はじめに
2025年のホッケー殿堂入りメンバーが発表されました!スタンレーカップ制覇や五輪金メダル、世界選手権の栄光を手にした名選手たちが、その偉業をたたえられました。中にはNHL初のソ連からの亡命選手や、女子ホッケー界のパイオニアも。彼らの言葉には、家族や仲間への深い感謝が込められています。
ホッケーの殿堂入りの皆さん、本当におめでとうございます!
参照記事:NHL公式サイト「 Chara, Thornton, Keith, Mogilny among 8 elected to Hockey Hall of Fame」
🏆 2025年のホッケー殿堂入り、選ばれた8人の栄光✨
2025年6月24日・火曜日、ホッケーの殿堂1に新たな8人のレジェンドたちが名を連ねました🏒!
選ばれたのはズデノ・チャラ、ジョー・ソーントン、ダンカン・キース、アレクサンドル・モギルニーの4人の男子選手。そして、カナダ女子代表のジェニファー・ボッテリル、アメリカ女子代表のブリアナ・デッカーの2人の女子選手。
さらに功労者部門からは元ボストン大学のヘッドコーチ、ジャック・パーカーとカナダ女子代表の元監督・GM・コーチングコンサルタントとして活躍した、ダニエル・ソヴァジョーが殿堂入りしました🎉
チャラ、キース、ソーントンの3人は今回が初の殿堂入り資格年度での快挙。どの顔ぶれもホッケー界で輝かしいキャリアを築いた名選手・名指導者ばかりです。
ホッケーの殿堂入りには、選考委員会2の75%以上の票を獲得する必要があり(最低でも10票の賛成)、1年に殿堂入りできるのは、引退した男子選手が最大4人、女子選手が最大2人、そして「功労者部門」から2人(または功労者1人+審判1人)までと定められています。
🛡️ ズデノ・チャラ、ディフェンス界の巨人
ズデノ・チャラは、1997年から2022年まで25年間にわたってNHLでプレーし(ニューヨーク・アイランダーズ、オタワ・セネターズ、ボストン・ブルーインズ、ワシントン・キャピタルズ)、通算1,680試合に出場。その数はディフェンスマンとしては歴代最多、全選手中でも3位という驚異的な記録です。
合計680ポイント(209ゴール、471アシスト)を記録し、1試合あたりの平均出場時間は23分33秒というまさに鉄人プレーヤー!2011年にはボストン・ブルーインズでスタンレーカップを制覇。2008-09シーズンには最優秀ディフェンスマンに贈られるノリス・トロフィーを受賞し、さらに6回もファイナリストに選ばれた実力者です💪
ブルーインズのオーナー、ジェレミー・ジェイコブスも「“ジー”(チャラの愛称)は、あらゆる面で素晴らしい人間だ。その体格とスキルだけでなく、思慮深さと周囲からの尊敬も兼ね備えている。初年度での選出も当然。彼は本当に特別な存在で、ブルーインズが彼と出会い、カップを共に掲げられたのは幸運だったよ」と絶賛。まさに文句なしの殿堂入りでした✨
🎯 ジョー・ソーントン、得点と存在感で魅了した男
ジョー・ソーントンは、ブルーインズ、シャークス、メープルリーフス、パンサーズの4チームで活躍し、通算1,714試合に出場。1,539ポイント(430ゴール、1,109アシスト)という圧倒的な成績を残しています🔥
1,500ポイント以上を記録したのは、NHLの長い歴史の中でもわずか16人。その中でも、出場試合数は歴代6位に名を連ねています🎯。2005-06シーズンには、ハート・トロフィー(リーグMVP)とアート・ロス・トロフィー(得点王)をダブル受賞。そのシーズンは125ポイント(29ゴール、96アシスト)というハイスコアでした!
