1967年、12チームになったNHL。でもみんな熱狂!【後編】

アイスホッケー名選手

はじめに  

  今回は、「1967年10月18日、全12チーム対戦する6試合が1日で行われた」様子を伝える記事、「1967年、12チームになったNHL。でもみんな熱狂!【後編】」をお届けします。  

中編はこちら→。 

前編はこちら→。 

讃岐猫
讃岐猫

NHLの歴史を振り返る長編も今回で最後になるにゃ。

もうプレーオフが始まっちゃう〜^^;。

引用元:NHL.com「All 32 NHL teams on ice for 1st time recalls similar scene in 1967」。

※「ボストン・ブルーインズ7、シカゴ・ブラックホークス1」の続きから。 

 このシーズン、シカゴは開幕6連敗となるのですが、その4敗目を喫したことになり、この間、相手チームに32得点され、シカゴは13得点しかできませんでした。 

67-68シーズン、フライヤーズ参上! 

フィラデルフィア・フライヤーズ2、セントルイス・ブルース1 

 「昨晩、ナショナル・ホッケー・リーグの得点は28点だった。セントルイスの〈気まぐれな〉ブルースは1点しか取れなかった。それだけでも問題だ」と、セントルイス・ポスト・ディスパッチのウォーリー・クロスは書いています。 

セントルイス・ポスト・ディスパッチ=ミズーリ州セントルイスに本拠を置く地方紙で、セントルイス大都市圏にサービスを提供。発行部数では、大都市圏で最大の日刊紙とされている。 

 なお、ウォーリー・クロスについては未詳。同名のスポーツ・コラムニストはいるが、アーカンソー州中心に活躍している人なので、別人か。 

 ブルースが先制点を決めた後、フライヤーズは、ルー・アンゴッティとエド・フックストラが2点を決め、その勝利は、グレン・ホールのセントルイスでのゴールキーパー・デビューを台無しにしてしまいました。 

ルー・アンゴッティ=カナダ、オンタリオ州トロント出身、2021年死去、享年83歳。現役時のポジションは右ウィング。フライヤーズ初代キャプテン。ミシガン工科大学ホッケー部でも4年間プレーし、1991年、個人選手初のミシガン工科大学スポーツ殿堂入りを果たしている。 

エド・フックストラ=カナダ、マニトバ州ウィニペグ出身、2011年死去、享年74歳。現役時のポジションはセンター。1967ー68シーズンしかNHLに在籍しておらず、キャリアの大半をAHLとWHLで過ごす。70試合出場・15ゴール、21アシスト、特に悪い成績ではない。 

グレン・ホール=カナダ、サスカチュワン州フンボルト出身、91歳。「ミスター・ゴーリー」の愛称で親しまれたゴールキーパー。相手方のシュート防御法の一つであるバタフライ・スタイル(ネット下部へのシュートを、膝をついて防ぐ)を、一般化したのも彼である。 

 66ー67シーズンのベジーナ・トロフィー受賞者にもかかわらず、ブラックホークスのプロテクトから外れ、一旦引退を表明するものの、ブルースに拡張ドラフトで指名される。ブルースには70−71シーズンまで在籍し、引退。 

 引退表明後、セントルイスにやってきたホールは、次の試合までブルース・デビューを果たすことはないと思われていました。しかし、先発のセス・マーティンが第1ピリオドで肩を負傷したため、ミスター・ゴーリーはネットに押し込まれ、19セーブを記録したのです。 

セス・マーティン=カナダ、ブリティッシュコロンビア州ロスランド出身、89歳。前述のエド・フックストラ同様、NHL在籍は67−68シーズンのみ。 

 しかし、1926年創立のアマチュア・チーム、トレイル・スモーク・イーターズでのプレーが長く、そのプレーが認められ、1961年のアイスホッケー世界選手権にアイスホッケー・カナダ代表として出場し、優勝に貢献している。 

 なお、この大会はカナダのアマチュアチームが世界選手権で優勝した最後の大会でもある。マーティンは世界選手権に5回出場し、4回もベスト・ゴールテンダーに選ばれている。1964年のインスブルック・オリンピックにも出場した「隠れた名選手」なのである。 

 5,234人の観衆は、34セーブをあげたダグ・ファベルの素晴らしいゴールテンディングに支えられ、(この試合まで)2敗していたフライヤーズの歴史的初勝利を見たのです。 

ダグ・ファベル=カナダ、オンタリオ州セントキャサリンズ出身、78歳。ジュニア・ホッケー時代から共にプレーしたバーニー・ペアレントとフライヤーズに加入し、ゴールテンダー2枚看板として活躍する。 

 後年、ペアレントはメープルリーフスへトレードされるが、73−74シーズン、ファベルのメープルリーフス移籍決定時、先方のトレード要員がペアレントだった。

上機嫌なフライヤーズ監督、冗談を飛ばす 

 フライヤーズのバド・ポイル監督は、ワールドシリーズ優勝を果たしたカージナルスの本拠地での勝利について、「皆さんはワールドシリーズで優勝したばかりだから、それ(フライヤーズの勝利)を評価していないかもしれないね」と冗談を飛ばしました。

バド・ポイル=カナダ、オンタリオ州フォートウィリアム出身、2005年死去、享年80歳。原文では「coach」となっているが、これは「GM」の誤りである。ポイルはNHLでの監督経験無し。GM時代、後の70年代フライヤーズ黄金時代の主要メンバーを集めたことで知られる。 

