60周年記念!NHL史上最高のドラフト指名選手は誰だ!(その8)

アイスホッケー名選手

はじめに 

 NHL公式サイトに登場したよだれモン企画、過去のドラフトの歴史を振り返り、(ドラフト60周年にちなみ)史上最高のドラフト指名選手60人選出の第7弾です。前回から約3週間も間隔が空いてしまい、申し訳ございません。 

 前回の記事はこちら→

 今回は25~21位までで、全体1位指名2人の他に、先ごろ引退したブルーインズ一筋のレジェンドも含まれています。おっと、全体1位指名のうち1人は、「グレート・ワン」の記録に挑むべく、現役続行で新シーズンもリンクでひと暴れしてくれそうです。 

讃岐猫
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引用元:NHL.com「60 Diamonds: Greatest picks from 60 NHL Drafts, Nos. 30-21」。

ブルーインズのレジェンドがここで登場! 

25.パトリス・バージェロン、F(フォワード)、(338) 

指名順:ボストン・ブルーインズ 第2巡目(全体45位) 2003年 

 20年後の今、2003年のNHLドラフトのようにスター選手が勢ぞろいしたドラフトでも、バージェロンが第2巡目まで残ったことは想像を絶します。37歳の彼は、同世代の最高のリーダーの1人であり、双方向(攻守両方できる)フォワードと考えられています。 

2003年のNHLドラフト=1巡目指名を見ただけでも、通算1000試合出場達成選手が指名30名中12名、通算300ゴール以上達成選手が6名、通算300アシスト以上達成選手が13名、通算800ポイント以上達成選手が6名となっている。 

 なお、2022-23シーズンまで現役でプレーした選手(継続も含む)は7名。 

 2021-22シーズン、バージェロンは他のどのNHLプレーヤーよりも多い5回目のセルケトロフィーを獲得し、30ゴール以上を6回記録しています。 

 2011年のスタンレーカップ決勝第7戦、バンクーバー・カナックス相手に4-0で勝利したブルーインズにおいて、決勝点を含む2ゴールを決め、ボストンの2013年と2019年のカップ決勝進出に貢献しました。 

 NHL19シーズンで、彼はゴール数(427)、ポイント数(1,020)、試合数(1,294)でブルーインズの歴代3位となっています。 

トロフィーの名前が変わるかも 

 「もし研究室で完璧なホッケー選手を作るとしたら、おそらくパトリス・バージェロンのようになるでしょう。すべての分野で素晴らしい。究極のセンター。(対戦チームから見れば)一番難しい相手。 

 長年、相手の優秀な選手をシャットアウトするため、ブルーインズはバージェロンを頼りにしてきましたが、対戦相手は彼をシャットアウトすることについて心配しなければなりません。 

 彼は得点し、フェイスオフで勝ち、守備までします。セルケ・トロフィーを何度も勝ち取っているので、彼にちなんでトロフィーの名前を変更することだってできます。2003年のNHLドラフトでは全体45位に指名され、史上最高のドラフトと言っても過言ではありません。 

 そして、バージェロンはそこから出てきた最高の選手です。記録として表に出ている数字だけでは、彼を説明するのに十分ではありません」。–シニアライターのダン・ローゼン

※バージェロン引退については、こちらを参照のこと↓。

讃岐猫
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フランチャイズ移転で、さらに躍進した男 

24.ジョー・サキッチ、F、(348) 

指名順:ケベック・ノルディックス  第1巡目(全体15位) 1987年 

 サキッチは、そのキャリア初期、苦戦したノルディックスのチームでは最高の選手であり、1995年、フランチャイズがコロラドに移転した後、2つのスタンレーカップ優勝チームで疑いの余地なくリーダーを務めました。 

ケベック・ノルディックス=カナダ、ケベックシティを本拠としていたチームで、コロラド・アバランチの前身。移転の原因は、ケベックシティの財政基盤が弱く、チーム存続が危ぶまれたこと等が挙げられる。 

 しかし、1995年の移転までに力を蓄えていたのか、翌年、見事スタンレーカップ優勝の快挙を達成している。 

 1996年、アバランチがカップを獲得した際、サキッチは24試合に出場してNHL最多の34ポイント(18ゴール、16アシスト)を挙げ、6つものゲームウィニングゴールでNHL記録を樹立し、コン・スマイス・トロフィーを受賞しています。 