また、カナダ代表としても輝かしく、2010年バンクーバー五輪の金メダルをはじめ、2004・2016年のワールドカップ・オブ・ホッケー3、1997年の世界ジュニアでも優勝。まさに“世界が認めた男”ですね🇨🇦✨
「なんてことだ、この栄誉を受けるなんて信じられない!」、そう語ったソーントン。彼は、チームメイトや支えてくれた多くの人たちへの感謝の気持ちを熱く語りました。「本当に多くの人に感謝しなければならない。というのも、これは決して自分ひとりでは成し得なかったことだからね」。
ブラックホークス黄金時代を支えた男、ダンカン・キース✨
また、シカゴ・ブラックホークスで長く活躍したキースも登場。彼はスタンレーカップ優勝3回(2010、2013、2015)、2015年にはスタンレーカップ・プレーオフの最優秀選手に贈られるコーン・スマイス・トロフィーを受賞しました。
また、2017年に開催されたNHL創設100周年の記念イベントでは、リーグ史上最高の100選手4の1人にも選出されていて、まさに伝説のディフェンスマンです。彼は2005年から2022年まで、ブラックホークスとエドモントン・オイラーズでプレーし、レギュラーシーズンで通算1256試合に出場、106ゴール・540アシスト・合計646ポイントを記録しました。
プレーオフでは151試合に出場し、19ゴール・72アシスト・計91ポイントをマーク。レギュラーシーズンの平均アイスタイムは24分41秒、プレーオフでは27分07秒でした。キースは2009-10シーズンと2013-14シーズンにノリス・トロフィー(最優秀ディフェンスマン)を受賞。また、2010年バンクーバー五輪と2014年ソチ五輪ではカナダ代表として金メダルも獲得しています。
キースは「殿堂入りのことなんて、引退してから初めて頭に浮かんだことだったよ」と話し、「というのも、人々がそういう質問をしてきて、自分が選ばれるだろうって言ってくれたからなんだ。でも現役中は、常に与えられた役割を果たし、チームのためにベストを尽くすことだけに集中していた。
でも、年齢を重ねるにつれて、いつか認められるような位置に自分を置けたらいいな、と思うようになった。とはいえ、それはプレーを終えるまでは本当に考えたこともなかったよ」と語りました。
このような偉業を成し遂げた選手たちの言葉には、ホッケー愛と仲間への感謝が溢れていて、胸が熱くなりますね🔥
NHL史に名を刻んだモギルニーの軌跡🏒
モギルニーは1989年10月5日にバッファロー・セイバーズでデビューした際、ソビエト連邦から亡命5し、NHL史上初めて亡命によってリーグに参戦として名を刻んだ選手です。その勇気ある一歩は、今も語り継がれています。
彼はバッファロー・セイバーズをはじめ、数々のチーム(バンクーバー・カナックス、ニュージャージー・デビルズ、トロント・メープルリーフス)で活躍し、通算1000ポイント超えの成績を残しました(通算990試合で473ゴール・559アシスト・合計1032ポイント)。1992-93シーズンには、バッファローでキャリア最多の驚異の76ゴールをマーク!
さらに、1999-2000シーズンにはニュージャージー・デビルズでスタンレーカップ制覇。1988年カルガリー五輪と1989年世界選手権では、ソ連代表として金メダルも獲得し、IIHFのトリプルゴールドクラブ6入りを果たしています🏅
モギルニーは、栄誉を受けて「この素晴らしい組織の一員になれたことを嬉しく思う。この栄誉を得るにあたって支えてくれたロシアとNHLのチームメイトたちに感謝したい」と語り、チームメイトへの感謝も忘れませんでした。

今回選出されたNHLのOB選手は、みんな一時代を築いた選手ばかりで、誰も異論を唱えたりしないにゃ。遠い昔になりつつあるブラックホークスの黄金時代を支えたダンカン・キースのプレーは、まさに「これぞディフェンスマン!」。個性的だったソーントン、プレーも一級品だった。ああ、NHL名選手を集めたムック本とか出ないかなぁ…。
憧れの存在、キースが語るモギルニーの速さ✨
キースは「彼のプレーを見て育った。バンクーバー・カナックスの試合を観に行って、彼がどれだけ速かったか、あの驚異的なスピードを今でも覚えている。僕はスタンドの一番上の席に座っていたけど、それでも彼のスピードとスキルは際立っていた」と振り返ります。