 「〈我々は勝てるのかな〉と疑問に思い始めていた時期に、やっと初勝利を挙げたばかりさ。シャンパンを注文しようかな」。 

讃岐猫
讃岐猫

現監督トルトレラに、このユーモアのセンスがあったらにゃあ…。

もうちょっとチームの雰囲気も良くなると思うんだけど。

キングスを追い続けたライター、最初の一歩 

ロサンゼルス・キングス3、オークランド・シールズ3 

 ロサンゼルス・タイムズのライター、チャック・ギャリティは、ウエスタン・ディビジョンにおいて、ここまで無敗で来ている2チームの対戦を取材し、このカリフォルニアのNHL新規参入2チームの状況を見て、まるでシーズン中盤(シーズンの行方が見えていて、観客も少ない)を迎えたかのように感じました。 

チャック・ギャリティ=昨年7月、92歳で死去。元ロサンゼルス・タイムズのスポーツ・ライターおよびアシスタント・スポーツ・エディター。 

 デンバー大学でジャーナリズムの学位取得後、1953年にデンバー・ポストでコピー・ボーイとして働き始め、後にスポーツ・エディター(1960~66年)に。1966年、ロサンゼルスに移り、ロサンゼルス・タイムズで腕を振るうこととなる。 

 特にL.A.キングスについては、その最初の試合から追いかけ続けていて、まさに生き字引的存在であった。 

 「完璧な天候にもかかわらず、12,000席の美しいオークランド・コロシアムで行われたNHL『巨人たち』の試合に現れたファンはわずか3,419人だった」とギャリティは書いています。「明らかに、ベイエリアでプロホッケーは普及していません」。 

讃岐猫
讃岐猫

このシーズンから、ギャリティが

本格的にキングスの取材を開始したのだにゃ。

ギャリティの心配を他所に、NHLは根付いていき、

さらにチームを増やしていく。

若き日のギャリティの勇み足かな。

「ダーティ・バーティ」、ちょっとご満悦? 

 また、ギャリティは、シールズのコーチであるバート・オルムステッドも、彼のチームがキングスに負けていなかったので、少なくともあと3週間は雇用されるかもしれないと付け加えました。 

バート・オルムステッド=カナダ、サスカチュワン州セプター出身、2015年死去、享年89歳。現役時のポジションは左ウィング。「ダーティ・バーティ」と呼ばれたことから分かるように、非常に荒っぽいプレー・スタイルで有名。 

 シールズのコーチは67-68シーズンのみで、さっさとシーズン途中で辞任している。 

 オルムステッドの暴れっぷり、映像に残っていました。背番号「16」です。

 ギャリティによると、5ヶ月前のNHLエクスパンション・ドラフトで、オルムステッドは「もしロサンゼルスに負けるようなことがあれば、コーチを辞める」と言ったと書いています。 

 オルムステッドはその発言を否定し、シールズがキングスに5-4で敗れた翌朝の11月8日(そしてシーズン全体を通して)にはまだコーチをしていました。 

 オークランドは、22セーブし、キングスのフォワード、レアル・ルミューから3度も得点機会を強奪した、チャーリー・ホッジのゴールキーピングの素晴らしさで同点に追いつきました。 

レアル・ルミュー=カナダ、ケベック州ビクトリアビル出身、1975年死去、享年30歳。NHLはほぼキングスで過ごし、レンジャーズにトレードされた69-70シーズンも、半ばには呼び戻される程だった。 

 1974年に引退後、地元の鉄鋼会社に就職したが、脳血栓のため30歳の若さで死去。 

 キングス伝説の選手、ルミューの映像です。当時の動くルミューの映像はないのですが、キングス・ファンの熱心さが伝わってきます。

チャーリー・ホッジ=カナダ、ケベック州ラシーヌ出身、2016年死去、享年82歳。GK最高の栄誉、ベジーナ・トロフィーを2度獲得しているにもかかわらず、NHLでの出場試合数が少ないのは、カナディアンズに名ゴールキーパーの1人、ジャック・プランテがいて、長らく控えに甘んじていたため。 

 カナディアンズ在籍中、スタンレー・カップで6度優勝し、ベジーナ・トロフィーを2回受賞した彼は、シールズに拡張ドラフト全体6位で指名され、モントリオールから移籍しました。 

 同点に追いついた試合終了後、オルムステッドは「勝ち点を獲得できたことに、とても感謝しているよ」と述べています。 

 「チャーリーは私たちをその中(連勝中)に留めてくれたんだ。彼は〈勝ちたい〉という意識を持ってプレーした、唯一のプレーヤーだったね。ロサンゼルスから(勝ち星を)盗んだのさ。キングスは、ゴール以外のすべての部門で我々に勝っていたのにね」。 

まとめ 

 まるで何年ぶりに見られる皆既月食のように、1967−68シーズン、全チームの試合が「一直線に並んだ日」の悲喜こもごもをお伝えしました。 

 新規参入チームを抱える地元では、やはりまだアイスホッケーが馴染んでいなくて、お客の入りがイマイチでしたが、後のリーグ隆盛を知っている身からすれば、北米文化とアイスホッケーの相性の良さを感じるとともに、日本でそうならないのがちょっぴり残念な思いもしています。 

 話変わって、昨年あたりから、北米でNFL以外のアメフト・プロ・リーグが活動を再開し、今年に入り、DAZNでも試合を配信しています。DAZN初期にNHLも配信されていたのに…、こちらも残念でなりません。 

 NHL.TVがあるとはいえ、加入手続きの安心感からすれば、「日本語」で手続きのできるDAZNにかないません。NHLが日本を大事な市場と見てくれればなぁ…。

讃岐猫
讃岐猫

ここまで読んでくれて、サンキュー、じゃあね!

タイトルとURLをコピーしました