はじめに
ニューヨーク・レンジャーズの歴史にその名を刻み、ファンを魅了したロン・デュゲイ氏が69歳でこの世を去りました。偉大な元スターの訃報がホッケー界を包む一方、シカゴ・ブラックホークスでは、昨季の苦難を乗り越えた若きディフェンスマンのアルチョム・レフシュノフが目覚ましい進化を見せています✨。
歴史的な足跡と新星の現在地を紐解きます🏒✨📢
🕯️ 1970年代後半のレンジャーズを魅了した人気スター、ロン・デュゲイ氏が69歳で逝去
参照記事:NHL公式サイト「Duguay, popular Rangers player during late 1970s, dies at 69」
12シーズンにわたりNHLで活躍し、その大部分をニューヨーク・レンジャーズで過ごしたロン・デュゲイ(Ron Duguay)氏が木曜日、69歳で亡くなりました。💔
元フォワードのデュゲイ氏は、ステージ4の大腸がんを患っていることを以前、『ニューヨーク・ポスト』誌に明かしていました。虫垂や胆嚢の手術を受けながらも、1年以上にわたって闘病を続けていました。
ニューヨーク・レンジャーズのレジェンドであり、1970年代後半〜80年代に絶大な人気を誇ったロン・デュゲイ氏の訃報を伝えるニュース動画です。ステージ4のがんとの闘病や、レンジャーズでの輝かしい足跡、チームの歴史に刻まれたスター性について振り返っています。
🕊️ チーム・球界からの追悼コメント
レンジャーズは次のように追悼声明を発表しました。🏛️
💬 ニューヨーク・レンジャーズ声明
「ニューヨーク・レンジャーズ一同、チーム史上最もファンに愛された選手の一人であるロン・デュゲイ氏の訃報に接し、深い悲しみに包まれています。氷上を滑走する際に豊かな髪をなびかせる独特のプレースタイルで、マディソン・スクエア・ガーデンのファンを大いに沸かせました。その優れた技術、泥臭い執念、そして溢れるカリスマ性は、あらゆるニューヨーク市民を魅了したのです。この悲しい時期にあたり、ホッケー界全体とともに、ロンのご家族やご友人、愛する方々へ心よりお悔やみ申し上げます」
また、NHL OB(アルムナイ)協会もSNSで故人を偲びました。📱
※NHL OB(アルムナイ)協会
- 正式名称:NHL Alumni Association(NHLアルムナイ協会)
- 概要:北米プロアイスホッケーリーグであるNHLの元選手(OB)たちによって組織された、歴史ある非営利の会員組織である。
- 主な活動目的:
- 引退した元選手たちの相互支援や、セカンドキャリアへの移行サポート。
- 福利厚生や医療面・生活面での支援(特に長年のプレーで負傷を抱えた元選手や、生活に困窮しているOBへの救済など)。
- アイスホッケーというスポーツの普及活動や、チャリティイベントの開催を通じた社会貢献。
💬 NHL OB(アルムナイ)協会コメント
「ロンはあふれんばかりの情熱と親しみやすい笑顔、そして人一倍温かい心を持って人生を駆け抜けました。何よりも、彼が最も深く愛したのはご家族でした。ご家族こそが彼の誇りであり、生きがいであり、常に心の真ん中にありました。アイスホッケーに対する情熱と献身もまた、生涯揺らぐことがありませんでした。ロンにとってホッケーは単なるスポーツではなく、彼自身の生き様そのものであり、誇りを持って愛し、人々と分かち合った宝物でした。しかし、何より彼を特別な存在にしていたのは、その素晴らしい人間性です。
思いやりと優しさに満ち、誰かを助けようとするその姿勢は、常に無私のものでした。周囲の誰もが『自分は大切にされている』と感じられるような、特別な温かさを持った人物だったのです」
🌟 伝説のキャリアと「ウー・ラ・ラ!」ブーム
デュゲイ氏は、地元サドベリー・ウルブズ(OMJHL)でキャリアをスタートさせました。1975-76シーズンには134ポイント(42ゴール、92アシスト)の大活躍を見せ、チームの年間最優秀成績(47勝11敗8分け)とハミルトン・スペクテイター・トロフィー獲得に貢献しました(OMJHLファイナルではハミルトンに2勝4敗で敗退)。