 2000-01シーズン、ハート・トロフィーを獲得し、21試合で26ポイント(13ゴール、13アシスト)を獲得して再びプレーオフのトップに立ち、2度目のカップ優勝へと向かっていきました。 

 アバランチ/ノルディックスの通算試合数(1,378)、ゴール数(625)、アシスト数(1,016)、ポイント数(1,641)で歴代1位。20シーズンのうち17シーズンで主将を務め、2012年にはホッケーの殿堂入りを果たしています。 

病にも負けないフライヤーズのレジェンド 

23.ボビー・クラーク、F、(365) 

指名順:フィラデルフィア・フライヤーズ 第2巡目(全体17位) 1969年 

 クラークは糖尿病を患っていたため、1969年のNHLドラフト2巡目まで残りましたが、15シーズンでフライヤーズを1974年と1975年のスタンレー・カップ優勝に導き、ハート・トロフィーを3度獲得しています(1972-73、1974-75、1975-76)。 

 試合数(1,144)、アシスト数(852)、ポイント数(1,210)はフライヤーズ歴代1位であり、そして、彼のすきっ歯スマイルは、フライヤーズの最も不朽のイメージの1つとなっています。クラークは1987年にホッケーの殿堂入りを果たしました。 

すきっ歯スマイル=1975年のスタンレーカップ決勝、フライヤーズが見事優勝した後、歯の抜けた笑みを浮かべながらカップを抱き、ウインクするクラークの姿が、ホッケー史上最も象徴的で有名な写真の1つとされていることから。 

 「クラークは糖尿病と診断されていましたが、メイヨークリニックの医師は、この病気でプロホッケー選手としてプレーできなくなることはないと言いました。 

クラークは糖尿病と診断されていましたが、…=クラークが12、13歳の頃、1型糖尿病であることを知ったとされている。ジュニアホッケーの過去3年間、抜群の得点能力を見せたにもかかわらず、NHLチームはプレーできないのではないかと懸念。 

 1968年、クラークの所属チームのコーチ、パット・ジネルが彼をミネソタ州のメイヨークリニックに連れて行き、医者は自分の健康に気をつけていれば、プロとしてプレーできると診断した。 

 ジネルは医者たちにその声明を書き留めるように頼み、1968-69シーズン中、NHLのスカウトが試合を見に来たとき、ジネルはそれをスカウトたちに見せたと言われている。 

讃岐猫
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ファンの理想の選手像を確立 

 (にもかかわらず)1969年のNHLドラフトで指名されるまで、このフォワードは16回(16チーム)以上にパスされました(偶然にもクラークは背番号16をつけていた)。 

 彼はその後フライヤーズの伝説的選手となり、スタンレーカップを2度制覇した「ブロード・ストリート・ブリーズ」チームの疑う余地のないリーダーとなり、フィラデルフィアのホッケーファンがトッププレーヤーに期待する青写真(高級な技術と意地の悪さが混在している)を確立したのです」。–アダム・キメルマン副編集長 

「ブロード・ストリート・ブリーズ」=ベテランのドキュメンタリー映画監督ジョージ・ロイ製作のドキュメンタリー映画(2010年)。 

 フライヤーズ誕生から1970年代半ばの黄金時代までを追った内容。フライヤーズはポストシーズンを勝ち抜くべく、より大きくてタフな選手でロースターを固めようするが、それがルール無視、戦いや脅迫を戦術として使用する攻撃的なチームを生み出してしまう。 

 いつしかチームは「ブロード・ストリート・ブリーズ(ブリーズはいじめっ子の意)」と呼ばれるようになる。クラークはファースト・ラインのセンターであり、チーム・キャプテンでもあったため、まさにブリーズの象徴となったのである。 

カナディアンズ黄金期の点取り屋 

22.ガイ・ラフレール、F、(369) 

指名順:モントリオール・カナディアンズ 第1巡目(全体1位) 1971年 

 NHLでのキャリアを安定した3シーズンでスタートさせたラフレールは、1974-75シーズンから1979-80シーズンまで6シーズン連続で50ゴール、100ポイント以上を記録しました。 

 その間、彼はリーグの最多得点者としてアートロス・トロフィーを3回(1975-76、1976-77、1977-78)、ハート・トロフィーを2回(1976-77、1977-78)獲得し、カナディアンズのスタンレー・カップ4回優勝(1976-79年)に貢献し、1977年にはコン・スマイス・トロフィーを勝ち取りました。 

