心に、ピッツバーグ・ペンギンズ、ボストン・ブルーインズ、コロラド・アバランチ、ロサンゼルス・キングスでプレー。

     通算1,554試合に出場し、625ゴール、675アシスト、1,300ポイントを記録。2020年にホッケー殿堂入り。また、カナダ代表としても国際舞台で活躍し、五輪金メダルを獲得。

    Scott Stevens(スコット・スティーブンス)
     カナダ・ブリティッシュコロンビア州出身のスティーヴンスは、1982年のNHLドラフトで第1巡5位で指名され、ニュージャージー・デビルスでキャリアの大半を過ごしたディフェンスマン。通算1,635試合に出場し、196ゴール、712アシスト、908ポイントを記録。

     特に、強烈なボディーチェックで知られ、1995年にはプレーオフMVPを受賞。2007年にホッケー殿堂入り。また、3度のスタンレーカップ優勝を経験し、カナダ代表としても国際大会で活躍。 ↩︎
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