注釈:サドベリー·ウルブズとハミルトン·スペクテイター·トロフィー
1.サドベリー・ウルブズ(Sudbury Wolves)とは
サドベリー·ウルブズ は、カナダのオンタリオ州サドベリーを本拠地とするジュニアアイスホッケーチームである。現在はオンタリオ·ホッケー·リーグ(OHL)に所属している。
NHLを目指す若手選手にとって、OHLは重要な育成の舞台の一つである。北米の主要ジュニアリーグは、OHLのほか、ケベック·マリタイム·ジュニア·ホッケー·リーグ(QMJHL)とウェスタン・ホッケー・リーグ(WHL)があり、これら3リーグはカナディアン·ホッケー·リーグ(CHL)を構成している。
ただし、ロン·デュゲイ氏がプレーしていた1975-76シーズン当時のリーグ名は、現在のOHLではなく、オンタリオ·メジャー·ジュニア·ホッケー·リーグ(OMJHL)であった。OMJHLは1974年から1980年まで使用された名称であり、当時の記録を説明する際には、この歴史的な名称を使うのが正確である。
2.ハミルトン・スペクテイター・トロフィーとは
ハミルトン·スペクテイター·トロフィー(Hamilton Spectator Trophy)は、OHLのレギュラーシーズンでリーグ全体の首位に立ったチームに贈られるトロフィーである。現在も続く賞であり、1957-58シーズンに初めて授与された。名称は、トロフィーをオンタリオ·ホッケー協会に寄贈した新聞社『The Hamilton Spectator』に由来する。
1976年のWHAドラフト全体3位でウィニペグ・ジェッツから指名を受け、1977年のIIHFワールド・ジュニア選手権では準優勝を果たしたカナダ代表としてプレーしました。同年、NHLドラフト1巡目(全体13位)でレンジャーズから指名されると、ジュニアから一気に最高峰の舞台へと駆け上がりました。💨
名将フレッド・シェロ監督兼GMのもと、後に殿堂入りするフィル・エスポジトをはじめ、デュゲイ、ロン・グレシュナー、スティーブ・ビカーズ、デイブ・マロニー、ドン・マロニー、ドン・マードックといった若い主力が躍動した1978-79シーズンのレンジャーズは、40勝29敗11分けの成績で2シーズンぶりのプレーオフ進出を果たしました。
※「フレッド・シェロ」および「フィル・エスポジト」について
- フレッド・シェロ(Fred Shero)について:
- カナダ出身の元アイスホッケー選手であり、卓越した戦術眼と指導力で知られた伝説的なNHLの監督(コーチ)およびゼネラルマネージャー(GM)である。
- 1970年代にフィラデルフィア・フライヤーズを率いて2度のスタンレー・カップ連覇(1974年、1975年)を達成し、近代的な戦術や分析手法をNHLに導入した名将として高く評価されている。その後、ニューヨーク・レンジャーズの監督兼GMに就任し、1978-79シーズンにはチームをスタンレー・カップ・ファイナルへと導いた。1983年にはホッケーの殿堂(コーチ部門)入りを果たしている。
- フィル・エスポジト(Phil Esposito)について:
- NHLの歴史を代表する伝説的なスーパースターであり、圧倒的な得点力とリーダーシップで一時代を築いた元センターのフォワード選手である。
- ボストン・ブルーインズ時代に得点王(アート・ロス賞)や最優秀選手(ハート記念賞)を複数回獲得するなど輝かしい実績を残し、1970年代後半にはニューヨーク・レンジャーズに移籍してベテランの主力としてチームを牽引した。現役引退後は解説者やレンジャーズのGMなどを務め、1984年にホッケーの殿堂入りを果たしている。
守護神ジョン・デビッドソンの好セーブにも支えられ、チームはキングスとフィラデルフィア・フライヤーズを撃破。セミファイナルでは第1シードのニューヨーク・アイランダースを6試合で下し、見事にファイナル進出を果たしました(モントリオール・カナディアンズに1勝4敗で敗戦)。