「テレビで見るのと実際に見るのとでは全然違う。生で見ると、まったく別次元だったよ。彼と一緒に殿堂入りできるなんて本当に光栄なことさ。たぶん彼も、ようやく殿堂入りできて嬉しいんじゃないかな。彼と一緒に殿堂に入れるなんて、本当に特別なことだ」😊
トップ・スピードに乗ったままで、相手をヒラリとかわし、それでもパックがスティックから大きくズレていない!1人で攻撃できるのは大きい。
女子ホッケー界のスター、ボッテリルの輝かしい実績🏅
ボッテリルはカナダ代表として、オリンピックで3度の金メダル(2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、2010年バンクーバー)を獲得。さらに、IIHF女子世界選手権でも5回の金メダル(1999、2000、2001、2004、2007)を手にし、2度の大会MVP(2001と2004)に輝いています。
カナダ女子チームで184試合に出場し、65ゴール・109アシストの計174ポイントを記録。その活躍は女子ホッケー界に大きな影響を与えました。
「一番しっくりくる表現は、胸が感謝の気持ちでいっぱいということです」と語る彼女は、家族や友人、チームメイトの支えに感謝の気持ちを忘れていません。
「この素晴らしい瞬間は、自分の旅路をともに歩んできてくれた人々のことを振り返る機会になりました。特に家族のことが思い浮かびます。今、ちょうど故郷マニトバにある両親の家を訪れていて、この特別な電話を受けたのはとても象徴的で感慨深いです」。
「ウィニペグのワイルドウッド・パークで育った頃のことを思い出します。私がホッケーを始めたばかりの頃、両親が通りの端にあるワイルドウッド・コミュニティ・クラブまで手を引いて連れて行ってくれました。彼らは、その瞬間がどれほど特別なものか理解していたんです。
これは、私が家族、友人、そしてチームメイトから受けた無条件の支援を象徴するエピソードだと思います」。幼少期の思い出が、彼女の支えとなっているようです。
アメリカ女子ホッケーのエース、デッカーの感動ストーリー🇺🇸
デッカーはアメリカ代表として147試合に出場し、81ゴール・89アシストの計170ポイントを記録。2018年の平昌オリンピックでの金メダル獲得にも大きく貢献しました。
さらに、女子世界選手権では6度の金メダル(2011、2013、2015、2016、2017、2019)を獲得し、昨年アメリカ・ホッケー殿堂入りも果たしています。
彼女は「まだ本当にショック状態です。連絡をくれたすべての人に、本当に感謝しています。電話をもらったとき、ちょうどジョン・ディアの芝刈り機に乗っていた。まさにウィスコンシンの小さな町らしいシチュエーションですよね」とユーモアを交えつつ、「ホッケーの殿堂に自分が選ばれるなんて、夢にも思っていませんでした。
いつもそこへ行っては、殿堂入りしている選手やチームに感動していたんです。そんな場所に、自分が所属できるなんて、本当に特別なことです」と語りました。今はミネソタに戻って、母校であるシャタック・セントメアリーズ7でコーチを務める現在、自分のホッケー人生がぐるっと一周した感覚だと話しています。
伝説のボストン大学コーチ、パーカーの40年🏒
パーカーは1968年にボストン大学8を卒業後、コーチとしてのキャリアをスタート。翌年にはアシスタントコーチとして復帰し、1973年にヘッドコーチに就任しました。
彼の指導のもと、チームは24回のNCAAトーナメント9に出場し、1978、1995、2009年に3度の全国制覇を達成。2013年に40シーズンで引退するまでに、897勝をすべてボストン大学で挙げています。
「ホッケー殿堂入りなんて、一度も頭をよぎったこともなかった」と語る彼ですが、「ボストン大学で40年間コーチをして、本当に楽しかったし、たくさんの試合に勝てた。その勝利の数がなければ40年もコーチはできないだろうし、それは素晴らしいアシスタントコーチと素晴らしい選手たちのおかげだ。アシスタントたちが、そうした選手たちを見つけて、リクルートしてくれたんだ。
私はよく人にこう言うよ、『ボストン大学で40年もコーチをやっていたなんて、行き止まりの仕事だよ』ってね。でも本当に楽しかった。何度か他に行くチャンスもあったが、あの年月はすばらしい経験だった。たくさん勝ったからだけじゃなく、選手たちと過ごした時間が素晴らしかったから」と感謝の気持ちを述べています。
ジャック・パーカーの引退試合。ボストン大学は文武両道の超名門、そこを40年間指導して、レベルを落としたことないなんて奇跡としか言えない!