 これら6シーズンは、カナディアンズ史上6つの頂点・黄金期と言えるものです。 

 14シーズンで1,246ポイント(518ゴール、728アシスト)はモントリオール史上初。1985年に最初の引退をし、1988年にはホッケーの殿堂入りを果たしていますが、その後レンジャーズとノルディックスで3シーズンプレーし、1991年に引退しました。 

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必ずやグレツキーを超える男 

21.アレックス・オベチキン、F、(376) 

指名順:ワシントン・キャピタルズ 第1巡目(全体1位) 2004年 

 2005年10月5日、オベチキンはNHLでのデビュー戦で2ゴールを決め、それ以来あまりペースを落としていません。 

 彼はキャリアをスタートさせてから15年連続で30ゴールを記録し、マイク・ガートナー、ヤロミール・ヤーガーに並ぶNHL史上最多タイ記録となり、通算30ゴールのシーズンは17回で、これはガートナーと並ぶ歴代最多記録です。 

マイク・ガートナー=カナダ、オンタリオ州オタワ出身、63歳。現役時のポジションは右ウィング。現在、ホッケーの殿堂選考委員会委員長。スタンレーカップ優勝、カップ決勝出場、NHLの賞、ポストシーズンのオールスターチーム選出、これらと全く縁のなかった名選手。 

ヤロミール・ヤーガー=アイスホッケー界の「キング・カズ」。51歳ながら、母国チェコのクラブで現役続行中。「グレート・ワン」ウェイン・グレツキーに次ぐNHL歴代2位のポイント数を稼ぎ、ヨーロッパ出身選手で限定すると、ほとんどの部門で彼はトップに君臨している。 

 37歳の彼は昨シーズン42ゴールを決め、これで通算13回目(シーズン40ゴール以上)を記録し、ウェイン・グレツキーを抜いて最多となり、9シーズンの50ゴールはグレツキー、マイク・ボッシーと並んで最多となりました。 

 12月13日、彼は800ゴールを記録した3番目のNHL選手となり、822ゴールは、グレツキーの持つ通算記録894に72ゴール差と迫っています。 

 オベチキンはゴール以外にもハート・トロフィーを3回(2007-08、2008-09、2012-13)獲得しており、2018年のスタンレー・カップでキャピタルズの優勝に貢献した後、コン・スマイス・トロフィーに選ばれました。 

あと73で、君が「グレート・ワン」になる! 

 「特にトップ10に入るのは難しいグループでしたが、間違いなくオベチキンはここで上位にいなければならなかったはずです。彼のキャリアの中で成し遂げたこと、それは終わっていませんが、その数字自体が物語っているからです。 

 :1,347試合で1,485ポイント(822ゴール、663アシスト)、すべてキャピタルズでのプレーで出た記録です。 

 昨シーズン、偉大なゴーディ・ハウを抜いて、このカテゴリーで歴代2位に躍り出たオベチキンは、現役選手の中で最多得点者でもあります(次はシドニー・クロスビー〈センター、36歳。ピッツバーグ・ペンギンズ所属〉の550ゴール)。 

 彼は894ゴールのグレツキーを捕まえられるでしょうか。今の時点で疑うことはありません。 

 37歳になっても、オベチキンにはまだ多くの試合が残されており、毎シーズン、キャピタルズが2004年のNHLドラフトで彼を1位に選んだ理由が思い出されます」。—トレーシー・マイヤーズ、スタッフライター 

2004年のNHLドラフトで彼を1位に選んだ理由=おそらく当時のGM ジョージ・マクフィーが語ったとされる「我々は全体1位指名権を獲得し、オベチキンのような能力のある選手がそこに座ることができて幸運だ。彼は我々のリストのナンバーワンだった。彼は大事な試合で違いを生んでくれるからだ」のことか。 

まとめ 

 オベチキンには、40〜50ゴールは取って欲しいところです。チームに新監督を迎えたことがどう影響するかは全くの未知数ですが、彼のゴールに対する嗅覚に全く衰えはありませんので、上記の数字は必ずクリアすることでしょう。 

 今回の5人全員、単なる点取り屋レベルではなく、チームの象徴と言うべき選手ばかりです。そうなってくると、20位から上位にいる選手って、どんな感じになってくるんだろうとワクワクしてきます。 

 とはいえ、他にも押さえておきたい記事が毎日出てきますので、この企画の続編がいつになることやら…。まあ、気長にお待ち下さい。 

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