ヘルメットをかぶらず、長髪のカーリーヘアをなびかせて滑るデュゲイ氏の姿は一躍注目の的となり、1979年にはエスポジトらとともに、「ウー・ラ・ラ! サッソーン」のフレーズで一世を風靡したサッソーン・ジーンズのTVコマーシャルにも出演しました。👖✨
注釈:サッソーン・ジーンズ(Sasson Jeans)について
ブランドの概要と設立背景
サッソーン・ジーンズ(Sasson Jeans, Inc.)は、1976年にモリス・サッソーン(Maurice Sasson)とポール・ゲズ(Paul Guez)によってアメリカで設立されたアパレルブランドである。1970年代後半から1980年代初頭にかけて、カルバン・クライン(Calvin Klein)やジョーダッシュ(Jordache)、グロリア・ヴァンダービルト(Gloria Vanderbilt)らとともに、いわゆる「デザイナーズ・ジーンズ(高級デニム)」の世界的ブームを牽引した代表格として知られる。
デザインとロゴの特徴
従来の作業着やカジュアルウェアとしてのデニムとは一線を画し、体にフィットする美しいシルエット(フレンチカットなど)を取り入れた上品なデザインを特徴としていた。手で「OK」のサインを作ったようなマークがブランドロゴとして使用され、バックポケットや各種広告に大きく配されていた。
CMとフレーズの爆発的流行
1970年代末期、ディスコカルチャーの全盛期に合わせて放映されたTVコマーシャルが大きな話題を呼んだ。同CMでは、キャッチーなディスコ調の楽曲に合わせて「ウー・ラ・ラ! サッソーン(Oo La La! Sasson)」と歌うフレーズ(ジングル)が使用され、全米で流行語となった。
1979年には、ニューヨーク・レンジャーズに所属していたフィル・エスポジトやロン・デュゲイら、人気アイスホッケー選手が出演するCMも制作され、スポーツ界・ファッション界の垣根を越えた話題を集めた。
その後の動向
ブームの定着とともに1980年代半ばにかけて競争が激化し、流行の移り変わりや競合ブランドの台頭により、運営元のサッソーン社は1986年に連邦破産法第11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請した。その後、ブランド権利の移転などを経て市場での規模は縮小したものの、1970年代後半から80年代ポップカルチャーやヴィンテージ・デニムファッションを象徴する、歴史的ブランドとして記憶されている。
1980年4月6日、敵地スペクトラムで行われたフライヤーズ戦(8-3で勝利)では、試合開始わずか9秒でゴールを奪い、フレッド・クック(1927年)、ジャン・ラテル(1971年)が保持していたレンジャーズの最速ゴール記録に並びました。
その後、1983年にレッドウィングスへトレードされたものの、1987年にペンギンズ経由で思い出のレンジャーズへ復帰。1988年にキングスへ移籍し、NHLでのラスト2シーズンを過ごしました。
📊 ロン・デュゲイ氏 通算成績まとめ
- NHLレギュラーシーズン: 860試合 620ポイント(274ゴール / 346アシスト)
- スタンレー・カップ・プレーオフ: 89試合 53ポイント(31ゴール / 22アシスト)
- 在籍チーム: ニューヨーク・レンジャーズ、デトロイト・レッドウィングス、ロサンゼルス・キングス、ピッツバーグ・ペンギンズ
- 引退後: 2008-09シーズンに現役引退後、MSGネットワークで12年間にわたりレンジャーズの解説者を歴任
長年にわたり氷上とメディアを通じて、ファンを魅了し続けたデュゲイ氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。🕯️
🚀 ブラックホークスの新星アルチョム・レフシュノフが見せる飛躍的な成長!“アーティ・パーティー”の開幕🎉
「ホッケーはやっぱり最高に楽しい!」😊