ホッケー殿堂初の女性ビルダー、ソヴァジョーの功績🌟
ソヴァジョーはホッケー殿堂で初めて「ビルダー部門」(功労者)として選出された女性です。カナダ女子代表のコーチ、GM、コンサルタントとして7度のオリンピックに関わり、2002年のソルトレイクシティ五輪で50年ぶりの金メダル獲得を成し遂げました。
殿堂入りの電話を受けた時は言葉に詰まってしまったらしく、「ちょうど選手とのインタビューを終えたばかりだったんです。今日は女子プロホッケーリーグ(PWHL)にとっても素晴らしい日で、ドラフトの日なんです。なので、これからやるべき準備ができていて本当によかった。
でも、あの電話のあと、なかなか気持ちを切り替えるのが難しかったですね。でも同時に、これ以上ないタイミングでした。リーグにとって3回目のドラフトの日に、こんなことが起きるなんて」と話し、リーグの未来にも大きな期待を寄せています。
2025年クラスの殿堂入り式典と総括🎉
2025年のホッケー殿堂入りは、11月10日にトロントで盛大に行われる予定です。
シアトル・クラーケンのホッケー部門社長であり、殿堂選考委員会の議長ロン・フランシスは、「ホッケーの殿堂は、これらのホッケー界の伝説を“名誉あるメンバー”として迎えることを誇りに思う。彼らのホッケー界への貢献は誰もが認めるもので、殿堂入りは十分にふさわしい」と称賛しました。
まとめ
ズデノ・チャラやジョー・ソーントンといった実績十分の名選手たちが、見事にホッケー殿堂入りを果たしました。長年の努力やチームへの貢献が認められた瞬間に、多くのファンも胸を打たれたはずです。今後も彼らの功績は、ホッケー界の誇りとして語り継がれていくでしょう。

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!
【註釈】
- Hockey Hall of Fameは、カナダのトロントにあるアイスホッケー専門の博物館兼殿堂。1943年に設立され、アイスホッケー界で最も偉大な選手や関係者の功績を称え、その歴史を伝えている。
館内には、殿堂入りした人々の肖像画が飾られた「エッソ・グレートホール」や、ホッケーの象徴であるスタンレーカップが展示されており、来館者は一緒に写真を撮ることも可能。他にも、歴代のNHLトロフィーや、世界のホッケーに関する展示、インタラクティブなゲームなど、60,000平方フィート(約5,600平方メートル)にわたる広大なスペースで、アイスホッケーの魅力を体験できる。
殿堂入りするには、引退後3シーズン経過した選手や、貢献者、審判などが選考委員会の投票で選ばれる。毎年、殿堂入りできる人数には上限があり、厳選された人々だけがその栄誉を授けられる。
↩︎ - アイスホッケー界に顕著な功績を残した人物を選出し、殿堂入りさせる役割を担う。この委員会は18名で構成され、ホッケーの殿堂入り経験者やメディア関係者などが含まれる。委員は、ホッケーが盛んな世界各地の地域を代表するように選ばれ、国際ホッケーに精通したメンバーも含まれる。委員の任期は3年で、毎年6名が新任または再任される。
選手、レフリー、ラインズマンが殿堂入りの資格を得るには、原則として現役引退後3シーズンが経過している必要がある。ただし、過去にはその功績が特に顕著であると認められた場合、この待機期間が免除されることもあった。ビルダーは現役であるか否かを問わない。
選考の基準としては、選手のプレー能力、スポーツマンシップ、人間性、そして所属チームやホッケー全体への貢献が考慮される。功労者や審判についても、それぞれの役割における能力、スポーツマンシップ、人間性、組織やホッケー全体への貢献が評価の対象となる。
↩︎ - NHLとNHLPA(NHL選手会)が主催する国際アイスホッケー大会。かつて開催されていた「カナダカップ」の後継として1996年に創設され、これまでに1996、2004、2016年の3回開催されている。
この大会の大きな特徴は、NHLのルールが適用される点と、NHLのプレシーズン中に開催されるため、世界中のトップNHL選手が参加できる点にある。通常の国際大会とは異なり、NHLの選手がベストメンバーで出場できるため、最高レベルのアイスホッケーが見られる貴重な機会となっている。
2016年の前回大会では、カナダやアメリカ、スウェーデン、ロシアといった強豪国のほか、NHLに単独チームがないヨーロッパ諸国の選手で構成された「チーム・ヨーロッパ」や、23歳以下の北米選手で構成された「チーム・ノースアメリカ」など、ユニークな8チームが参加した。次回の開催は2028年が予定されている。
↩︎ - 2017年のNHL創立100周年記念式典で発表された、リーグ史上最高の選手たちを選出したリスト。この選出は、メディア関係者、NHLのOB、幹部からなる58人の委員会による投票で行われ、選手たちは順位付けされず、アルファベット順で公開された。