2024年ドラフトでの全体2位指名、試練の連続だった2025-26シーズン、オフの束の間の休息、そして最高峰の舞台で2年目のシーズンを戦いながら自分のスタイルを模索する日々——。ここまでの道のりを振り返れば、アルチョム・レフシュノフ(Artyom Levshunov)にとって決して楽しいことばかりではありませんでした。
プロの世界で順風満帆にいかないのは世の常ですが、彼にかかるプレッシャーは異次元のものでした。
📉 ドラフト2位の重圧と「ハズレ指名」とまで言われた試練
ドラフト指名以来、彼のキャリアはまさに波乱万丈のジェットコースターでした。全体2位という高順位での指名は、そのまま「NHLに入ったら即戦力として輝くべきだ」という周囲からの高い期待を意味していました。
しかし、ディフェンスマンというポジションにおいて、そんなトントン拍子に事が運ぶほど甘くはありません。さらに、フロント陣の判断とはいえ、オフにモントリオール・カナディアンズと8年の大型延長契約を結んだ、イヴァン・デミドフをスルーしてまで指名されたという重圧も、少なからず彼にのしかかっていました。
ここ3年間のレフシュノフの歩みは、決して綺麗な一本道ではありませんでした。
全体2位指名を受けた直後、NHLのゲイリー・ベットマンコミッショナー、カイル・ダビッドソンGM、そしてチームの顔であるコナー・ベダードとともに華々しくステージに立っていたレフシュノフ。ダビッドソンGMには「この2人こそがブラックホークスを再び常勝軍団へと導く、ダブルエースになる」という揺るぎない確信がありました。🔥
指名後、レフシュノフはすぐに3年間のルーキー契約(エントリーレベル・コントラクト)を結び、下部リーグAHLのロックフォード・アイスホッグスへ移籍。そこで格の違いを見せつけると瞬く間にトップチームへ引き上げられ、2024-25シーズンの終盤18試合で6アシストを記録しました。
しかし、本当の試練は昨シーズン(2025-26)訪れます。ルーキーらしい手厚い保護期間は終わり、彼はチームの「大黒柱」としての活躍を求められ、過酷な戦場へと直接放り込まれたのです。
NHLでの経験が浅い彼にとって、その重責はあまりにも重すぎました。リンク上の彼は明らかに迷いを見せ、ポジショニングのミスを連発。自陣ゾーンでは致命的なパスカット(ターンオーバー)を繰り返すなど、プレーの判断において完全に自信を失っていました。
苦しい戦いが続いたシーズンが終わった時点では、周囲から冷ややかな声が相次ぎました。👀
- 「ブラックホークスはデミドフを指名すべきだった」
- 「レフシュノフは期待外れの『ハズレ指名』になりつつある」
さらに手首の負傷により不本意な形でシーズンを終えることとなりましたが、シーズンオフを迎えるにあたり、彼は「絶対に強くなって戻ってくる」と力強く誓ったのです。💪

日本プロ野球のドラフトが終わったばかりだけど、北米のドラフトと比べたら、粒の小ささ感は否めないにゃあ(失礼!)。
北米のドラフトの場合、指名されるはるか前から、いろんなサイトで徹底的に能力を分析されるし、事ある度に順位まで出てくる。何巡目のどこで指名されるかで予想サイトが乱立するなんて、日本じゃ考えられない。
レフシュノフの感じていた重圧、想像するだけで身震いしてくる。
🔥 劇的な進化:開幕から見せる別次元の動き
そして今シーズン、彼はその言葉を見事に証明してみせました!✨
開幕から9試合を終えた今、レフシュノフはまるで生まれ変わったかのようなプレーを見せています。オフの間に血の滲むような努力を重ねてきたことは一目瞭然であり、それが確かな結果として氷上に表れています。
特に目を見張るのがスケーティングの向上です。足のスピードが増し、リンクを縦横無尽に駆け回れるようになりました。
それに伴ってパックのハンドリングや展開力も格段に上がり、一度パックを持てば臆することなく、自らゲームをコントロールする度胸が備わりました。敵陣、中盤、自陣を問わず、相手の隙を見つけた瞬間、彼は迷わずそこへ鋭く切り込んでいきます。⚡
🥅 10月15日 ジェッツ戦:歓喜のオーバータイムゴール!
その進化が最高の形で結実したのが、10月15日のウィニペグ・ジェッツ戦でした!🎯
オーバータイムは、開始2分もかからずに決着がつきました。
- ベダードのおとりプレー:自陣から持ち上がったコナー・ベダードが、その圧倒的な脅威ゆえに相手ディフェンス2人を引きつける。
- 絶妙なラストパス:ベダードが背中越しに絶妙なバックハンドパスを供給。
- レフシュノフの切り込み:パックを受け取ったレフシュノフは、目前に開いた空間をそのままスロット中央へ一気に切り込む。
- 劇的ゴール!:放たれた鮮やかなシュートがゴールネットを揺らす!🙌
ゴールを決めた瞬間、レフシュノフは興奮のあまりパトリック・ケインのもとへ滑り寄り、押し倒さんばかりの勢いでその胸に飛び込んで歓喜を爆発させました。
レフシュノフによる、10月15日のウィニペグ・ジェッツ戦でのオーバータイム(延長戦)決勝ゴールと、歓喜のあまりチームメイトに飛びついた瞬間(ジャンプ・セレブレーション)を収めた、NHL公式のハイライト映像です。
🎙️ 試合後コメント:「ホッケーはやっぱり楽しい」
一時は周囲から見限られかけていた男が劇的な勝利をもたらし、その顔には弾けんばかりの笑顔が戻っていました。😊
決勝ゴールを決めた後、解説のダーレン・パン氏のインタビューに応じたレフシュノフは、無邪気な笑顔でこう語りました。
💬 アルチョム・レフシュノフ
「ホッケーはやっぱり楽しい(Hockey is fun.)」
若き才能たちが成長する過程で何より必要なこと、それこそが「楽しむこと」です。ホッケーとは本質的に、プレーすること自体が最高に刺激的なスポーツなのですから。
相棒のボーエン・バイラムとともに、開幕遠征を経てチームは見違えるほどの成長を遂げています。レフシュノフはまだ21歳。彼の伸び代は無限大です!📈
【讃岐猫😼の深堀りコラム】「攻めるレフシュノフ」を解き放つバイラム——若きDFコンビがシカゴ再建の鍵に
2026-27シーズンのシカゴ・ブラックホークスで注目したいのは、アルチョム・レフシュノフの成長だけではない。ボーエン・バイラムとのコンビが、彼の攻撃的な才能をどこまで引き出せるかという点である。二人の連係は、チーム再建の可能性を占う重要な試金石となっている。
スケーティングの進化が攻撃を変える
レフシュノフの成長を測るうえで重要なのは、スケーティングの速さそのものより、移動能力の向上によってパック保持時の選択肢が増えたことだ。
『Second City Hockey』の映像分析では、レフシュノフが自らパックを運び、ニュートラルゾーンを突破して攻撃を組み立てる能力に注目している。一方、守備ゾーンでのパスや判断には改善の余地があるものの、パックの回収やバックチェックでの機動力には進歩が見られるという。
スケーティングの向上は、攻撃参加だけでなく、守備への復帰にも役立つ。前へ出るリスクを素早いリカバリーで補えるようになれば、レフシュノフはより積極的に攻撃を仕掛けられる。ただし、速く滑れることと、正しい判断を下せることは別問題であり、パスの精度や攻撃参加後のポジショニングも引き続き評価する必要がある。
バイラムとの連係を示す期待得点率
『Bleacher Nation』が紹介した開幕直後の5対5のデータでは、バイラムとレフシュノフのペアの期待得点率(xGF%)は64.85%だった。これは、両者が氷上にいる間に生まれた期待得点のうち、ブラックホークスが占める割合を示す指標である。
比較対象となったバイラムとアレックス・ブラシックのペアは8.33%にとどまっていた。シュート試行数でも、ブラシックとのペアは相手に39対11と大きく上回られた一方、レフシュノフとのペアでは18対17とほぼ互角だった。
もっとも、序盤の限られたデータだけで、二人が理想的なペアだと断定することはできない。実際、別の時点では期待得点率が48.78%まで低下しており、対戦相手や試合展開による変動も考慮すべきである。