リストは2段階で発表され、まず1917年から1966年までにNHLでプレーを開始した33人が、2017年1月1日のNHLセンテニアル・クラシックで公開された。その後、残りの選手は1月27日にロサンゼルスで開催されたNHL100ガラセレモニーで発表された。
選ばれた選手には、センター、ディフェンス、ゴールテンダー、ウィングの各ポジションからバランス良く選出されており、発表当時もヤロミール・ヤーガーやシドニー・クロスビーなど6人の現役選手が含まれていた。この記念イベントにはウェイン・グレツキーやマリオ・ルミューといった伝説的な選手も多数出席し、NHLの豊かな歴史が称えられた。
↩︎ - 1989年5月3日、スウェーデンのストックホルムで開催されたアイスホッケー世界選手権の閉会式後に起きた。ソビエト代表チームの一員であったモギルニーは、祝賀会を抜け出し、バッファロー・セイバーズのゼネラルマネージャーらと合流。彼らは数日間、偽名を使ってホテルを転々としながら、ソビエト当局の目を逃れた。
モギルニーは将校でもあったため、亡命者であるだけでなく脱走兵ともみなされたが、最終的に米国への入国許可を得て、5月7日にニューヨークに到着。その後、政治亡命を申請し、セイバーズのトレーニングキャンプに参加する意向を表明した。
彼のこの大胆な行動は、当時のソビエト体制下にあった多くのホッケー選手がNHLへ移籍する道を開き、プロホッケー界に大きな影響を与えた。
↩︎ - アイスホッケーにおける最高の栄誉の一つで、以下の3つの主要タイトルすべてを獲得した選手が名を連ねる特別なグループである。
オリンピックの金メダル: 冬季オリンピックでの優勝。
世界選手権の金メダル: IIHF世界選手権での優勝。
スタンレーカップ: 北米NHLの優勝トロフィー獲得。
これらのタイトルすべてを制覇することは極めて困難な偉業であり、トリプルゴールドクラブのメンバーはアイスホッケー界のレジェンドとして称えられている。現在、カナダ、スウェーデン、ロシア、チェコ、フィンランドの選手を含む30名がこのクラブに名を連ねるが、ゴールテンダーの達成者はまだいない。
↩︎ - Shattuck-St. Mary’s Schoolは、ミネソタ州ファリボーにある共学の全寮制学校。1858年に設立され、シャタック・ミリタリー・アカデミー(男子校)とセントメアリーズ・ホール(女子校)が統合し、現在の形となった。
この学校は、大学進学準備に加えて、特定の分野で生徒の才能を伸ばすための「センター・オブ・エクセレンス」プログラムで国際的に評価が高い。特にアイスホッケー、サッカー、ゴルフ、フィギュアスケートなどのスポーツ分野や、バイオサイエンス、音楽などの学術・芸術分野で専門的な指導を提供している。シドニー・クロスビーやジョナサン・トウーズといったプロスポーツ選手を多数輩出していることでも知られる。
最新施設を備えた広大なキャンパスには世界各国から生徒が集まり、少人数制クラスや個性を重視した教育環境が特徴である。
↩︎ - ボストン大学男子アイスホッケー部、「ボストン・テリアーズ」の愛称で知られる彼らは、アメリカ大学スポーツ界の名門チームである。
NCAAディビジョンI、ホッケー・イースト・アソシエーションに所属し、全米選手権であるNCAA男子アイスホッケー選手権で複数回の優勝経験を持つ。フローズン・フォー(全米ベスト4)への進出回数も多く、常に強豪として君臨している。
長年のライバルであるボストンカレッジとの試合は、「バトル・オブ・コモンウェルズ・アベニュー」と呼ばれ、熱狂的な注目を集める。また、ジャック・アイヒェルやチャーリー・マカヴォイ、クレイトン・ケラーなど、数多くの現役NHLスター選手やオリンピック代表選手を輩出している点は特筆すべきである。
ホームリンクはキャンパス内の「アガニス・アリーナ」であり、ファンで賑わう。ボストン大学のアイスホッケープログラムは、学業と競技の両立を重視し、高いレベルでの育成を追求している。
↩︎ - 全米大学体育協会(NCAA)が主催する、アメリカ大学スポーツの年間最大イベントである。特に男子バスケットボールのディビジョンIトーナメントは「マーチ・マッドネス」として知られ、全米が注目する。
この大会は、一発勝負の勝ち残り形式で優勝を争うシングルエリミネーション方式を採用している。男子バスケットボールでは68チームが出場し、各カンファレンスの優勝チームが自動出場枠を獲得し、残りは選考委員会によって選ばれる。
3月から4月にかけて開催され、8チームによる予備戦「ファースト・フォー」から始まり、勝ち進むごとに「ラウンド64」「ラウンド32」など名称が変わり、最終的に勝ち残った4チームが「ファイナル・フォー」で準決勝と決勝を戦い、全米チャンピオンが決定する。下位シード校が強豪を破る「アップセット」が多く、その波乱含みの展開が国民的な人気を集めている。 ↩︎