それでも、この組み合わせが持つ戦術的な魅力は明確だ。レフシュノフがパックを運んで相手守備を動かし、バイラムが攻撃参加やパックの展開を支える。互いの位置関係を保てれば、攻撃の選択肢を増やしながら、パックを失った際の対応もしやすくなる。
ただし、二人とも攻撃的な資質を持つため、同時に前進すればカウンターを受ける危険がある。どちらが攻撃に加わり、どちらが後方をカバーするのか。その役割分担こそが、連係を継続的な強みに変える条件である。
長期契約が示す再建への期待
バイラムは2026年7月、ブラックホークスと6年の契約延長に合意した。契約期間は2027-28シーズンから2032-33シーズンまでで、年平均のサラリーキャップ負担額は1,250万ドルである。チームが彼を長期的な守備陣の中核と位置づけていることがうかがえる。
一方、レフシュノフは2024年ドラフト全体2位指名の若手であり、今季の成長は再建計画に直結する。攻撃面での進歩は明るい材料だが、守備ゾーンでの判断やパスの精度など、安定したNHLの主力になるための課題は残されている。
また、バイラムのコンディションにも注意が必要だ。報道された負傷情報では、10月17日のダラス・スターズ戦を上半身の負傷で欠場し、復帰時期は10月23日前後と見込まれていた。二人の連係を本格的に評価するには、復帰後も安定したパフォーマンスを維持できるかを見極める必要がある。
このペアの価値は、個々の才能をチーム全体の攻撃力へ変換できるかどうかにある。 レフシュノフの機動力とバイラムの攻撃参加能力がかみ合えば、ブラックホークスの再建を後押しする大きな武器となるだろう。「アーティ・パーティー」の真価は、華麗なプレーだけでなく、その連係をシーズンを通じて再現できるかどうかにかかっている。
出典リスト
『Second City Hockey』、Steve Kwiatkowski「An early breakdown of what Artyom Levshunov has put on film this season」、2026年10月9日。

『Bleacher Nation』、Tab Bamford「Blackhawks Might Have Something in Bowen Byram With Artyom Levshunov」、2026年10月7日。
『NHL.com / Chicago Blackhawks』、「RELEASE: Blackhawks Sign Bowen Byram to Six-Year Contract Extension」、2026年7月1日。

『RotoWire』、「Bowen Byram: News, Stats, Game Logs」、2026年10月17日付の負傷情報を含む選手ページ。
そして今、一つだけ確かなことがあります。シカゴの街に、ついに“アーティ・パーティー(Arty Party)”の幕が上がったのです!🎉🏒
注釈:アーティ・パーティー(Arty Party)について
言葉の概要と由来
「アーティ・パーティー(Arty Party)」とは、ブラックホークスに所属するディフェンスマン、アルチョム・レフシュノフ(Artyom Levshunov)の愛称「アーティ(Arty)」にちなんだ造語である。彼の名前と「パーティー」を掛け合わせたファンやメディアお気に入りのフレーズであり、彼の活躍やチームの盛り上がりを祝う表現として使われている。
まとめ
レンジャーズで圧倒的な人気を誇ったロン・デュゲイ氏の生涯は、チームの歴史に深く刻まれています。また、大きな期待と重圧に苦しんだアルチョム・レフシュノフは、オフの努力を経てスケーティングや判断力を大きく向上させました。
それぞれの歩みから、アイスホッケーという競技が持つ重みと、若き才能の確かな成長の軌跡が示されています。

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!


